転‐7.激昂なる時間-2
「蛍!」
昴の苛立ったような声が森に響き渡り、槐を襲っていた蛍の手が止まる。
「いいかげにしろ」
「……」
額に青筋を浮かばせ、こめかみをピクピクしながら刀を振るう昴に、蛍はニコニコしながら近付く。
そして可愛らしく小首を傾げる。
「一石二鳥で殺れなかったよ、ごめんね」
昴の額の青筋が増えたのは言うまでもない。
蛍が堕ち人に集中したのを確認し、ヒナタは槐に駆け寄った。
「槐君、大丈夫?」
「まぁ、何とか?……それより、あの四人ならそんなに時間もかからずに終わらせるはずだから、ここを離れるタイミングを考えないと……」
「うん……でも、いつもは止めを刺す前に堕ち人が消滅しちゃったって聞いてるよ」
「――――あぁ、確かに。あれ見てよ、堕ち人から灰色の煙が出てるでしょ」
槐に言われ堕ち人を見てみると、確かに黒い肉体から天に昇る灰色の煙が薄く出ていた。
あれ、しかも堕ち人の動きも鈍くなってる?
四人の攻撃が遠慮なく当たって、弱冠スプラッ……うん、考えるのよそう。
「そろそろ、限界なのかもね」
槐君の言葉に同調するかのように、堕ち人の甲高い叫びが聞こえ、肉体がグラリと傾いて“ズシン!”と地面に倒れた。
弱々しく動く堕ち人の体からは、立ち昇る煙が激しくなっていく。
そんな堕ち人に、蛍は微笑を浮かべ遠慮なく鎌を振り上げる。
「さようなら」
わぁ、懐かしい。
記憶が戻ってもその台詞は変わらないんだね――って…………
「ダメーーーーーー!」
「え? ちょっと!」
突然堕ち人に向かって駆け出すヒナタに、槐が手を伸ばすも間に合わない。
そんな槐に気付かず、何処にそんな力があったのかと言わんばかりの速さで、蛍と堕ち人の間に滑り込んだ。
“ぜぇ、はぁ”と息をするヒナタの頭上で鎌がピタリと止まる。
「…………ヒナタ? 危ないよ。鎌の前に飛び込んじゃ駄目だよ?」
「う、うん。ごめんね」
「いや、さっきの人外的な速さをつっこめよ!」
穏やかにヒナタを諭す蛍に煌がツッコム。
そんなツッコミを軽くスルーして蛍がヒナタを退かしにかかる。
「どうしたの? 離れてくれないと、さよなら出来ないよ」
「ま、待って! これ以上はもうやめてほしいの。いつもはここまででしょ?」
ヒナタの言葉に蛍の瞳が僅かに細められる。
「――まさか……庇ってるの?」
蛍の冷たい光を宿した瞳に、ヒナタは凍り付く。
いや、だってね? なりたくて堕ち人になった訳じゃないし……あわわっ、な、何か、何か言わないとーーーー!
ヒナタが顔を青ざめさせてパニックになった時だった。
森に突然笑い声が響き渡り、黒い霧が堕ち人の後ろから辺りに広がる。
「優しいねぇ……流石、破滅の神に喚ばれたお嬢さんだ」
声と共に霧の中からゆっくりと男が現れた。
燕尾服にシルクハット、手に持ったステッキを片手に不敵に笑う。
奈落の民の一人、荻である。
フワリと飛ぶように堕ち人の肉体の上に乗り、優雅にヒナタに向かって紳士的に礼をする。
「そんなお嬢さんが破滅の神の“僕”たる堕ち人を庇うのは、当然のような気がするがねぇ……」
蛍はヒナタの腕を掴むと、自分の背に隠し荻を睨みつけている。
「荻!」
後方で様子を伺っていた槐が叫ぶ。
「オヤオヤ槐の坊やじゃないか。楽しそうな事をしているねぇ……是非とも私も交ぜてもらえないかい?」
「馬鹿な事言わないでくれる? この辺りはもう封印の影響が出てるから入るなって、朧様に言われてるよね?」
槐がイライラした声色で荻に近付いていく。
しかし動じた様子もなく、荻はニヤニヤしながら堕ち人の肉体をステッキでつついて話す。
「影響かい? 何ともないんだがねぇ~。朧殿の杞憂、じゃないかね? それに、槐の坊やこそ勝手な行動じゃないかい?」
