職業人
予想外の事態が起きたせいで予定よりはやく用事が終わり、手持ち無沙汰になった俺はニューロエンハンスの本社の近くをブラブラ歩いていた。
神崎社長は無事だろうか。
今の時代、お金さえあればたいていの病気や怪我を治療することができる。
派手に痙攣していて最後には意識まで失っていたが、最悪な事態にはならないと信じたい。
俺はとりあえず、スマートデバイスを操作して柏木さんに連絡することにした。
「奏か。どうだった?」
0.5秒で反応してきた。
「柏木さん。ちゃんと行ってきましたよ。でも、ちょっとトラブルがあって」
「なんかあったのか」
「ええ。社長が病院に運ばれたんです。無事だといいんだけど。また今度、あらためて話をすることになるかも」
「そうか。でもちゃんといってきたんだな。えらいぞ」
なんだか今日の柏木さんは妙にやさしかった。気持ちが悪いくらいだ。
「やめてくださいよ。子どもじゃないんだから……」
「いいや、お前のことだから行くのをいやがってバックレる可能性も十分あると思ってた」
「柏木さんの中で俺の評価どうなってんですか」
実は少しバックレようと思う気持ちも心によぎったことは内緒だ。
それでもまゆまゆは許してくれるかもしれないが、いい加減これからのことをちゃんとしたいという気持ちもあった。
彼女の存在がなければ、本当にバックレていたかもしれない。
「でも、少しだけ説明うけたんですが、やっぱり俺ダメかも。ニューロエンハンスでやっていける自信がないかもしれません」
ゲームの世界に意識を閉じ込められた猿や、感電して病院に運ばれた社長の姿がすっかり俺のまぶたの裏に焼き付いている。
日常的にああいったことが行われているわけではないだろうが、それでも今後のことを考えると不安は残る。
たしかにお金はもらえる。
基本生存者(ベーシックインカムで暮らす人たち)から見れば目もくらむような大金だ。
しかし、あそこまで自分を捨てることが俺にできるのだろうか?
「……そうだよなあ。職業人として生きるってのは大変なことだよなあ」
スマートデバイスの向こうで柏木さんはしみじみという感じでいった。
「大人になるって、すごく難しいですよ。職業人は、本当にみんな立派だなってあらためて思いました」
「そうだなあ。奏には難しかったか……。そうだよなあ……」
なんだか意外な反応だ。
怒られても仕方のないことをいったつもりだった。
彼はいま、どういう心境なのだろう。
失望されている?
それとも別のことを考えているのだろうか?
「怒らないの? がっかりしました?」
「いーや。その可能性もあると思ってたからな。さっきもいっただろ。バックレるんじゃないかと思ってたって。バックレなかっただけお前はえらいよ」
貶されてるんだか褒められているんだかわからないな。
とりあえず今回の件がきっかけで関係がこじれるわけではなさそうなので、その点については安心だが。
「で、ちょっと考えてることがあるんですけど」
「言ってみ」
「中国の選手の龍飛。脳インプラントの手術を受けた選手が2週間後の大会に出場するらしいじゃないですか」
「らしいな」
「うちの彼女も障害で脳内にチップ入ってるみたいなんですよね。身近にそういう人がいるわけだし、ヤバイ手術じゃないってことは理解してるつもりです。少しでも今のパフォーマンスが改善されるなら……」
「藤田」
「あ、はい」
「そう言い出すんじゃないかと思ってた」
なにからなにまで柏木さんにはお見通しみたいだ。
俺ってそんなにわかりやすいのかな?
