転- 7.記憶に無い落ち人
“コンコン”とやけに控え目なノック音が、隣の昴の部屋から聞こえてきた。
槐の存在が表沙汰になってから、ヒナタは自分の部屋に戻っており、その音に気付いて目を覚ましたのは、最近あまり深く寝られなかったからである。
しかも皆が寝静まる頃に、昴の部屋を訪れる人物がいる事自体珍しい。
ん……誰だろ?
朔さん……?
違うかな……この時間は呼び出されないと行かないし、今日は早々に部屋へ帰ってから出てない……別の人だよね。
気になったヒナタがベットから降り、扉に近付き耳を傾ける。
それと同時に“カチャリ”と隣の扉が開くと共に、昴の声がした。
「……煌か、入れ」
「あぁ」
煌君だ。
――こんな時間に、話?
う~ん……気になる。
隣の扉が閉まるのを確認し、音をたてないようにゆっくりと扉を開けると、忍び足で昴の部屋の前に移動する。
中からは少しだけ会話が聞き取れるくらいではあったが、その中に“槐”という言葉が出てピクリと体が反応した。
「……もう…………らしい」
「なに? …………は…………る?」
ううっ、聞こえない。
もう少し近付いて……。
ヒナタは扉に耳を当て、二人の声に集中する。
「――――槐は、さっき館を出て――――」
えっ!?
槐君が出て行ったって……何で!?
ビックリした拍子に、足先が扉に軽く当たり音を立ててしまうと、中からの会話がピタリと止む。
「……誰だ、そこにいるのは」
「!」
昴の冷たい声にヒナタはハッと我に返り、口を両手で覆って後ろに下がるが、その瞬間に扉が勢いよく開いて、険しい表情の煌が出てくる。
「お、お前っ……どっから聞いてた」
「……煌君っ、ごめん……でも、何で槐君出て行ったの……? どうして……?」
煌はその言葉に、一瞬だけホッとした表情をうかべると、軽く頭を掻いて今度は困った顔をした。
「あ~、アイツにも色々あんだよ。心配すんなって」
「何言ってるの? 心配するよ! 私、連れ戻して来る!」
ショックを受けた表情をしたヒナタは、身を翻して廊下を駆けて行こうとするが、あっという間に強く腕を掴まれて引き止められる。
「痛いっ! 放して煌君!」
「ダメだ! 槐の所には行かせねぇ!」
腕から逃れようと暴れ、煌の胸を強く叩く。
それでもその腕を放す事なく耐える様子を見て、昴は溜め息をつきながら部屋から出てきた。
「やめろ。槐の件は煌に一任している」
「――――昴さん達は、この世界の人間だから……突然別の世界に来た人の気持ちは分かりません! どれだけ心細いかっ……私は彼をほっとけません!」
「……っ」
ヒナタが瞳に涙をうかべて叫ぶと、煌の手から力が抜けて、辛そうに顔を歪める。
その瞬間に腕を引き離したが、いつの間にか背後に、ニッコリ微笑んだ蛍が立ち塞がっていた。
「……蛍っ!? ごめん、どいて」
「ダメだよ」
「ど、どうして!?」
比較的味方だった蛍が、悪びれもせずに笑いながら行く手を阻む光景に、唖然とした表情で立ち竦む。
そんな状態のヒナタから、下を向いて動かない煌へと視線を逸らすと、“うーん”と悩ましい声を出した。
「ヒナタ、さっきの言葉……煌にだけは言ってほしくなかったな」
「え?」
「忘れてるとはいえ、同じなんだから。……ね? 朔」
「……」
突然の呼び掛けに他の全員が驚いて朔の部屋を見ると、それに応えるかのように扉がゆっくり開く。
中から出て来た彼は片手を眉間に添えたまま、恨めしそうに蛍を見据える。
「説明が面倒な場面で私を使うのは止めて下さい」
「だって、僕じゃ昴が納得しないでしょ? ね?」
「……」
蛍がそう言い“スススッ”と朔の背中に隠れると、昴は腕を組んで壁に寄り掛かる。
そして片方の眉をピクリと吊り上げて、じぃっと二人に対し、射抜くかのような視線を向けた。
「……朔、何か言う事はあるか?」
「申し訳ありません。封印の玉を破壊して戻った記憶の一部でした。……隠していた訳では――――――」
「――――いや、待てよ! 訳が分かんねぇから! 何が同じなんだよ!?」
二人の会話に割り込むように、混乱した煌が焦って話に入る。
ヒナタも分かっていないのか、不安気な表情で朔を見つめた。
「…………貴方も、ヒナタさんと槐と同じ……という事です」
「は? 何処が?」
いまだに理解しない煌に痺れを切らした蛍が、朔の背中からひょっこり顔を出す。
「だから、煌は“元落ち人”。そこから正気を保ったまま守護者になった、異例の異世界人なんだよ」
「………………は?」
「え……煌君も……落ち人……?」
一瞬の静寂の後、“はあああぁっ!?”という煌の声だけが廊下に響いた。
「前にも言ったはずです。ヒナタさんと“同じ”なんですよ」
「どういう事だ……俺、覚えてない」
「記憶を変えられてるんだよ。力を授かった時に……」
煌君も私や槐君と同じ世界から来たの!?
でも、記憶を失っている。
もしかしたら、煌君の封印に何か関わっているかも……だったら、無理に思い出さない方がいい。
ヒナタは真剣な表情で、いまだ困惑している煌に近付く。
「煌君……槐君が出ていった後、どうするつもりだったの」
「!」
その言葉に煌はハッとすると、勢いよく視線を逸らして歩き出し、何も言わずに朔と蛍の横を通り抜ける。
「煌君!」
ヒナタが慌てて後を追おうとしたが、すぐさま二人に道を塞がれた。
「二人共どうして? ……まさか、何をするか分かってるの?」
「……今回は、煌に全て任せた方が良いと判断しました」
「ごめんね、ヒナタ」
「そんなっ、待って! 煌君!」
二人に体を押さえられながらも必死にもがき、廊下に響く程呼び掛けると、少しだけ煌が振り返る。
「悪いな……アイツと約束したんだ。ちょっと待っててくれ」
心配させないようにする為か、いつものニカッとした笑顔を向け、今度は振り返る事なく走り去っていく。
「ヒナタ、煌が戻るまで部屋にいろ。朔と蛍は一応見張っておくように」
「待っ……」
昴の言葉にヒナタが何か言おうとしたが、すぐに朔と蛍が両脇に移動し、ぐいぐいと部屋に連れて行こうとした。
「承知致しました」
「分かった。さぁ、ヒナタ部屋に入ろう?」
「……」
蛍に促され部屋に入ると、すぐに扉をしっかり閉められてしまい、廊下では朔と見張りの件を相談する声がする。
廊下に見張り。
窓からもたぶん無理……。
ヒナタはベットに腰かけると、途方に暮れた様子で項垂れた。




