5.陽を恋う鳥は嵐に惑う
誰も彼もが血を吐き、地面に倒れ伏す。
貴族も使用人も関係ない。ある者は喉を掻きむしり、ある者は地を転がり回る――それはまさに地獄絵図。
そんな惨劇のなか、呆然と立ち尽くす男が一人。
「……アイビス、さま」
かすれた呼び声に少女が振り返る。
そして、笑った。
高らかに。
ひどく楽しそうに。
周りなど無視するように明るく。
頬についた赤とは不釣り合いなほど綺麗に。
「アル」
白魚のような手にはまるで似合わぬ武骨な短刀。
汚したくないと願った手は今、血に塗れている。
その血は少女の父親のものだと、男は知っていた。
(どうして、あなたが――)
◇◇◇
慌ただしい城内の空気にさして忙しくもないカイトも落ち着かない気分になる。
(いよいよ、か)
もうすぐ、この度の戦勝を祝う舞踏会が始まる。今回攻め落とされた国は希少な種族・蜥蜴人間の住む国だった。国というより集落という程度の規模だったようだが、人間至上主義を掲げる神聖王国にとって相手の数は関係ないのだろう。
王女の護衛騎士となってから戦に関わらなくなったカイトは蜥蜴人間についてほとんど知らない。人とは異なる硬質な皮膚を焼かれた彼らは今どうしているのだろうか。神聖王国が“獣の証を奪っても命は奪わない”ことを正義としていても、皮膚を焼かれた以上、幾人もの蜥蜴人間が命を落としたはずだ。……いつかの有翼人たちのように。
(国を蹂躙し、誇りを踏みにじって……何が正義だ)
“獣の証を持たぬ人間こそ、神が創りたもうたこの世で最も尊い存在である”と、そんな人間至上主義を掲げる神聖王国は獣の耳や尾、翼を持つ人々を蔑視している。獣人や有翼人と呼ばれていても彼らも人間だということを神聖王国は認めない。
自分たちこそ神に選ばれた存在だと胸を張る姿がどれほど醜悪か、彼らだけが気づかない。
「おや、君は今夜の舞踏会に参加しないのかい?」
「ジェイ卿……実は、私は今回の戦に大義があると思えないのだ。いや、今回だけじゃなく……」
「フェザント卿! いくら君でも、そこから先は言ってはいけない」
「っ、ああ、すまない。感謝する」
「気持ちはわからなくもないが……今この時期に欠席すれば、王弟派だと疑われるぞ」
「………………」
「君、まさか……!?」
国王は自らが掲げる大義が揺らいでいることも知らない。揺らぎは足元だけでなく、貴族間まできているというのに。
淑女たちの他愛ない噂話にすらこの国の危うさが窺える。
「知っていまして? クレイン侯爵夫人のこと」
「もちろんですわ。卑しき獣人たちを逃がして捕まるなんて、高貴な方だというのに……ねえ?」
「侯爵ともども投獄されたのでしょう? 怖いですわねえ」
「クレイン侯爵夫人は素晴らしい方です。侯爵も、誰よりも国のことを考えていらっしゃいました!」
「あらあら」
「まあ、ふふっ」
「今のこの国は……っ」
「可愛らしいお嬢さん。国を語るのは殿方の仕事よ。私たちは囀るだけ」
「だって、そんなの……っ」
「しっ、黙って。あなたの気持ちは立派だけど、時期じゃないことくらいわかるでしょう?」
「………………」
「スターリング公爵かターミガン夫人のところに行きなさい」
「きっとあなたの聞きたかった言葉が聞けるわ」
「皆さんは……そこまで知っているのに、どうして行かれないのですか?」
「ふふっ、私たちにはね、見えない枷があるのよ」
「私の夫は国王陛下に忠実なの。まるでよく躾けられた犬みたいにね」
「私の息子は騎士としてこの国に仕えることに誇りを持っているわ」
悔しそうな顔をする一人の貴族令嬢に婦人たちは穏やかに微笑みかけた。きっと、彼女は舞踏会には参加しないだろう。
去って行く少女の背を見ながら、また囀る。その声が誰かに聞こえるように。
「なぜかしら、今夜は嵐になる気がするわ」