荻はステッキをヒナタに向ける。
「お嬢さんの件は、朧殿の御命令かな? ひゃひゃっ!」
「――――」
槐は拳を強く握り締めたままピタリと立ち止まり、動かなくなる。
――槐君、独断で動いてくれたんだ……後でお礼を言わなきゃ。
それにしても荻さん、さっきから堕ち人の上に乗って失礼だし、何か最初に会った時と違って禍々しい? 荻さんの体に黒いモヤみたいなものが巻き付いていってるし……何だろ、あれ。
ヒナタが蛍の背中から顔を出して首を傾げていると、荻がヒナタを見てニヤリと笑う。
「お嬢さん、何か視えますかな? ひひっ!」
荻の瞳は赤黒く鈍い光を宿しており、ヒナタは嫌悪感から荻を睨みつけた。
「貴方、禍々しいです」
「――ヒヒッ! ヒャーハハハハハハヒハヒハハッ!」
正直にヒナタが荻にそう言い放つと、心底嬉しげに大声で笑い始めてステッキを高々振り上げる。
「視えますか! 結構、結構! ではこちらも、見せて差し上げないといけませんなぁ! アヒャヒャ!」
「え、何?」
目を見開いて笑う荻のステッキに、不気味な黒いモヤが集まっていくのがヒナタには見えた。
「何だ? 俺には何も見えないぞ」
「私もです」
「何だよ! 何しようとしてんだ!?」
「……」
昴達守護者には黒いモヤを視る事が出来ず、ただ不気味な雰囲気だけを感じとっているだけであった。
その逆で、黙っていた槐には荻が何をするか分かったらしく、焦ったように顔を上げる。
「荻! やめろ! 破滅の神との干渉は身を滅ぼすぞ!」
「関係ないなぁ! 干渉するのは、この者だからねぇ!!」
荻は禍々しいモヤが宿ったステッキを、勢いよく堕ち人の体に突き刺した。
「ガアアアアギッガッガガアアア――――!」
雷が落ちたような閃光と、堕ち人の苦痛に満ちた叫びが辺り一面を覆う。
ヒナタ達はあまりの眩しさに一度目をつぶるが、“グチャ、グチャ”と耳障りな音が聞こえてくる。
――ゆっくり、目を開けると辺りは黒い霧に包まれていた。
不気味な音は何処からともなくまだ聞こえてくる。
しかもヒナタは、先程の閃光で蛍の背中から離れてしまっており、手を伸ばしても何も掴めなかった。
「ヒナタっ!? 何処!?」
「蛍?」
蛍の焦ったような声だけが辺りに響く。
誰が何処にいるかも分からない緊迫した状況に、ヒナタがゆっくり後ろに下がり始めた時だった。
背後から不気味な音がヒナタの耳に入る。
「――え?」
「っ!? ヒナタ!」
蛍の叫びが聞こえる中、私の体に黒い触手が絡み付き、あっという間に霧の中に引き寄せられる。
「――っ!?」
不気味な音が間近に聞こえ、ヒナタの瞳はソレをとらえた。
「あ、あ……」
言葉にならない声が出る。
赤黒く変色した肉体からは無数の目玉がギョロギョロと動き回っており、荻が刺したままにしたステッキの下辺りに男の顔がしっかりと現れていた。
そして側には、荻がニヤニヤとしながら空中に浮かんでいる。
「……イタイ、カナシイ、サビ……シイ」
「おぉ、可哀想な人間だった者よ。慈悲深いお嬢さんが傍にいてくれるそうだ」
荻がそう告げると、触手がゆっくりヒナタの脚に絡み付いて、赤黒い肉体に取り込み始めた。
「待って! それは、駄目!」
ヒナタは体を捻って抵抗するが、堕ち人の行動は止まらなかった。
そんな様子を荻が愉快そうに笑った時だった。
黒い霧を打ち消すように突風が起こり、辺り一面を覆っていた霧が一瞬にして吹き飛んだ直後、物凄い速さで鎌を両手で回転させていた蛍の姿が露になる。
「僕を完全に怒らせるなんて……絶対に許さないよ」
蛍の琥珀色の瞳はつり上がり、荻を射ぬくように睨みつけていた。




