ゲーミングブレイン
「あれ、柏木さん?」
これからどうしようかと思いながら病院を出ると、一台の乗用車が俺の前まで走ってきて、停車した。
滑らかな流線型を描くようなデザインの車が多いなかで、どこか古臭く無骨さを感じる。
この車には見覚えがあった。
「おう、こんなところでなにしてるんだ? とりあえず車に乗れや」
中から出てきたのは、使い古したスーツを着て、少し色の入った眼鏡をかけている無精髭の男。柏木さんだった。
「柏木さんこそこんなところでなにしてるんですか」
「なにって、お前に会いにきたんだよ」
「どうして場所がわかったんです?」
「GPS。お前の場所は常に把握してる。言う必要がなかったから言ってなかったけどな」
「ひぇっ……」
スマートデバイスに知らず知らずのうちに位置情報がわかるアプリでも入れられていたのだろうか。
そう思ってスマートデバイスを操作して軽く確認するが、それらしいファイルは見つからない。
フォルダの深い部分にでも仕込まれたのだろうか。
「いいからさっさと乗れ。時間がない」
俺はよくわからないまま柏木さんに促されて助手席に乗り込むと、車はすぐに走り出した。
俺はとりあえず、病院の医師に脳インプラントの手術を断られてしまったことを伝えることにした。
「馬鹿だな、お前。断られるに決まってんだろ」柏木さんは呆れ顔でいった。
「そうなの?」
「そうだよ」
窓の外では見慣れない景色が流れていく。どこに向かっているんだろう?
「どこに行くんです?」俺は疑問を口にしてみた。
「成田空港だ」
「え? なんで?」
「大会まであと2週間しかない。さっき速攻で海外で手術の約束を取りつけたんだ。喜べ。なんとかやってくれるところを見つけたよ」
俺はびっくりして運転席の柏木さんに詰め寄った。
ちなみに、運転はAIが行ってくれているので運転手がハンドルから手を離しても安全性には一切問題ない。
「海外!? ちょっと待ってください。なんの相談もなしにいきなりですか?」
「日本で手術ができないんだ。そりゃお前、海外でやるしかないだろ。脳インプラント手術ってのは、全部AIを搭載した機械がやるんだろ? 手術の腕前なんかいっさい関係ないんだし、海外でやるから危険ってわけじゃないだろ。日本でも海外でも、やることは同じだ」
「でも、そっか。そう、ですよね。ちょっと面食らいました。すみません」
そうは言ったものの、どこか心に不安がよぎる。
忘れてることがある気がする。
まゆまゆの顔が頭に浮かぶ。
今朝も家を出るときに顔を見たはずなのに、なんだかずっと会っていないような気さえする。
こんなとき、まゆまゆなら俺になんていうだろう?
なんだか心細くて、すぐにでも彼女に会いたかった。
「なにか言いたそうだな」柏木さんはこっちを見ずに言った。「なあ、藤田。そろそろ覚悟を決めてもいいんじゃないのか?」
「…………」
「龍飛に勝ちたいんじゃないのか?」
「まあ、そりゃ……」
そこで、俺は人間医師からいわれたことを思い出した。
伝えなければいけない大事な情報だ。
「さっき先生から聞いたんだけど、もし仮に脳にチップを入れたとしても全盛期のパフォーマンスが戻るとは限らないらしいですよ」
ふむ、と柏木さんはつぶやく。「龍飛は、通常の医療目的のチップではなく、ニューロエンハンス社の開発したチップをベースにして作られた、特別なゲーミングチップを脳内に埋め込んでいる」
「ゲーミングチップ? ゲームに特化したチップってことですか?」
「そうだ。龍飛の脳はつまり、ゲーミングブレインといっていいだろう」
柏木さんは続けた。
「だからもし仮に日本で手術を受けて普通のチップを入れても無駄だ。それでほんのちょっとパフォーマンスが改善された程度では、あいつにはどうあがいても勝てないんだよ。お前も昨日じっさいに戦ってみて強さがわかったんじゃないか?」
たしかに彼の強さは尋常じゃなかった。
『あんな奴には、だれも勝てない』