「奇遇ね。私もそう思っていたところよ」
「なら、小さなお嬢さんを帰してよかったわね。このままいたら飛ばされてしまうわ」
婦人たちは波乱の予感を胸に仕舞い、舞踏会の舞台に足を踏み入れた。
(嵐か……)
嫌な予感がするのはカイトも同じだ。今日の舞踏会では何かが起こる気がしてならない。
王女の護衛騎士といっても公式の場では別。常に傍で守ることはできない。舞踏会に参加できず、この胸騒ぎの正体がわからないカイトはそれが王女にとって害にならないことを願うばかりだ。
「アル!」
聞こえないはずの声が聞こえる。
彼女のことを考えていたせいだろうか、幻聴が聞こえるなんてよほど疲れているようだ。それとも、もう末期なのか。
どこまで堕ちれば気が済むんだと思わず自嘲した。
「アルってば!」
ここは庭園。咲き乱れる花々に群がる虫と同じ数だけ曲者が湧く場所だ。舞踏会などの間だけ護衛騎士から外されるカイトは、今日は庭園の警備を任されていた。
舞踏会の会場である広間から庭園まではそれなりの距離がある。あと半刻ほどで始まる舞踏会のために広間の近くで控えているはずの王女の声が聞こえるはずがない。
そう、王女が普通の淑女だったなら。
「もうっ、聞こえてるんでしょう? こっちを見なさい!」
カイトが声のする方を見上げると、バルコニーから身を乗り出す王女と目が合った。
普通の淑女ならバルコニーから下に声を掛けたりしないし、身を乗り出すなんてもっての外だ。
「アイビス様……このような日まで私のお説教が必要ですか? 危ないので身を乗り出すのはお止めください。淑女がすることではありません」
「あ、あら? ごめんあそばせ」
少し声を張り上げてカイトが言うと、さすがにまずいと思ったのか王女は素直に従った。
しかし、すぐに“これじゃあアルの顔が見れないじゃない!”という声が上から降ってくる。その後、王女がまたひょっこりとバルコニーから顔を出した。
「アルなら受け止めてくれるわよね?」
その言葉に、王女が何を企んでいるか悟る。
「なっ、お待ちください! それは、それだけは駄目です!!」
「お願い、私の騎士様!」
言うが早いか、王女が上から降ってくる。案の定、バルコニーから飛び降りたようだ。
「アルーっ!」
「アイビス様!」
落ちてくる王女と目が合った。次いで腕にきた衝撃にほっと胸を撫で下ろす。
本当に困った王女だ。大した高さはないとはいえ、肝の冷えることをしてくれる。これだけの無茶をされると、怒りも湧いてこない。
それに、怒りより説教より、腕のなかのひどく柔らかな存在を力の限り抱き締めてしまいたい衝動を堪えるのにカイトは忙しい。心配させられた分、伝わってくる熱に安心するが、それだけでは済まないのが困ったところだ。
「まったく……なんて無茶をされるんですか。寿命が縮みましたよ」
本能との戦いに勝利したカイトはやっとの思いで王女に声を掛けた。カイトの内心での葛藤を知らない王女は呑気に笑っている。
時間にしてみれば数瞬のことだったが、カイトには永遠にも感じられるほど長い戦いだった。理性が勝利したことに、心の底から安堵する。
「それは困るわね。アルは私より年寄りなんだから、それ以上寿命を減らさないで」
「なら、このような無茶はお止めください。あと、私はアイビス様より年上ですが年寄りではありません」
「ふふ、ごめんなさい。でも、アルはちゃんと受け止めてくれたじゃない」
「偶然ですよ、次も上手くいくとは限りません」
王女を腕に抱えたまま会話を続ける。
靴が脱げてしまっている彼女を近くのベンチに降ろし、“少し待っていてください”と言い置いてどこかに転がっているはずの靴を捜した。
(……あった)
茂みの近くだ。意外と早く見つけられて良かった。あまり時間がかかると王女が裸足で歩き出してしまうだろう。
