7.翼なき鳥たちは地を駆ける
エピローグという名の蛇足。
船の汽笛が間近で聞こえる。
目の前に広がる海に瞳を輝かせ、アイビスは歓声をあげた。
「わあ、すごい! 向こう岸が見えないなんて!」
「はしゃぐな。落ちるぞ」
今にも海へと飛び込んで行きそうな華奢な身体を支える。
注意したカイトにアイビスは不満そうだ。こんな素敵なものを見てなぜ興奮しないのかとその瞳が言っていた。
「海を見るのはこれが初めてじゃない」
幼い頃は友人とよく海まで空をかけたものだ。
それに、カイトは地の海だけでなく空の海も知っている。目の前に広がる青も美しいが、カイトにとって空の海に勝るものではない。もう二度とは見られない景色だからなおさらにそう思うのかもしれないが。
「ずるい」
すぐに拗ねる彼女を抱き寄せ、二人でしばらく海を眺めた。
不意に、アイビスが呟く。
「私たちが鳥だったなら、二人でどこまでも飛んでいけたのかしら」
二人でどこまでも飛んでいく。
同じ姿で同じものを見て、その翼が朽ち果てるまで果てのない空をかける。
それはきっと、無上の幸福。……叶わない夢だ。
カイトとアイビスは似ている。
姿形ではない。生まれや考えでもない。決して手に入らぬ空に焦がれ、見上げるしかないそれに惹かれて止まぬところがそっくりだ。
しかし、カイトにとって空は目の前の存在ほど大切なものではない。そう思わせたのは彼女。カイトの根本を揺るがしたのはただ唯一の存在――アイビスに他ならない。
「鳥でなくともこれから二人でどこまでも行けますよ」
「それもそうね」
だって二人には地を駆ける足がある。
挫いたと言うなら支えよう。疲れたと言うなら共に休もう。道がわからなければ二人で迷おう。そうすれば、翼などなくとも二人でどこまでも行けるはずだから。
「まずはこの海の先の大陸からだ」
「そういえば、何で別の大陸に行くの? 追われているから?」
アイビスの言葉に、彼女に別の大陸に向かう理由を話していなかったことに気づく。
実際のところ、カイトとアイビスは別の大陸に逃げねばならぬほど追い込まれてはいない。なぜなら、神聖王国はもうほとんど国として機能していないからだ。追手を差し向けている国がその状態では、追い込まれようもない。
「いえ、違います。……誘われたんですよ。昔の友人に、ね」
そう言って、カイトは胸に手を当てた。そこには懐かしい相手からの便りが仕舞われている。
神聖王国に攻め落とされたあの日、多くの有翼人が命を落とした。けれど、助かった者も確かにいたのだ。
あの後、ほとぼりが冷めてから友人と王子を含む生き残った有翼人たちは逃げ落ちて別の大陸に向かい、今は新しい土地で穏やかに暮らしているらしい。
初めて手紙を読んだとき、誰それが子どもを生んだとか大陸の人間と結婚したとか友人らしい内容と言葉で書かれたそれに不覚にも胸が熱くなったことを覚えている。久しぶりに見た仲間たちの名前に“ああ、生きていてくれたのか”とだけ思った。
同胞たちはカイトが知る以上に逞しい。あの屈辱の日を多くの有翼人たちが生き抜いていた。カイトの目の前で翼を切られた王子は、国がなくなった現在も元王族として有翼人たちを統率している。大陸で暮らせているのも王子の手腕によるものらしい。
『息子のまだ小さくとも確かにある翼を誇らしく思う。だが同時に、飛び方を教えてやれないのが残念だ。あの国を憎く思わないわけじゃない。けれど、今ある幸せを俺は大事にしたい』
手紙には、友人も結婚して子どもに恵まれたと。失ったものは戻らないが、新たに得られるものはあると書かれていた。
今だからこそわかる。カイトは失ったものばかりを見て、それに囚われていた。
『翼を折られても俺たちの誇りは消えていない。希望の灯はここにある。――お前も早く来い、カイト』
そう締めくくられた手紙を胸に、カイトはアイビスを連れて船に乗り込もうとしている。
もうすぐ出航の時間だ。
「カイトの友達?」
「ええ、やけにくさい台詞を書いた手紙を寄越したので、久しぶりに顔を拝んでやろうかと」
どんな顔で書いたのやらとひとしきり笑った後、込み上げてくる感情に胸が詰まった。
咄嗟に片手で顔を覆う。きっと情けない表情をしているはずだ。それをアイビスには見られたくなかった。
「カイト」
名を呼ばれ、言外に手をどけろと告げられる。
「見るな」
「だって見たいもの」
「悪趣味な」
「あら、趣味は良い方よ?」
手を引かれ屈めば、ぎゅっと抱き締められた。
慰めのつもりなのだろうか。
(情けない)
年下の少女に、しかも想い人に泣き顔を見られたうえに慰められるなど情けないことこの上ない。
「良かったわね。友達が無事で」
カイトには彼女の心などわからないのに、彼女は容易くカイトの心を読み解く。それがひどく悔しい。
友人の無事を確認することすら怖かったこともきっとお見通しで。
「お友達に会ったら一緒に言ってあげる――無事でいてくれてありがとうって」
たかだか翼なき鳥の身で、愛しい太陽に勝てるわけもなかった。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
作者にとってこの作品は設定やキャラより先にタイトルが思い付いた珍しい作品です。実はタイトルがお気に入り。
なんかヒロイン病んでるし、結局ヒーローはいつもの雨柚のキャラだし……と残念極まりない出来ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
いつになるかわかりませんが、アイビス視点で本編の補足を書く予定です。
本当はアイビスの話も書いてから投稿しようと思っていたのですが、気力が尽きたので止めました。
とりあえず、「かつては空をかけた翼も今はなく」はこれで完結です。
お読みいただき、本当にありがとうございました!
※以下はネタ。いつか書けたらいいな。
アイビス視点「いつか殺した鳥の名も知らず」
アイビスの幼少期と空に憧れる理由、本編での心境など。
……本編以上に暗い話になりそうで作者が鬱。
スピンオフ「空を知らぬ鳥は檻の中で笑う」
ちょっと未来のお話。
競りに出された有翼人の少女。今となっては珍しい、全く傷のない“羽付き”。
奴隷の少女×それを興味本意で買った主人。




