転-1.管理者
館に到着し、朔はゆっくり肩からヒナタを降ろした。
「私は昴様に先程の件を報告します。先にキッチンに行って、野菜などを洗っておいて下さい」
「分かりました」
ヒナタは返事をし、二階に上がっていく朔の背中が見えなくなると、キッチンに繋がる部屋に入った。
そこは長くて大きなテーブルが置かれている食事用の広間で、一番奥には昴の肖像画が飾られている。
「あ」
「え?」
突然声が聞こえその方向に振り向くと、キッチンの部屋から煌が顔を出していた。
「ちっ! お前かよ……朔かと思って期待したのによ……」
「舌打ちしないでよ。朔さんなら昴さんの所だよ」
「あん? 朝飯が遅いと思ったら、何かあったのかよ?」
「えっと……」
奈落の人の事言うと、煌君の機嫌悪くなるし……むしろ怒って捜しに行くよね。
朔さんに“なんで止めなかったんですか”とか言われそう。
黙り込んだヒナタに煌の片眉がつり上がる。
「何だよ……まさか――」
煌が勘づいてヒナタに詰め寄ろうとすると、“ガコン”と音をたてて朔が玄関ホール側の扉を開いて入ってきた。
そのままツカツカとヒナタの傍まで来るとため息をつく。
「まだキッチンにさえたどり着いていないとは思いませんでした。役に立たないメイドはいりませんよ? 早く動いて下さい」
“さぁさぁ”と言わんばかりにヒナタの背中を押しやり、そのままキッチンに行かせようとすると、煌が怪訝な表情で朔の横についた。
「朔、何かあったんだろ? 真っ直ぐキッチンに行かないで昴と何話してたんだよ」
「風で昆布が駄目になったので、昴様に粉ダシの許可をいただきに行っただけですよ」
「はぁー? 昆布? 拾えばいいだけじゃん! おかしいだろ」
確かに……――――って、朔さんの顔が無表情!
煌君も気付いて“やべっ”とか呟いてるし!
朔は眼鏡の位置を軽く直し、無表情のままぐっと煌に顔を近付ける。
「落ちた食材を昴様に出せと?」
「あーいや、昆布はもともと落ちてるようなもんだろ?」
「砂浜と地面では大違いです! 貴方は砂浜に落ちている茸を食べたいと思うのですか!?」
朔の力説に煌が怯む中、ヒナタは朔が背中に回した手が動いているのに気付く。
今のうちに行けって事だね。
よし! 朔さんが意識を逸らしてくれてる間に野菜を洗っちゃおう。
ヒナタはそーっとその場を離れ、最初の目的地だったキッチンにスルリと入ると、すでに並んでいた野菜を洗い始めた。
キッチンの外からはいまだに朔の怒濤の攻めが続き、しまいには昴や蛍の声まで聞こえてくる。
「落ちたものを食えとは良い度胸だな煌」
「ちげぇよ! 出来上がったものじゃなくて、昆布の話だ!」
「何を言っているんです? たかが昆布、されど昆布です!」
「何の話だよ!? ちょっとずれてきてないか!?」
「ねぇー、お腹すいたー……」
「……俺もすいたし、もう終わりに――」
「まだ終わってませんよ煌」
「もういいっての!! ~~~~っ! おいっ、ヒナタ!! なんとかしろっ!」
煌の叫びにヒナタの手が止まる。
ついでに他の三人がいっせいに口を閉じ、静まり返った。
聞き間違いじゃないよね?
私、煌君に……呼ばれたよね!?
ヒナタがキッチンからひょっこり顔を出すと、煌は顔を真っ赤にして俯いていた。
そんな煌を蛍がニヤニヤとした顔で見つめ、昴がビックリした様子でたたずみ、朔が呆れ顔で腕を組んでいる。
何だか可哀想になってきた。
「朔さん、野菜を洗い終わったので次の指示を下さい」
「……そうですね。皆さんお腹をすかせているようですし、手早く調理致しましょう。昴様、少々お待ち下さい」
「ああ、分かった」
朔が煌の傍から離れると、煌は一気に走り出そうとした。
しかし、蛍に何故か腕をガッシリ掴まれ引き止められる。
「はーなーせー!!」
「ダメだよ。すぐに出来るから、今居なくなると逆に食べ損ねちゃう」
蛍の言葉に大人しくなると、煌はすごすごと自分がいつも座っている角の席に移動して顔をふせてしまった。
昴は無言で煌の斜め奥にある自分の肖像画の前に座り、蛍は煌の向かい側に着席してニコニコ微笑んでいる。
「まったく……騒がしい始まりですね」
朔が愚痴をこぼしながらフライパンを火にかける。
「私はちょっと嬉しい騒ぎでしたよ?」
ヒナタが洗った野菜を一口サイズに切りながらほんわかと言うと、朔が呆れたような声を出す。
「貴女って人は……普段煌に冷たくされていますよね? 先程も庇っていらしたようですし、理解できませんよ」
「あはは……確かに。初めて名前呼ばれて、驚きと嬉しさで……。あ、朔さんも私を逃がしてくれましたよね? ありがとうございました」
「……煌が暴走すると、昴様に御迷惑がかかります。状況を予測して、山の出来事を黙っていた貴女に手を貸しただけです」
朔は少しの間ヒナタを見つめると、視線を料理に移して調理を続けた。
ヒナタと朔の間に凍てついた空気は無く、どことなく柔らかい雰囲気に包まれていく。
ゆったりとした中、問題なく出来上がった料理を並べ、味噌汁に口をつける昴を、朔と共に固唾をのんで見守る。
「……粉ダシも悪くない」
「良かった!」
ヒナタが笑顔を朔に向けると、朔も安堵した様子で少しだけヒナタに笑いかける。
「……」
「昴? 箸が止まっているよ」
「あぁ……いや、何でもない。ところで……」
昴と蛍の会話が耳に入り、ヒナタと朔が昴に目を向ける。
昴は朔とヒナタを交互に見ると、味噌汁の中から大根を一欠片取り出す。
大根は歪な形をしており、どの形とも言えない。
「これは何だ?」
「……ヒナタさん」
「えっと……すみません、一応紅葉にしたつもりです」
「……」
昴が色々言いたそうな表情で“そうか”とだけ言い、静かに摘まんだ大根を口に運ぶ。
ヒナタが苦笑いしながら他の二人を見ると、煌は形関係なく無言でがっつき、蛍は歪な大根をまじまじと見つめている。
蛍がヒナタの視線に気付くと、大根を摘まんだままニッコリ微笑んだ。
「ヒナタ、大丈夫だよ。とっても美味しい、この岩みたいな形の大根」
「ほ、蛍……フォローになってないよ……」
ヒナタが嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになっている中、静かな食卓に朔の深いため息が響き渡っていた。




