承‐5.赤い誘惑
一瞬何か別のモノが見えた気がしたんだけど、気のせいかな?
堕ち人とかの影響で敏感になっているのかもしれない。
ヒナタは少しだけ手に力を入れて朔の服を掴んだ。
そんな様子のヒナタに、朔の小さな“クスリ”とした笑いが聞こえる。
「……振り落としたりしませんよ? 昴様の許可なく、貴女を傷付けたり出来ませんからね」
それは、許可があったらやるって事だよね!?
ビクビクしながら担がれていると、森が拓けている場所に景色が変わった――しかし……
「これは……」
「?」
朔が見ている方角とは真逆の景色しかヒナタには見えなかったが、あちらこちらが荒れているのは分かった。
引っ掻いたような線が地面や木に刻まれており、木にいたっては薙ぎ倒されたりしたのもある。
「もしかして……熊?」
「――ヒナタさんの頭は平和ですね。まったく……熊より怖いモノがあるでしょう」
「……そう、でした」
呆れたような声と共に、朔はヒナタを地面に降ろした。
ヒナタが苦笑いしながらゆっくりと朔が見ていた方向を向く――――辺り一面に干されていた昆布が散乱し、そこらじゅうが引っ掻いた線で埋め尽くされていた。
「朔さん、もしかして……また堕ち人ですか?」
「……いえ、異世界の人間が落ちて来たらすぐに分かります。貴女の後は誰もいませんし、普通の人間が長い時間堕ちないでいるのは不可能です」
じゃあ、いったい誰が――?
ヒナタが散乱している昆布に近付いた時である――“ザワリ”と空気が震え、次々と昆布が腐敗を始めた。
「えっ……」
「ヒナタさんっ! 私の傍に来なさい!」
ヒナタが慌てて朔の傍に駆け寄ると、朔はすぐさま自分の背中に促す。
その合間に、辺り一帯黒い霧が発生し、その中からヒラヒラと椿の花弁が飛んできた。
「……花弁?」
ヒナタが誘われるように、花弁に触れようとすると、朔は慌ててヒナタの手を掴んだ。
しかし、ほんの僅かに遅かったようで、花弁に
触れた部分はうっすらと切れる。
「――っ、痛!」
「危機感が無い人ですね……後で治療して差し上げますから、動かないで下さい」
「は、はい」
ヒナタの指から紅い血が滲むのを見て、朔の顔が険しく歪む。
未だに椿の花弁が舞う中、突然女のゆったりした笑い声が辺りに響く。
「うふふ、怪我をさせちゃったかしら? でも……キレイね、ヒナちゃん。紅くて、私とお揃いだわ」
「!」
この声は……。
朔が警戒するように少し腰を屈めて辺りを見回す。すると、黒い霧が一斉に晴れ、そこに真っ赤なアメリカンスリーブのドレスを纏った女が現れた。
ゆっくりとした動作で、ウェーブがかかった栗色の長い髪をかきあげ、こちらに微笑みかけてくる。
その紅い瞳に映るのはただ一人、朔の背後にいたヒナタだった。
「あら、見えないわ。執事さん、退いてくださらないかしら?」
「生憎ですが、貴女に用はありませんのでこのまま消えて下さい」
さ、朔さん……言葉は丁寧なはずなのに、最後でかなりキツいよ。
さすがに椿さんも傷付くんじゃないかな。
口に指を添えて、悲しげな表情してるし……。
ヒナタは朔の表情を見るために背中から顔を出す。
――あ、何だか呆れた顔された。
「まぁ、“消えろ”だなんて失礼ね。私はただ、ヒナちゃんとお話したいだけなのに……やっと現れた私以外の女の子よ? ずっと、寂しかったの。ねぇ、ヒナちゃん……お話しましょう?」
椿が笑みを浮かべ、ゆっくりと手を差しのべながら近付こうとすると、朔は威嚇するように懐からナイフを取り出す。
「奈落の民に、寂しいなどという感情があるとは思えませんね。ここから立ち去らないなら、私がお相手致しますよ」
「ふふ……積極的なのね。でもごめんなさい、ダンスの誘いはまた今度にしてくださる? 今日は踊り疲れたから帰るわ……また会いましょう」
そう言うと椿は赤い唇を妖しく歪め、右手を上げて黒い霧を出現させると、溶け込むように姿を消す。
霧が晴れた先には椿が一輪落ちているだけであった。
「この場所の荒れは、奈落の民が関係していたようですね……普段は封印に関係ない場所には来ないんですが」
朔はため息をつきながら、ナイフを懐にしまい込んでヒナタの方を振り向いた。
うぅっ……朔さんの表情が険しい。
昴さんの為に用意していた昆布を、全部駄目にされたんだもんね……しかも、椿さんがここに来たのは私が関係してるって思ってるよ。
――否定は出来ない。
ヒナタがうつ向き気味でいると、目の前に手袋を着けた朔の左手が差し出される。
ゆっくりと顔を上げて朔を見ると、少しだけ眉を下げて複雑そうな表情をしていた。
「朔さん?」
「手を出して下さい……先程切った部分を治療しますから」
「あっ……はい、お願いします」
ヒナタが差し出された左手に自分の右手をのせると、淡い緑色の光が手を包み込む。
「……っ」
「?」
光を見つめていたヒナタは、苦し気にしている朔に気付く。
しかし朔はヒナタと目が合うと、すぐに元の涼しげな表情に戻り手を放す。
手を見ればすっかり傷は癒え、しっかり治癒されていた。
「朔さん、どこか体調が――」
ヒナタが言い終わらないうちに、朔は言葉を遮断するかの如く一気に担ぎ上げる。
「問題ありません。帰りましょう」
「わっ!? 急に担がないで下さいっ」
「……」
朔さん……やっぱり顔色悪いよ。
そういえば、蛍を治した時も同じような感じだった……やっぱり、治癒ってかなりの力を使うんだ。
帰り道、朔は言葉を発することなく森を駆け、担がれたヒナタは行きより揺れる視界に不安を抱いていた……。




