俺にはゲームしかない
ゲーミングチェアに深く腰かけて爪を切っていると、マンションの玄関のロックが外れる音が聞こえた。
どうやら同棲中の彼女のまゆまゆが外出先から帰宅したらしい。本名は赤坂まゆみ。
そういえば、友だちと遊びに行くとか言ってたっけ。
これ以上時間を無駄に消費するのにも飽きたので、PCの電源を落として席を立ち、彼女を出迎えることにした。
「おかえり」
「ただいま。ゲームしてたの?」
よそ行きのコートに身を包んだまゆまゆが、買い物袋を冷蔵庫の前に置いているのが目に入った。
もうすぐ春だが、外は冷たい風が吹いている。
「うん。お買い物してきたんだね。手伝うよ」
買い物袋の中身を確認すると、野菜や天然肉、鮭の切り身などが入っていた。
俺はせっせと中身を冷蔵庫に放り込む。
まゆまゆは俺に仕事をまかせ、洗面所で手を洗ったりコートをハンガーにかけたりしていた。
まだ夕方だ。友だちと遊びにいって帰ってくるにしては少し早い。
「ありがと。かなくんの体調も気になるしね。かなくん、あたしがいないとなにもできないじゃん」
その通りだった。
付き合った当時から世話になりっぱなしだったが、事故で頭を打ってからはそれに輪をかけて彼女に依存するようになった。
まゆまゆとは半年前にスマートデバイスのアプリを通して出会った。
個人の行動パターンはすべて政府に管理されていることは、現代の日本に住んでいる人なら誰でも知っている。
アプリには、そうして取得した情報から最適な相手を選んでくれるAIシステムが搭載されているらしい。
システムが算出した結果に間違いはなかったようで、俺たちは出会ってすぐに仲よくなった。
彼女は障害を持って産まれたと言っていた。
その関係で、子どもの頃に体の機能を補助するためのチップを脳に埋め込んだと教えてくれたことがあった。
でも、そんなことは気にならない。そういう事情も含めて、大切な彼女だった。
俺は冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、グラスに2人分の水を注ぐとまゆまゆに手渡した。
まゆまゆはソファに寝そべってくつろいでいた。だらしのない猫みたいだ。
彼女は起き上がって「ありがとう」と言い、美味しそうに喉を鳴らしてグラスの水を飲み干した。
「ちゃんと病院行ってきた?」彼女がこちらに顔を向けて聞いてきた。
「うん。次の大会、もしかしたらダメかもしれない」
「あらら、しょうがないよね。そんなこともあるよ」
彼女のグラスが空になっていたのでもう一度ミネラルウォーターを注いであげると、またすぐに飲み干した。喉がかわいていたらしい。
「気晴らしになるかわからないけどさ、一緒に『なろう』やってみない? おもしろいよ」
彼女が言ってるのは、『映像作家になろう』というWebサービスのことだろう。
2020年代にはじまった生成AIの技術の発展により、現代では簡単な操作で誰でも本格的な映画やアニメーションを作ることができるようになった。
人気のある作品には報酬も支払われる。
まゆまゆはこのサービス内でそこそこ人気のあるクリエイターで、毎月数万円程度の報酬を得ていた。
俺はなるべく嫌そうな顔をしながら、脳にチップが埋め込まれた彼女に抗議した。
「でもあれ、今からやってももう遅いって言われてるじゃん……」
まゆまゆのように最初期からサービスに登録している人はともかく、すでに作品が飽和状態になっているこのサービスでは、ぽっと出の新人が活躍するのは難しい。
『映像作家になろう』のサイトには毎日膨大な数の作品が投稿されているのだ。
しかも作品の大部分はAIによって生成される。
人間はざっくりとした指示を与えて、細かい部分を修正するだけだ。
人の手で1からストーリーを作ることもできる。
しかし人間の作った物語は、いくら一所懸命あたまを痛めて編みあげたものであっても、高性能AIが数分の間に作り出す『人間が本能的に親しみを覚えるようなキャラクター』『多くの人が感動しやすいストーリー』『ドラマを盛り上げる効果的な演出』などに勝つことができない。
結局ランキングを狙う多くのユーザーのほとんどはAIに任せきりになっているらしい。
