転- 6.ミチタリテ、堕ちる
昴の判断で槐がいる部屋に行く事が出来なくなってから、ヒナタはちょくちょく様子を煌に聞くようになった。
もちろん、煌もちゃんと食べてるか確認する為でもある。
「……大丈夫? 何か手伝おうか?」
「大丈夫だっての……毎日確認しなくてもちゃんと食ってる。手伝いとかも、食事置きに行くくらいだし必要ねぇよ」
煌君の返答は毎日変わらない。
“大丈夫”と“手伝いはいらない”の二種類。
でも、私がやっていた時も、同じ事しか言ってない気がするんだよね。
だから突っ込んで聞けない事が、こんなに歯がゆいなんて……煌君もこんな毎日だったんだろうか。
おまけにちゃんと目を合わせなくなるとか、本当に槐君の事しか考えてなかった。
「…………」
「何だよ……落ち込むなよ。アイツは問題ねぇから、元気だせよ」
ヒナタがしょんぼりとした表情で黙っていた為、心配そうに顔を覗き込む。
少し体調が戻ってキリッとした煌の瞳と、しっかり目が合う事に、ヒナタはますます申し訳ない気持ちになった。
「ごめんね、煌君」
「……何だよ……らしくねぇな……。――何か、気持ち悪いぞ、お前」
「……」
うん、これがなければ良かったんだけどね。
口が悪いのは何があっても変わらないらしい。
***
「何だよ、しょんぼりしてたかと思ったら、いきなり怒り始めたし……精神的に不安定なのかアイツ」
手に夕食が乗ったお盆を両手で持ち、ぶつぶつと言いながら煌は槐の部屋に向かっていた。
「心配なのは分かるけどよ、毎日飽きないのか?」
廊下の突き当たりの角部屋。
独り言を呟きながら進んでいると、いつの間にか目的の場所に着いていたらしい。
そのままいつも通り部屋の前に食事を置き、軽くノックする。
こちらからは声をかけないし、向こうからも返事はない。
これが今までの食事の渡し方であり、今回もやる事はやったと、身を翻してその場から離れようとした。
「待って」
「!」
突然の引き止める声に、煌の肩がビクリと跳ねる。
一呼吸おいてからそっと部屋の前に行くと、扉一枚を隔てて人が微かに動く気配がした。
そのままどう反応したらいいか分からずに立ち尽くし、向こうからの反応を窺う。
「……今まで自分の分を僕にくれてたんでしょ? 何で、敵だった僕にそこまでしたの…………同情でもした?」
「……」
話しかけてきやがった……しかも、答えにくいやつ。
確かに人間だと分かったり、朧に追い出された槐に同情した。
だけど、そもそも大っ嫌いな奈落の民を匿おうと思ったのは……たぶん、こいつとの戦闘が楽しくなってきたからだ。
こいつは強い。
ただ、他の守護者も強いけど、俺と力が一番近いのは槐だと思う。
何度か戦闘し、最後のあの戦いは、俺の中では互角の動きが出来ていた。
どこか懐かしく、久しぶりに気持ちが沸き立つあの感覚。
――――ああ、答えは決まっているじゃないか。
「お前ともう一度、戦いたい」
俺の心からの望みはそれだ。
「…………何、それ。やっぱりバカだね」
「ほっとけ」
いつもは苛立つ言葉さえ今は照れ隠しだと思った。
あいつがどんな表情かなんて分からねぇけど、喋り方で何となく察して、深くは突っ込まないでおく。
扉一枚挟んで二人の野郎が笑いあってるなんて、本来ならあり得ねぇしな。
……。
…………。
………………。
何となく和やかな雰囲気の中、槐との会話は途切れて、それからは暫く沈黙が続いた。
煌はすぐに去ろうとはせず、扉の前に座って背中を寄り掛けひたすら待つ。
扉の向こうには相変わらず気配あった。
……背中がじんわりと暖かい気がする。
もしかしたら、背中合わせに座ってんのかも。
何だかな……これさえ、懐かしい。
煌がまどろんでいると、布地が擦れる音と共に、扉から気配が少し遠退く。
そして、少し苦しそうな声がうっすらと聞こえてきた。
「……おい、体調悪いのか?」
「!」
慌てて立ち上がり、扉のノブに手をかけると、中から焦ったような声で“来ないで!”と言われる。
「大丈夫。開け、ないで……」
「大丈夫って……んな苦し気な――――」
煌が槐の静止を無視して少し扉を開けた時だった。
“ジ……ジ……”と小さな小さな音がしたのを聞き逃さなかった体は、反射的に扉をまた閉めてしまった。
「え、あ……?」
「――そう、それでいいよ」
中からは安堵したような吐息を漏らす槐の気配がする。
「まさか……おい、何でだよ? 今まで大丈夫だったよな!? 嘘だろ?」
目を見開き絶望したような表情で扉を見つめる。
顔は青ざめ、背中には冷や汗が流れた。
「…………ようやく、分かったんだ。今の僕が朧様の傍に居られない理由が……あそこは、奈落の場所。――――人間の僕は、仮面無しじゃ居られない所だったんだ」
少し落ち着いたのか、槐が再び扉に近付いてくる気配がした。
「お、れ……俺が……っ」
俺が避けたから……仮面を失い、そのせいで槐が――――――――堕ちる。
普通の人間は長い時間、破滅の神の気に耐えられない。
最近落ち人がいないうえ、ヒナタが何ともなかったから油断していた。
槐は仮面という条件付きで人間のままいられたんだ。
ここまで正気を保っていたのは、おそらくこの場所と……ヒナタ。
「待ってろ。今、ヒナタを――――」
煌が廊下を駆け出そうとした時、扉が“ダンッ!”と強く叩かれた。
「ダメ! かなり進行してるんだ……もう、無理。ヒナタが傍に居たままでも、結果は変わらなかったはずだから、遅かれ早かれ堕ちる日は必ず来る」
「でもっ!」
「連れて来ないで! 連れて来たら、絶対に許さない」
「……っ」
鬼気迫る槐の気配に、その場を動けなくなった体は、扉に背を向けたまま固まってしまった。
「お願いがあるんだ」
「……」
扉からの声に見えるはずがない状態で、嫌だと言うように首を横に振る。
「一つ、皆が寝静まった頃に僕はここを出ていく。そして、このことはヒナタには秘密にしておいて。理由は、分かるよね?」
アイツが……ヒナタがこの事を知ったら、迷わず追いかける。
槐が恐れているのは、堕ちた自分がヒナタを傷付ける事。
それは、俺も避けたい。
だけど……だけど――――その次はきっと……。
「二つ、万が一堕ちた僕と会ったら――――」
「嫌だ」
「君が……」
「嫌だって言ってるだろっ。 ――――何でだよ? こんな事になるなら、話さなきゃよかったじゃねぇか」
悲痛な声は叫び出したいのを堪えて、小さく呟やかれた。
その様子が分かるのか、扉の向こうからは微かに笑い声が聞こえる。
「――そうだよね、何か変なんだよ。僕もさ、君との戦闘が楽しかったのかも……凄く、懐かしい」
「!?」
「だからさ、お願いだよ。僕ともう一度戦って――――」
――――――――――殺してよ。




