転-7.白紫の玉
「朔! 朔はおらぬかっ!?」
静けさが広がる館に怒りをおびた睡蓮の声が響き渡る。
身に纏う白地の狩衣が、睡蓮のらしくない激しい歩きではためき、その後ろを慌てた様子で、ヒナタが必死に追いかけていた。
「す、睡蓮さんっ! 待って下さい!」
「ヒナタは部屋に戻ってよいぞ」
「えぇっ……」
睡蓮さんいわくこの痣は、朔さんと山に行った時に椿さんにつけられた一種の呪詛らしい。
私を印に道を開くとかなんとか……よく分からないけど。
「む、そういえば朔の能力が低くなっているのだったな……」
「はい、多分聞こえないと思います」
“面倒じゃのう”と睡蓮が溜め息をつくと、廊下の窓からヒラリと煌が入ってきた。
「あん? 来てたのかよ睡蓮……って、な、何だよ。何怒ってんだ?」
「朔は何処じゃ」
「え、俺帰ってきたばっか……」
眉間に皺を寄せた睡蓮が戸惑う煌に詰め寄り、壁に追いたてた為、全く状況を理解出来ていない煌は、冷や汗をかきながらベッタリと壁に貼り付いていた。
「煌も煌じゃ! いつもは野生の勘を無駄に働かせておる癖に、このような状態になるまで気付かんとは情けない!」
「え、何? 俺怒られてんの? 何でだよ!?」
「睡蓮さん! 煌君が野生感あふれているのは間違いないですが、煌君のせいじゃありません!」
「おい、何気にサラッと失礼じゃね」
あ、失言。
煌の怒りがヒナタに向かいそうになっていると、ひょっこりと蛍が顔を出した。
「睡蓮、朔なら険しい顔して、玄関ホールの方に歩いて行ったよ」
「おぉ、そうか! すまんが昴も呼んで、客間に集まっておいてくれぬか? 話がある」
蛍はニコニコとしながら首を少し傾げると、理解したようにコックリと頷いた。
「ヒナタ、心配せずともよい。他の者と共に待っていてくれぬか」
「睡蓮さん……」
「ヒナタ、大丈夫。睡蓮はヒナタの嫌がる事しないよ」
ちょっと心配だけど、付いていくのは無理みたい。
朔さん、大丈夫だといいけど……。
「……分かりました。待ってます」
「うむ」
颯爽と玄関ホールに向かって歩きだす睡蓮を見送り、煌は疲れた様子で溜め息をついた。
「何なんだよ……帰ってきて早々疲れたぜ」
「睡蓮、珍しく怒ってたね? ヒナタ、何かあった?」
うーん、よく分かってないから説明しづらい。
でも、煌君も気を悪くしてるし、さっきの見せておこうかな。
「これを睡蓮さんが見つけてあんな感じになったんだよ。呪詛だって言ってた」
『!』
ヒナタが髪を横にずらし、二人に首筋を見せると、揃って表情を険しくした。
「どうなってんだ? それを見る前は何にも感じなかったのに、今のお前……めちゃくちゃ奈落くせぇ」
「煌君!? 私が臭いみたいに言わないでよ!」
「あん? 言い方だったらお前だってさっきのそうだろ!」
煌君、野生の事相当根に持ってるんだね。
――でも、私は臭くないよ!?
「二人共待って、話が脱線してる。煌が野生なのも、ヒナタの臭いがキツいのも本当なんだから、言い合いしないで」
……。
…………。
………………。
何だろう……瞳から滝が…………。
「ヒ、ヒナタ!?」
「うぉい! マジ泣きすんなよ!? 俺も悪かったっての!」
ザバザバと涙を流すヒナタに、オロオロしている煌と蛍。
ヒナタも泣きやもうとするが、本当に滝のように涙が流れて止まらない。
え、いや、さっき滝とか思ったけど、本当に止まらないよ!?
三人が焦っていると廊下の角を昴が通りかかり、騒がしさに気づいた。
「……お前達、何をしている」
カツカツと靴音を響かせ、腕組みをしながら昴が三人の元にやってきたが、異様な状態に目を細める。
「何だ、この水溜まりは……まさかとは思うが、こいつの涙とか言わないよな」
「そうだよ、ヒナタの涙が止まらなくてこうなった」
「発端は俺かもしんねぇけど、お前のせいだろ蛍。何とかしろよ」
「えぇっ、喧嘩を止めようとしただけだよ?」
また騒がしい二人をほっとき、昴は表情を歪めながらヒナタに近付く。
「す、みませ、ん。止まらないん、です」
「……謝るくらいならさっさとそれを止めろ」
呆れ顔をしながらもヒナタの様子をうかがっていた昴は、右手で軽くヒナタの頬に触れた。
「あ」
昴さん、不機嫌そうな顔してるけど、目が……優しい?
……凄く懐かしくて暖かいな。
気付けは、ヒナタの涙はいつの間にか止まり、嬉しそうに笑っていた。
昴は頬から手を離し、溜め息をつく。
「……お前の顔は忙しいな」
「はい、そうみたいですね」
多分、滝の事以外を考えたから止まったんだろうな。
そういえば、私が泣き止んだ時に少しだけ昴さんがほっとした顔したような……気のせい?
ヒナタが昴をじっと見つめていると、昴は視線に気付いてパッと真顔に戻る。
「……泣き止んだのなら、簡潔に状況を説明しろ」
***
ヒナタ達はこれまであった事を話し、何とか昴に理解してもらった。
最終的に昴が先程の騒ぎの原因である蛍に対して、複雑そうな表情を浮かべていたのは、いうまでもない。
「呪詛の上から五感を遮る呪いでもかかっていたんだろう。意識しなければ何も見えず、感じない。まぁ、睡蓮だから気付けたんだろうな」
「睡蓮さん、陰陽師みたいですね」
「呑気だな。ばかじゃね? 呪詛かかってる人間が一番危機感ねーし」
「あ、もしかして煌君心配してくれた? ありがとう!」
「してねーし! 思い上がんなバーカ!」
「煌君口悪い!」
ぎゃあぎゃあとまた騒ぎだした二人。
首を傾げ相変わらず微笑む蛍。
そんな状況に昴は額に手を当て、深い深い溜め息をついていた。
***
その頃、睡蓮は玄関ホールから二階に上がる階段の途中に、朔を見付けていた。
朔は睡蓮に気付く事なく、昴の肖像画の前で佇んでいる。
どうやら前回ナイフを刺してしまった部分の修復をしているようであった。
「朔」
「!!」
睡蓮の呼び掛けに勢いよく振り返った朔の手から何かが飛び出し、階段を転がり落ちていく。
辺りに音を響かせながら、やがてそれは睡蓮の足に当たり動きを止めた。
「……朔らしい、隠し場所だったな。前のそなたなら、絶対に見付かることはなかったはず」
「…………」
睡蓮は足元に転がる白紫の玉を持ち上げ、階段上の朔を見上げる。
朔は振り返ったままの体勢から動かず、青ざめた表情で睡蓮の手にある玉を見つめていた。