「柏木さんは賛成なんですか?」
「賛成でも反対でもない。お前の好きなようにしたらいい。でも……」
「なに?」
「お前がその気なら全力でサポートさせてもらうぞ。金の心配はするな。これでも俺はお前のマネージャーだからな」
「あ、ありがとうございます。それはなんだか、嬉しいですね」
昨日の龍飛との一戦。
俺は中国で最強といわれる12歳の少年に、まったく歯が立たなかった。
配信内で完膚なきまでに叩きのめされた俺の姿は一瞬でネット上で拡散され、大きな波紋を呼んだ。
俺がふがいない姿を見せたせいでファンのみんなを失望させてしまったに違いないと思い、炎上も覚悟していたのだが、意外にもそうはならなかった。
俺を罵倒する声はひとつもなかった。
その日だけは、アンチが言葉を失ったように静かになったのだ。
それよりも、龍飛のプレイを褒め称える声が圧倒的に大きかった。
『あんな奴には、だれも勝てない』
インターネット上で誰かが書き込んだ言葉だ。
あの試合には多少の偶然もあったのかもしれないが、現実を受け入れて、実力の差があきらかであると思った方がいい。
13日後に控えた、日本で行われる大きなゲームの祭典。
国際大会。
彼は中国代表として参加して、間違いなく勝ち進んでくる。
俺は去年の実績が考慮されてシード枠として選ばれているため、予選を飛ばしていきなり本戦のトーナメントに参加することになる。
そして、俺がトーナメントで勝ち続ければ、間違いなく龍飛とあたるだろう。
誰かがコメントで書いたように、100%勝つことはできない。
勝てるはずがない。
ただし、俺が現在のパフォーマンスのままなら、の話だ。
「期待しておけ。全力でサポートしてやる」
柏木さんの声には力があった。
その声には決意があった。
大事なときに、身近に俺の力になってくれる人がいることが、こんなに頼もしいとは思わなかった。
†
「医師の立場としては反対ですね」
かかりつけの病院。
細身の中年人間医師が手元の電子カルテに目を落としながらそういった。
なんとか試合までに間に合うように脳インプラントの手術をしてもらえないかどうか、病院に行って頼み込むことにしたのだ。
「念のため医療AIの判断も確認しましたが、私の意見と同じでした。おそらく、日本国内の良識のある医師なら、みんな同じことを言うでしょう。藤田さんのお気持ちは非常によくわかるのですが……お力になれなくて申し訳ありません」
「でも、俺にはゲームしかないんです。ちょっと怖い気もするけど、ヤバイ手術じゃないんですよね?」
俺は食い下がる。
どうにかして説得しなければいけない。
パフォーマンスを取り戻すためなら、脳にチップでもなんでも入れるしかない。
まゆまゆだって、別に反対しないだろう。
「脳インプラントの手術は」と人間医師が語り始めた。「病気や外部からのダメージなどの影響で、じっさいに障害が出た場合に治療を目的として行われます。具体的には、脊髄を損傷して動かなくなってしまった手足などを、日常生活ができるレベルにまで復活させたりするのを目指すんです」
「俺の場合はそれにあてはまらないんですか?」
「藤田さんの場合ですと、脳外科的にみると一般人として日常生活を送れるレベルであると判断できます。
脳インプラントの手術は、脳内の血管をじょうずに避けて進む専用のロボットに全部任せることになります。ですので、チップを入れるときは非常に安全なのですが、逆に取り出そうとすると脳の組織を傷つけてしまうことを避けられない。一度脳にチップを埋め込んでしまえば、一生そのままです。
安全な手術には違いありませんが、脳という重要な臓器に精密機器を埋め込むわけですから、今後まったく問題が起こらないとは誰ひとりとして言い切ることができないんです。
だから、日常生活に支障がないレベルなら手術を行うべきではないというのが医師としての私の主張です。
それに、根本的な問題として、もし仮にチップを埋め込んだとしても、プロとして全盛期のパフォーマンスが戻るという保証はどこにもありません」
「それでも、ほんの少しでも望みがあるなら……」
「医師の立場としては、健康な人に必要のない手術を行うことはできません」人間医師は、断言した。
ここまでか。
中年の人間医師は俺の表情をみて、申し訳なさそうに首をふった。
「これから言うのは、医師ではなく、私個人の言葉です」と彼は言った。「私には娘がいます。今年7歳になる娘でね。最近、バトルストリートをはじめたんです。藤田さんの影響なんですよ」
「それは……」
「次の大会、応援しています。期待していますから」
これ以上、わがままをいって先生を困らせるわけにはいかない。
俺は頭を下げて、診察室を出た。




