小話.朔
朔視点になります。
先程騒動があった昴様の部屋をノックする。
すぐにドアは開き、普段着に着替えた昴様が部屋の中へ招き入れてくださった。
「早かったな……」
「はい、蛍が知らせに来てくれたんです」
コーヒーの用意をしながら話をする――いつもの光景だが、今は少し落ち着かないかもしれない。
……やはり昴様も私がぎこちない事に、気付いていらっしゃるようだ。
深く椅子に腰掛け、全てを見通しているかのような澄んだ瞳が私に向けられている。
「ブラックか、蛍には言ってなかったんだが」
「昴様が申し付けられた時、ヒナタさんが居ましたので……」
「あぁ……覚えていたのか」
「そのようです……昴様、どうぞ」
「あぁ」
ブラックコーヒーが入ったカップを昴様に差し出すと、受け取ったはいいが、揺れる漆黒の水面を見つめたまま、一向にお飲みにならない。
「――昴様、あの……先程も倒れられましたし、体調が悪いのでしょうか?」
「……夢見が悪くて、寝不足なだけだ。問題ない」
昴様はそうおっしゃってカップに口をつける。
――やはり、顔色があまり良くない。
「昴様、少々失礼します」
お邪魔にならない程度に側に寄ると、意識を集中させ、治癒の力を発動させる。
昴様に向けた手の平が淡い緑色に光ると、優しく体を覆っていき、しばらく経って光は全て昴様の体に染み渡って消えていった。
「すまない、朔」
「いえ、顔色が良くなったようで、安心致しました」
治癒が完了すると、昴様の顔色は先程より赤みがあり、効果があったようだ。
「それでは、失礼します」
「……あの部屋は――」
「……」
あまり長く居ては昴様の負担になると思い、部屋を出ようとすると、昴様は窓の外を眺めながらポツリと独り言のように話す。
「――俺の婚約者の部屋……だよな?」
「はい」
「あの部屋に、居た……はずだ」
「もちろんですよ、昴様。急にどうしたのですか?」
昴様はゆっくり窓から視線を私に向ける。
「では、俺の婚約者は今、どこにいるんだ?」
「何を仰っているんですか……あの方は――――」
――――口から言葉が出てこない?
簡単に言えるはずの事が……言えない。
まるで、頭に霧がかかったように、分からなくなっている。
「覚えているのは、漠然と“俺には婚約者がいる”それだけだ。――俺は、顔どころか名前さえ覚えていない」
「……な、まえは……」
戸惑い見つめる私に昴様も頷く。
「あやふやでずっと落ち着かなかった。それなら、代わりに入れておいた方がマシだ。……あの部屋はあいつに貸す。いいな、朔」
「……」
昴様の言葉に頷くしかなかった。