俺はネットの書き込みを思い出していた。
なんてことだ。
普通の脳を持った普通の人間が、そんな奴に勝てるわけがない。
龍飛はゲーミングブレインを持った、ゲーミングヒューマンだったのだ。
「柏木さんは、俺にその手術を受けるべきだと?」
「それはおまえが決めることだ」
「……ちなみに手術はどこで?」
「北京だ。龍飛も北京で同じ手術を受けた」
「俺は……」
いくら頭を働かせてもなにがなんだかわからない。
この状況は、俺の想像の範囲を超えている。
俺はどうしたらいいんだろう。
俺は、いったいどうしたいんだろう。
「決めろ。このままプロ引退してベーシックインカムで基本生存者として暮らすか。手術を受けて龍飛と戦えるパフォーマンスを手に入れるか。たとえどちらを選んだとしても、俺は一生お前の友人でありたいと思っているがね」
「柏木さん……」彼は、俺の意見を尊重してくれている。「まゆまゆに相談してもいいかな?」
「あまり時間はないぞ」
車は走り続け、現在は病院のある東京郊外から大きなビルが立ち並ぶビジネス街を抜けたところだ。
だんだん高層ビルやその周囲を縫うように飛び交うドローンの数も減っていき、代わりに駐車場や昔ながらの民家、畑などが増えてきた。
成田空港が近づいているのだ。
俺はスマートデバイスを操作し、連絡先をまゆまゆに設定する。
そこで手が止まった。あとは指で軽くタップするだけで彼女に通話がつながる。
わざわざ聞かなくてもわかっている。
まゆまゆはきっと止めるだろう。
俺がプロじゃなくてもいいと言うだろう。
住む場所はタワーマンションじゃなくてもいい。
おしゃれだってしなくていい。
移動だって自動運転のタクシーを使うことはない。
ふたりで分担して家事をすればアシストロームなんかいらないし、家計が苦しいなら無理して天然肉を食べることもない。
おかずは人工肉と少しの野菜で十分だ。みんなそうしてるし、今の時代はそれが当たり前だ。
今までが特別だっただけ。
質素な暮らしでもきっと一緒なら楽しいはずだよ、と……。
俺は、いったいどうしたら……。
「なあ、藤田。こんな時は感情じゃなく、論理で考えてみたらどうだ?」
俺が悩んでいると、柏木さんが提案した。
「……論理ですか。論理的思考とかそういう?」
「そのとおりだ。論理ってのは徹底的に無駄を削ぎ落とした、純粋で、一番キレイなものだ。論理的に正しい行いが必ずしもよい結果になるとは限らないが、困ったときに考える手がかりにはなるんじゃないかな。考え方を変えてみるってやつだ」
「なんとなく言いたいことはわかりますが、いまいちピンと来ないですね。なんか難しそうで」
「そうか。じゃあ例え話をしようか。俺の話で悪いがな、恥ずかしながら、俺は物心ついたときから親父のことを恨んでいた。昔流行った言葉を使うと、親ガチャに失敗したと思ってるクチだ。俺の子ども時代はひどいもんだったよ。親父ときたら、毎日まいにち蹴るわ殴るわ暴れるわで……」
「ちょっと待って。その話、長くなります?」なんだか面倒くさそうな話だったのでとりあえず制止した。
「まあいいじゃないか。別にすることもないんだし、少しくらい付き合ってくれよ」
「はあ……まあ、そうですね。仕方ないな……。聞きますよ」
柏木さんは再び語りはじめた。
「酒を飲んでも暴れるわ、風呂に入れば大声で歌うわ、寝ているときくらいはマシかと思ったら、今度はいびきはかくわで、まだガキだった頃の俺たち兄弟はいつも部屋の隅でビクビクしてた。聞いた話では、赤ん坊のときから泣きまくって暴れまくってたらしい。
そんなどうしようもない父親だから、当然ろくな死に方をしなかった。平均寿命が90歳を超える現代で、還暦も迎えずに死んじまったよ。警察の話だと事故だって話だが、親父を知ってる人間はみんな誰かに殺されたにちがいないって言ってる。そんくらい、親父を恨んでいる人は多かったんだ」
「それは……大変でしたね……」
