転- 9.対面
半分残っていた黄昏は本来の色を失い曇り始める。
辺り一帯が暗くなり、木に空いた穴にいるはずの槐の姿は見えづらく、ヒナタはその場から動く事なく静かに佇んでいた。
「……」
目の前に捜していた人物がいる。
しかし、それでも体は地面に縫い付けられたように動かない。
体が移動する瞬間、確かに槐の姿がしっかり見え、喜びの感情がわき上がったと同時に、聞き覚えがある音が耳に入った。
その“音”に拒絶反応が出て、近付くのを躊躇わせる。
「……槐、君……」
何とか絞り出した声は掠れ、喉の奥はカラカラに渇く。
それでも勇気を出して足を一歩前に進めると、穴の中の槐が動く気配がした。
「……く、るな!」
「っ! 槐君? 一体……何が……」
叫ぶように槐の声がすると、苦しそうな息づかいも聞こえてくる。
それと同時にあの音……ノイズが激しさを増し、辺り一帯に風も吹かなくなった。
この感じ……間違いなく、堕ち人の……。
でも、近くに私達以外居ないって事は……まさか――――。
「槐君!」
ヒナタは全身の血の気が下がるのを感じながら、なりふり構わず穴に走り寄った。
「や、めろっ!」
しかし、穴を覗き込もうとした瞬間、無数の蔓が飛び出し、ヒナタの体を強く弾き飛ばす。
「きゃあっ!!」
「!」
受け身の取れなかった体はそのまま地面に打ち付けられ、それと同時に慌てた様子の槐が姿を現した。
思わず穴から出てしまった事に気付いたが、痛さに耐えながら体を起こしたヒナタと目が合ってしまう。
驚愕、絶望、悲しみ……あらゆる感情が入り交じった表情。
その顔を見た瞬間、ショックからか崩れるように膝をつき、泣き叫んだ。
「見るな! 見るな! 見ないで――――!!」
「……っ」
頭を抱える槐の右腕は、肩から細い緑色の蔓に変化している。
それが一本に絡まっており、先程の蔓は思わず手を伸ばしたつもりで当たってしまったものだった。
また、右目と右側の髪は真っ黒に染まり、まるでゆっくり侵食している様を表しているかのようである。
やっぱり……堕ちかけてる。
槐君は自分の姿を見られたくなくて、館を出ていった……そして、完全に堕ちて他の人を傷付ける前に、消えるつもりだった。
煌君の手を借りて……。
「槐君」
ヒナタの視線を拒む槐に近寄り、震える体をそっと抱き締めた。
瞳から流れる涙は黒く、もはや人外に堕ちかけている身は、彼女の体温に一層小刻みに揺れる。
「まだ、何か方法があるかもしれない。泣かないで……」
「ううっ……」
優しく背中を撫でると、さっきまでガタガタと激しく震えていた体はピタリと治まり、背中に槐の腕が回る気配がする。
「……あり、ガ、トウ――――」
「?」
感謝の言葉を紡ぐ槐。
しかし、ヒナタの耳には先程とは比べ物にならないノイズが響き渡る。
背中に回ったはずの腕は、何故か直接触れる事はなく、相変わらず後ろで動く気配がした。
“何かがおかしい”
その不安は自然と体に表れてスゥーと血の気が引く。
沈黙の中、嫌な冷や汗が頬を伝って落ちると、槐の服に染みを作った。
「ククッ……クククッ……ヒ、ナ、タ」
「!」
いつもは“君”とか“アンタ”とか言って、一度も私の名前なんて呼んだ事なかったのに!?
驚いて抱き締めていた体を離し、槐の表情を見る。
真っ黒に染まった両目にヒナタをしっかりと映し、今まで見たことのない程に弧を描いた口が動く。
「ずっト……」
「!?」
嬉しそうな表情をうかべた瞬間、背後の蔓が大きくしなる。
嫌な予感しかしない状況で、ヒナタの体は凍り付いたようにびくともしない。
唯一動く瞳はゆっくり動く唇に釘付けになった。
正常な槐なら絶対に言わない言葉。
…………一緒に、居ヨう――――――――君ヲ、コロシテ……。
鋭く尖った蔓の一突きが心臓に狙いを定め、静寂が満たす中、全てがスローモーションのように流れる。
「ごめんね……槐君」
悲しげな表情でそう告げると、槐の心を表すかのように、瞳から黒い涙がこぼれ落ちた。
――――――ごめん……煌、君……。
「ヒナタ――――――――!!」
全てを諦めた瞬間、突如森に赤い閃光が駆け抜け、一斉に全ての音が戻る。
“バシッ!”という音が後ろからすると、勢いよく後ろに引っ張りあげられ、片腕に抱きとめられた。
顔を上げれば、右手で蔓を受け止めて鋭い視線を槐に向ける煌の姿。
「こ、うく……」
「……色々聞きたい事あんけど、後にする。今は、槐を何とかしてやらなきゃな」
蔓になった腕をギリギリと掴まれても、槐の表情は嬉しそうに歪む。
それどころかあっという間に髪まで全て黒く侵食され、完全に正気を失ってしまっているようであった。
「アハッ! コロシ……タイ、コロシ……、コロシ……」
「来るまで耐えてたのか……待たせて悪かったな。分かってる……約束は守るさ。すぐに――――終わらせてやる」
「!?」
煌の右手に力が集まるのが分かったヒナタは、慌ててその腕に飛び付いた。
「止めて! お願い! 殺さないで!」
「何やってっ!? あぶねぇ!」
それに驚いて力を出せなかった事で蔓はあっさり手から逃れ、煌は反射的にヒナタを守る為に突き飛ばしたが、逆にその右腕に力強く蔓が巻き付く。
「煌君!」
“やべぇ”と小さく煌が呟いた瞬間、蔓は右腕を締め上げた。
「ぐっあぁっっ!!」
煌は苦悶の表情をうかべて叫ぶ。
右腕からはミシミシと嫌な音が鳴り、続けざまに放り投げられそうになった。
「だ、だめ――――!」
必死に煌の体にしがみつき庇おうとしたが、動作は止まる事なく一緒に投げ飛ばされ、二人の体は離れずに茂みに落ちた。
しかし運が悪い事に、そこは急な斜面になっていた為、勢いよく転がっていく。
その先には暗い曇り空が広々と広がって、見渡しのよい森があるだけ……つまり、崖である。
「くっ!」
「――――っ!!」
事の重大さに気付いた時にはすでに遅く、二人の体はそのまま空中に飛び出した。
まるで短時間のスカイダイビングでもしているかのような状況に、声も出せなかったヒナタの腰を煌はしっかりと引き寄せる。
そして、負傷している右手を下に向けると、拳にかなり大きな力を集め始めた。
「目を閉じてしっかりしがみつけ! 絶対に離れんなよ!」
「!? うん!」
何をするか分からなかったが、今はそれに賭けるしかない。
失敗すれば、その先に待っているのは硬い地面と真っ暗な死のみなのだ。
――――目前に覆い茂る木々が迫り、煌の拳が赤く光輝く。
「やるぞ! 掴まれ――――!」
無我夢中で煌にしがみついた瞬間、力いっぱい拳を振り下ろされ、大地を轟かす爆音が辺りに響き渡る。
それによって発生した風圧で体が少し浮上した感覚を最後に、ヒナタは意識を手放してしまった。