カイトは急いで靴を拾い、彼女の傍に戻る。が、王女が大人しく待っているはずもなかった。
「ああ、もう……立とうとしないでください、足が汚れます」
そう言ったのに、王女はベンチの前の地面に足を付けてしまう。
土で汚れるうえ、石で足の裏が傷つくかもしれない。……本当に、止めてほしい。カイトは彼女の足が傷だらけになる様など見たくない。
「良いじゃない。庭園を裸足で歩く機会なんてなかなかないわよ?」
渋面のカイトとは対照的に楽しそうな表情を浮かべる王女に手を伸ばし、そっと抱き上げる。王女も予想していたのか素直にカイトの腕を受け入れた。
「そんな機会はないのが当たり前です。淑女のなさることではありません」
「つまらないわ」
口をとがらせる王女を再びベンチに降ろし、これみよがしに大きな溜め息を吐く。
「少し待っていてください。今度は、絶対に、その状態で立とうとしないでくださいね」
言い置いて、カイトは水場へと向かった。
ハンカチを取り出し、水に浸す。下手くそな刺繍が施されているハンカチは以前に王女から貰ったものだ。生地が強張っていて使いにくいし、何を刺繍したのかもわからない代物だが実は気に入っている。
程良く湿らせたハンカチを手に、カイトは王女のもとへ戻った。
「アイビス様、足を」
「アルが拭いてくれるの?」
「ええ、そうですよ。ここに侍女はいませんから」
護衛騎士に足を拭かせるなんて、なんて王女だ。
「……ちょっと恥ずかしいわ」
(嫌がらせか)
こっちは努めて平静を装っているというのに、これ以上意識させるなと言いたい。もちろん、そんなことは言えないのだが。
「我慢してください」
短く答えて王女の足に手をかける。
それは白く滑らかで折れてしまいそうなほどに細い。触れているのは布越しだというのに指先から痺れていく。彼女の普段は隠されている場所に触れていると思うと、胸の奥が疼いた。
「終わりましたよ」
カイトの言葉に、顔をそむけていた王女がこちらに向き直る。
まだ少し頬が赤い。よほど恥ずかしかったようだ。……カイトとしては役得だったが、精神的にかなり消耗したのでこれに懲りてもうこんなことはないようにしてもらいたい。
「ありがとう、アル」
「いえ」
照れつつも花が咲くような笑みを向けられて、心が揺れる。
いつまででも酔っていたいような甘い空気。それに流されるなと己を叱咤して頭を切り替えた。
「それで、どうしてバルコニーから飛び降りてまでここに?」
王女の“可愛らしい悪戯”はいつものことだが、それにしてもやりすぎだ。何か用があってのことだろう。
「アルに用があったのよ。渡したい物があって」
「またお菓子ですか?」
前に手製の菓子を貰って以来、王女はよくカイトに菓子を渡してくるようになった。なかには菓子ではなく軽食のときもあったが。
今日の王女は包みを持っていないが、呆れたように言うと少しむくれられる。
「違うわよ。もっとすごいものなんだから!」
どこにしまっていたのか、王女は瓶を取り出して掲げてみせた。
差し出されたそれを条件反射で受け取る。
瓶自体は美しい。空色のガラスは晴天を写し取ったかのようだ。しかし、どう見てもそれは薬瓶に他ならず。……躊躇せず手にしてしまったことを少し後悔した。
「……これは?」
「元気になるお薬よ」
怪しい。怪しすぎる。
しかし、王女の突拍子もない行動に慣れきってしまったカイトはつい尋ねてしまう。
「……怪しいものではないでしょうね?」
「大丈夫よ、侍医に出してもらったものだから」
“滋養強壮の薬なんですって”と王女は言葉を続けた。
「アル、最近疲れてるでしょう? 薬に頼るのはあんまり良くないかもしれないけど、少しは疲れがとれるかと思って」
