承‐1.初めまして、ご主人様
ここは一階にある朔さんの執務室です。
たった今からここが私の一日の始まりになる。
……厳密にいえば、この世界は黄昏で時間が止まっているのだから、いつから今日なのか明日なのか分からないけど――今も黄昏が綺麗です。
「ヒナタさん、その緩んだ顔を引き締めなさい」
「!」
「貴女は、今、“メイド”ですよ?」
「は、はいっ」
時は遡ること、8時間程前――――。
「奴隷って……何をするんでしょうか? 飲まず食わずのうえ、不眠不休で肉体労働ですか?」
朔はヒナタを頭から足のつま先まで眺め、呆れたような表情で溜め息をつく。
「貴女にそんな体力ないでしょう。御臨終する気があるなら、止めませんが」
「怖いこと言わないで下さい! 遠慮します!」
「なら、貴女が出来る事は――これしかありません」
そう言いながら、朔がいつの間にか手に持っていた物を、“バサッ”とヒナタの前に差し出した。
黒い膝下程のスカートはサラサラと揺れ、白いエプロンは可愛らしくレースがあしらわれている。
まぎれもなく――――……
「メイド、服……」
「はい。私が監視もかねて、貴女の上司になります」
「……ちなみに、この服は――――」
「私が作りましたが何か?」
朔は当然のように表情を変えずサラリと言う。
……朔さんに部下は必要ない気がするよ。
「問題無いのでしたら、今から睡眠を取って……8時間後に私の執務室に来て下さい。時間厳守で、もちろん“着替えて”ですよ。――何か質問は?」
「ありません……」
「よろしい。それでは、良い夢を」
用は終わったと言わんばかりに、朔はさっさと部屋を出ていく。
メイド服を押し付けられ、呆然と立ち尽くすヒナタを残して――――。
そして今に至るのだ。
「サイズはいかがですか? まぁ、私に限って間違う事はありませんが」
「……はい。全て、ぴったり……です」
「当然です」
えっと……私のサイズは言ってないのに、本当にぴったりなんだけど……ちょっと、怖い。
ヒナタがチラリと朔を見ると、朔は腕を組み、左手を顎に添えた状態で、ヒナタのメイド姿を凝視していた。
そしてヒナタと視線が交わると、“フッ”と鼻で笑う。
「安心なさい。私は貴女に少しも興味がありませんから」
何ともいえない空気が流れる中、朔は“サッ”と懐から真新しい手帳を取り出した。
「これを貴女に差し上げます。一日のスケジュールが記入してありますので、覚えて下さい」
「あ、ありがとうございます」
どんな事するんだ……ろって……うわぁ、びっしり書いてる!
米粒並みの字の列が……。
しかもやたらと“昴様・昴様・昴様”
奴隷かな……これ。
「では、行きますよ」
執事モードにスイッチが入った朔は、素早く部屋を出ていく。
えっ……待って、私は!?
――そうだ! 手帳!
えっと、一番初めは――――“昴様に御挨拶”?
「……私が行かないと始まらないよね、これ」
「――そうですよ。それで? まだ来ないつもりですか?」
「えっ!?」
突然の声に振り向くと、朔が執務室のドアに寄り掛かっていた。
「貴女が遅いので、昴様の部屋から引き返してしまったじゃないですか。……まぁ、私の速さに追い付くわけないですが」
「え、さっきの時間で部屋まで行けたんですか?」
「当然です」
「…………私には、無理です」
「期待していませんから、大丈夫です」
この世界の人って、どれだけ凄いんだろう。
すでに、置いていかれてるような……。
「さぁ、早くしないと昴様をお待たせしてしまいます」
「は、はいぃっ!」
またまた風のように歩いて行く朔を、ヒナタは必死に追いかけていった。
***
“コンコン”と良い音が廊下に響く。
朔は昴の部屋のドアを軽くノックした。
「お早うございます昴様、朔でございます」
朔が声をかけるが、部屋の中からは沈黙が続いている。
「昴様が起きていらっしゃらないなんて珍しいですね……。御挨拶無しで貴女に仕事をさせるわけにはいかないので、もう一度だけノックして、ダメなら執務室で待機しておいて下さい。私は今のうちに昴様のモーニングコーヒーを用意しますので」
言いたい事を一気に伝えると、朔はさっさと廊下を歩いていってしまった。
いきなり一人って……えっと、とりあえず、ノックだよね?
ヒナタがドアをおそるおそるノックする。
すると、先程は沈黙を貫いた部屋から人の気配を感じ、ドアに近付くのが分かった。
そしてヒナタの目にゆっくり開くドアの向こうが映ると、一気に血の気が引いていく。
乱れた前髪からトロンとした瞳、鍛えられた上半身に衣服は纏っていない。
下は履いていたが、ヒナタの思考回路は、無防備な昴の姿に機能を停止させた。
「――朔、か? すまない、今日のコーヒーはブラックのまま――――……は?」
「……」
「……」
ドアを開けた状態で固まる昴。
一瞬の沈黙の後、先に我に返ったのはヒナタであった。
メイド、私はメイドだった!
あ、挨拶!
「お、おはようございます! 本日より働かせて頂く、ヒナタです。宜しくお願いします…………ご、ご主人様」
――って、あれ?
昴さんが…………無反応。
ご主人様じゃ駄目だったとかかな。
「えっと、申し訳ありません! ……旦那様?」
「……っ」
突然崩れ落ちる昴の身体。
そのままヒナタの目の前で“バタリ”と倒れ込んでしまった。




