私の城2
ひととおり工房兼住居の中を案内し終えると、エドワードは満足そうにうなずいた。
「それじゃあ、しばらくは好きに見て回るといい」
「はい」
「困ったことがあれば、人を呼べばいいからね」
「ありがとうございます」
そう言い残して、エドワードは外へ出ていった。
扉が閉まる音がして、小さな工房兼住居の中に静けさが落ちる。
山口愛菜は、その場でそっと息を吐いた。
「……さて」
誰もいない。
今なら落ち着いて動ける。
家具を出したい。
どこに何を置くかも考えたい。
住居スペースも工房も、早く自分仕様に整えたい。
けれど、その前にやることは決まっていた。
「まずは掃除からだよね」
愛菜は窓へ歩み寄り、ひとつずつ開けていった。
朝のひんやりした空気が流れ込み、室内にこもっていた古い匂いが少しずつ薄れていく。
一見するときれいに見える。
けれど、床の隅には細かな埃があり、棚や窓枠にも薄く汚れが積もっていた。長く使われていなかったのだろう。
愛菜は部屋の隅に立てかけてあった古い箒を手に取り、穂先を確かめた。
「これなら使えそう」
まずは寝起き用の部屋からだった。
愛菜は箒で奥から手前へ、少しずつ埃を掃き寄せていく。
しゃっ、しゃっ、と乾いた音が静かな室内に響く。
ただ、そのままだと細かな塵がどうしても舞い上がる。
そこで愛菜は、ごく弱い風だけを足元に流した。
強く吹き飛ばすのではない。
箒で寄せた埃が散らないよう、床すれすれをなでるように風を動かして、進む先をそろえてやる。
「うん、これなら楽」
風は本当に控えめで、埃を踊らせるのではなく、寄せた先から逃がさないための補助に近い。
箒の動きに合わせて流れを整えるだけで、掃除はずいぶんしやすくなった。
部屋の隅から中央へ。
中央から出入口のほうへ。
集めた埃は、最後にちり取り代わりに作った薄い板へ乗せて外へ運ぶ。
このくらいなら、不自然でもない。
床がひとまず終わると、今度は棚や窓枠に取りかかる。
愛菜は布を数枚用意し、手元に軽く水を出した。
布をしめらせてから、まずは窓枠を拭く。乾いた布でそのあとを追うようにして水気を取る。
棚も同じだ。
汚れを浮かせて、拭き取り、乾かす。
魔法で全部一気に終わらせるのではなく、使いやすいように道具と手順を整える。
そのほうが愛菜にはしっくりきた。
「やっぱり、掃除はこういうのがいいよね」
ひと拭きするたびに木の色が少しずつ明るくなる。
古びて見えていた棚も、汚れが取れると印象がかなり変わった。
次は工房部分だ。
大きな作業台の周りを掃き、棚の足元の埃も丁寧に集める。
作業台の下には、古い木くずのようなものまで残っていた。
「へえ、ほんとに使われてたんだ」
そんな痕跡を見ると、少しうれしくなる。
足元にごく弱い風を流しながら箒を動かすと、細かなごみが散らばりにくい。
棚の裏のほうも、風向きを少し変えるだけで掃き出しやすくなる。
愛菜は掃除をしながら、床板のきしみや棚のぐらつきも確かめていった。
「あ、ここ少し緩いかも」
棚の一角に手をかけると、わずかに揺れる。
あとで直したほうがよさそうだと覚えておく。
流し台の下ものぞきこみ、水回りに問題がなさそうなのも確認した。
窓の建てつけも悪くない。
ひととおり掃除を終えて、愛菜は部屋の真ん中で立ち止まった。
窓を開けたばかりのときとは、もう空気が違う。
埃っぽさが薄れ、光も少し明るく見える。
「うん。いい感じ」
朝食はやっぱり淡白で、少しだけがっかりした。
けれど今は、そんなことがどうでもよくなるくらい気分がよかった。
掃除をすると、その場所のことがわかる。
どこに何を置けるか。
どこに手を入れればもっと良くなるか。
どう動けば使いやすいか。
それが見えてくるのが、愛菜にはたまらなく楽しい。
「やっぱり最初は掃除だよね」
満足そうにつぶやいて、愛菜は小さくうなずいた。
ある程度きれいになったところで、愛菜は扉と窓の外に目を向けた。
誰も来ていない。
なら、今のうちに少しだけ進められる。
この世界に来た事情は、まだ話していない。
たくさんの荷物を持っていることも、便利な力があることも、今はまだ内緒だ。
だから目立つことはできない。
けれど、きれいになった部屋を前にすると、見慣れた家具を置きたくてたまらなかった。
「少しだけなら……」
そうつぶやく声は、わくわくを隠しきれていなかった。
山口愛菜は、朝の光が満ちる小さな工房兼住居の中で、次に始めることを思い浮かべながら、そっと口元をほころばせた。