王女の言葉は健気に護衛騎士の身体を労わっているようだが、その眼はきらきらと輝き自らの言葉を裏切っている。
これは、飲まねばなるまい。王女がこれだけ期待した眼で見ているのだ。たかだか護衛騎士にすぎないカイトに断ることは許されない。
(今度は何の遊びなんだか)
そう内心で嘆息する。
カイトを労わっているというのは嘘ではないだろう。ただ他にも理由があるだけで。
まあ、いい。王女の遊びに付き合わされるのはいつものことだ。
「では、いただきます」
意を決して、見るも怪しげな瓶に口をつける。
何とも言えない苦味が口いっぱいに広がり、思わず嘔吐きそうになるのを鋼の精神力でぐっと堪えた。何とか持ちこたえられ、心の底から安堵する。王女の前で嘔吐くなど、冗談にもならない。
「まずかった?」
「……ひどい味です」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、良薬は口に苦しって言うでしょう? ――これで、今夜のアルは誰にも負けない騎士になったわ」
(いや、疲れをとるんじゃなかったのか。……薬の効果なんて何でもいいが)
カイト自身はあまりそういう類の薬の効果を信じる性質ではないのだが、城の侍医が滋養強壮と言ったならそうひどいことにもならないだろう。
……それに。
「そう願いますよ。こんな味を経験させられて、何の効果もなかったなんてことになったら暴れそうです」
王女にそんな軽口を叩いてしまうくらいには、カイトが飲まされた薬はまずかった。
◇◇◇
カイトがその異変に気づいたのは、王女を会場に送り届けてしばらくのことだった。
今日は祝勝会だからと使用人や警備の者にも振舞われた葡萄酒。
血のように赤いそれは、下の者には過ぎるほどに良い酒だった。聞けば、舞踏会の会場でも同じものが出されているらしい。
使用人も警備の騎士も準備こそ終われどまだまだ仕事は残っている。量を飲むことは許されない。それでも、振舞われた酒に皆喜んでいた。
――異変は静かに歩を進め、誰も気づかぬ間にその場に迫り訪れる。
「そういや、会場に行ったやつが戻って来ないな」
「雰囲気に当てられて、どっかでサボってるんじゃない?」
惨劇の始まりは何気ない会話だった。
いきなり苦しみながら地面に倒れ伏す使用人。
騎士はごぼりと音を立てて口から血を溢れさせる。
侍女はその光景に悲鳴を上げながら……苦悶の表情を浮かべ、自身も血を吐いた。
倒れた者はそれっきり。しばらく身体を震わせていたが、しだいにピクリとも動かなくなった。
何が起きたのか、誰にもわからない。
「ど、毒だ! きっとさっきの酒に毒が入ってたんだ!」
と、誰かが叫ぶ。
「毒だって!?」
「な、なんで俺たちに……!?」
「っ、いいから早く吐き出せ!」
そう言う間にも、何人もが倒れていっていた。
当然だ、ほぼ同じときに酒を飲んだのだから。量や体格で差はあれど、効いてくるのも同じくらいだろう。
「なあ、会場から誰も戻って来ないのって……」
“まさか”と誰かが呟いた。
その言葉に、カイトは自分の予感が的中したことを悟る。嫌な予感ほどよく当たるものだ。
(あそこには……)
それに思い至るが早いか、カイトはその場から駆け出した。
聞いた話が本当ならば、毒が入っているという葡萄酒を王女も飲んでいるはずで。
「っ、……くそっ!」
脇目も振らず、舞踏会の会場を目指してただひたすらに地を蹴る。翼がないのがもどかしい。この場にいるのがあの頃の自分であったならもっと早くかけられたのに。
カイトも毒入りの葡萄酒を飲んでいる。しかし、動けば毒が回るなんて考えは頭になかった。
「アイビス様……っ!!」
案じるのは、たった一人の少女の身だけ。
“どうかご無事で”という信じてもいない神への祈りはきっと届かない――そんな、予感がした。