柏木さんにそんな過去があったとは。あまり自分の話をしない人だから、少し驚いた。
「そこで、親父の葬式のあと、俺はあることを思いついた。そして、実行した。親父の骨壺に俺のクソを詰めてやったんだ。するとどうなると思う? ヒントは『論理的に考える』だ」
「さらっとひどいことを聞いた気がしますけど、えーと。なんだろう。スカッとする?」
「ばっか。感情じゃなくて論理で考えろって言ったばかりだろ」
柏木さんは呆れたように言った。
「この場合の正解はな、俺の行動の結果、親父の墓参りにくる奴らはみんな、ありがって俺のクソに手を合わせることになったってことだよ。これが論理的帰結だ。スカッとしたぜぇ。ざまあみやがれクソ野郎が」
最悪だ。真面目に聞くんじゃなかった。
なにやってるんだ、この人は。
「まあ、でも、決めた。行く。行きますよ。俺もこのままじゃいけないと思っていますし……」
「そうか。お前ならそう言うと思っていた」
俺はスマートデバイスをスリープモードにした。
なんだか、まゆまゆに判断を求めるのは間違っている気がしたからだ。
俺は、単純に彼女に止めてほしいだけなのかもしれない。
でも、これは俺が自分で決めるべき問題だ。
しかし、本当にこれでいいのかという不安がなくなったわけではない。
大きな人生の選択のときに、まゆまゆの意見を聞かないのも、それはそれで不誠実かもしれない。
いけない。
どうしたらいいのか、まったくわからない。
「ところで、さっきからなにしてるんです?」
俺は隣の運転席でなにやら作業をしている柏木さんが気になって聞いてみた。
なんだか小さな冊子のようなものをひらいて小さなものを貼り付けたりといった謎の行動をしている。
「ああこれ? パスポート作ってるんだよ」と柏木さんは言った。
「ん? パスポートを作ってる? どういうこと? パスポートって公的な場所から発行されるもんじゃないの? あ、そうだ。だめだよ柏木さん。俺そもそもパスポート持ってないもん」
俺はプロゲーマーとして世界での活躍を期待されていたが、実際にまだ海外にいった経験はなかった。だから、パスポートをつくったことがなかったのだ。必要になったときにつくればいいやと考えていた。
「馬鹿野郎。発行されるのなんか待ってたら大会まで間に合わねえだろ。大会まであと13日だぞ? 論理的に考えると、この場で俺がパスポートを作るのが最適解なんだよ」
「はあ!?」俺は思わず叫んだ。「おい、ふざけんな。柏木! お前、まじか。まじか。それ、お前、偽造パスポートじゃねえか!」
しどろもどろになりながら抗議すると、柏木さんは「はあ……」とため息をつきながらサングラス越しに充血した目で俺の顔を見た。
「なあ藤田。さっきまでの覚悟はどうした? お前らしくないぞ?」
「もういいよ! 覚悟なんて砕け散った! ずっと前から思ってたけど『なあ藤田』ってやめろよ。諭すみたいに言うなよ! どの目線でいってんだ。俺を犯罪に巻き込むな!」
「元気がでてきたじゃねえか。そうこなくっちゃな。大丈夫。捕まるときは一緒に捕まってやるさ」
だめだ。もう俺の話なんかなにも聞いてちゃいない。
最初からこのつもりだったのか!
この車に乗ってしまったときから、俺は詰んでいたのか。
いや、ひょっとしたら、はじめてこの男に出会ったときから俺は絡めとられていたのか……?
「降ろせ! 嫌だ! まゆまゆのところに帰りたい! まゆまゆにバブバブする!」
「なあ藤田。このままベーシックインカムで一生暮らしていく。そんなんでいいのか? お前の人生……本当にそれでいいのかよ!!」
「それでいいよッ!! ベーシックインカムで暮らす! 基本生存者最高! まゆまゆもいいって言ってくれる! バブーーー!!!」
「それじゃあ俺が困るんだよなあ……」
柏木さんが後ろを向いたかと思うと、すばやくふりかえり、腕をふりあげた。
次の瞬間、頭に強い衝撃を受ける。
なにが、起きた……?
「かはっ……。か、柏木、お、おまえ……!」
柏木さん――いや、柏木が右手に持っているのは大きめのレンチだった。
殴られた箇所が熱をおびたように激しく叫ぶ。
これはまずい。本当にまずい。
頭がグラグラして、意識を保つのがやっとだ。
「もう一度、夢を見させて欲しい。わかってくれ。お前の一番のファンは俺なんだよ。お前はこのまま消えていい男じゃない」
必死で睨み返す。
しかし体がまったく言うことを聞かない。
よくない殴られ方をしたらしい。
見ると、柏木の持っているレンチからは血が垂れていた。
右手で殴られた箇所……側頭部を触ると、手のひらにべっとりと血がこびりついた。
「くそっ……」
こいつ、やりやがった。
俺はなにもできず、目をつむってシートに体をあずけるしかなかった。
めまいと耳鳴りがひどい。
俺はこれから、どうなってしまうんだ。
この男を信用したのがそもそもの間違いだった。
今となってはもう遅いが。
まぶたの裏に、まゆまゆの表情が浮かぶ。
彼女の声だって、今となりにいるみたいに思い出せる。
まゆまゆ、ごめん。
もっとちゃんと、まゆまゆの言葉を聞いておけばよかった。
そんなに気負わなくていいって、いってくれたのに。
「悪いな。奏。もう手術代は送金済みなんだ。彼女さんには俺からうまいこと言っておいてやるから心配するな。なあに、全部うまくいくはずさ」
それが、俺が意識を失うまえに最後に聞いた彼の言葉だった。
†
気づいたときには知らない場所にいた。
空気の匂いが日本とは違う。
体に振動を感じながらゆっくりと目を開けると、状況が少しずつ理解できた。
どうやら俺は車椅子に乗せられているらしい。
頭痛と耳鳴りは相変わらずひどいが、体も動く。とりあえず生きている。
車椅子を押しているのはどうやら柏木のようだ。
そして、その隣を歩く見知らぬ男となにやら会話をしている。
日本語ではない。中国語だろうか。
見慣れない景色。理解できない言葉。
朦朧とする意識のなか、目を瞑って聞き取れない言葉でやりとりするふたりの会話に耳をすませる。
なにやら言い争っているようだ。トラブルでもあったのか?
しばらくすると、俺を乗せた車椅子はUターンした。
俺はゆっくりと目を開けた。
どうやらふたたび空港の方へと向かっているらしい。
抵抗しても無駄だと悟った俺は、よくわからないままされるがままになっていた。
空港へ到着する。
飛行機に乗るらしい。
北京でなにかトラブルがあったのだ。よかった。このまま帰れるのか。
はやく日本に帰りたい。
そう思いながら、俺はふたたび目をつむり、意識を手放した。
†
「いいかげん起きな、ねぼすけ」
知らない老婆の声だ。
ただ今はとりあえず日本語で話しかけられたという事実に安堵し、俺は目をひらく。
目の前で、金属製の杖をついて背中の曲がった小柄な老婆が俺の顔を覗き込んでいた。
頭髪は縮れた白髪のざんばら髪で、顔はしわだらけだ。
「なかなか可愛い顔をしてるじゃないか。あんたが藤田奏だね」
「俺は……」
俺は……。
そうだ。俺は藤田奏だ。
バトルストリート20XXのプロゲーマーで、東京の一等地のタワーマンションで大好きな彼女と同棲中の、藤田奏だ。
相変わらず殴られた箇所は痛むが、だんだん意識がはっきりしてきた。
大丈夫だ。記憶はしっかりしている。
俺はどうやら、空港にある待合室の椅子にすわっているらしい。
しかし、この場所には見覚えがない。
空港の利用客がちらほらみえるくらいで、意識を失う前まで一緒だったはずの柏木の姿も見当たらない。
「そうです。俺は藤田奏。あなたは?」
「神崎子都」老婆は名乗った。「まあ、あたしの名前なんかお前さんにとっちゃどうでもいいだろうさ。ニューロエンハンスの関係者、とでもいえばわかるかい?」
「ニューロエンハンス……神崎……」俺はつぶやいた。「ということは、ここは日本?」
あたりを見渡す。
とりあえず俺がいまいる場所は空港で間違いないようだが、成田空港ではなさそうだ。
「ひっひっ。日本だって? ここが日本に見えるのかい? 面白い子だね」
なにか笑われるようなことでも言っただろうか。
そして、ふくしれだった枯れ枝のような指で頬をなでられる。ひどく冷たい。
「そうさね。ずっと寝ていたんだからね。お前さんがなあんにもわからないのも当然だ。しかし柏木とかいう男もひどいことするもんだねえ。かわいそうじゃないか。だめだよ、あんなわけのわからないチンピラみたいなのと関わっちゃ……」
そうしてなにがおかしいのか、老婆は俺の顔を見てもういちど声をあげて笑いはじめた。
「ここは一体どこなんです?」
俺がたずねると、神崎子都と名乗った老婆は、にやっと笑みを浮かべながらいった。
「北朝鮮だよ」
俺がつれてこられた場所は、北朝鮮だった。