投稿された作品は短い広告を見ることで誰でも無料で自由に閲覧することができる。
俺も見たことがある。
どの作品も面白かった。
しかし、その一方でランキングの上位陣の作品はどれも似たり寄ったりの印象を受けた。
そのときの流行によって人気のジャンルが固定されている上に、AIが生成しているものだから作品間のクオリティにもほとんど差がないのだ。
ぶっちゃけ、誰が作っても同じじゃないかと思えるほどだ。
ランキングに上がっているようなメジャーな作品だけではなく、評価の低い作品も視聴してみたことがある。
面白かった。
やはりというか、上位陣と比べてクオリティが劣るとも思えず(ほとんどの部分をAIが自動的に生成しているのだから当たり前だ)、個人的にはもっと評価されていいと思う作品も多かった。
必ずしも純粋な面白さで評価が決まるわけじゃないのかもしれない。
その点、ゲームは純粋で美しい。
何も持っていなくても、知名度なんかなくても、勝ち続ければ勝手に実力が評価されていく。
要するにゲームは最高ってわけ。どうだ、わかったか。ばか。
そんなことを気分よくぐだぐだ語っていると、まゆまゆは「はあ……」とこれみよがしに大きなため息をついて見せた。心底うんざりしているようだった。
「はいはい。でたでた。否定から入るやつ。かなくん。やらない理由やあきらめる理由なんて、いくらでも見つけられるんだよ?」
「うっ……。でもさあ!」俺は食い下がった。「こういうのってさ、もっと純粋であるべきだと思うんだよ。砂浜できれいな貝殻をあつめて笑いあう子どもたちみたいにさ、世の中の嫌なしがらみとかそういうのとは無縁であるべきというか……!」
もうだめだ。自分でもなにをいってるかわからない。
「夢の世界に生きてるね」まゆまゆは呆れ顔でいった。「色々言ってるけどさ、結局、失敗したくないだけだよね。カッコ悪い自分をみたくないだけ。違う?」
ぐうの音も出なかった。
「……まゆまゆにはわからないよ。俺にはゲームしかないんだ」
自分のことながら、ふてくされた少年みたいだなと思う。
「かなくんはすごいよ」まゆまゆはふと寂しそうな顔になって、ぽつりと呟いた。「でも、別にそんなに気負わなくていいんじゃない? 住む場所だって、別に安いアパートでいいんだし」
俺は自分勝手でどうしようもない奴だ。
ゲームしかできない。
他のことはしたくない。
ネットで称賛されるような人格者じゃない。
そんなだから、いつも人に迷惑ばかりかけている。
そして、まゆまゆはわがままな俺のことをいつも支えてくれている。
出会ってからまだ半年足らずだが、時々産まれた時から一緒にいるみたいに感じる。
世話を焼くのが好きな、俺にとって都合の良い女?
逆にまゆまゆの目には、俺はどう映っているんだろう?
ちょっと世話が焼けるけど、支配欲を満たしてくれる弟みたいな男?
win-winの関係ってわけか?
はあ。冗談じゃない。
「じゃあ今度、一緒に町のゴミ拾いでもしにいかない? 少しだけどお金になるし、健康になるよ」
落ち込んでいる俺のことを、励まそうとしてくれているのが伝わってくる。
だめだな。こんなこと言わせてるようじゃ。
もっと俺がしっかりしないと……。
「町の掃除か。そうだね。案外、楽しいかも……」
「あ! 忘れてた! 柏木さんから連絡あったよ!」
俺の言葉を遮るようにして、まゆまゆが思いついたように手をぽんと叩いた。
柏木さんは俺がプロゲーマーとして活躍をはじめた頃からマネージャーをやってくれていて、ゲームメーカーをはじめ、多くの企業に顔が利く人物だ。
少々癖のある性格をしているが、彼のおかげで入ってきた仕事も少なくない。
俺は柏木さんのことを尊敬していないが、信頼はしている。
「なんでそれ先に言わないの」
「ついうっかりしてて。さっきまでSNSにかなくんと同棲してることを匂わせる投稿しようと思ってたから」まゆまゆは照れたようにはにかんだ。
「匂わせって。別に俺は隠さなくてもいいけど。言いたきゃ言えばいいじゃん」
「はあ……」ふたたび大きなため息をつくまゆまゆ。
「匂わせるから価値が生まれるんであって、確定させたら意味がないんだよね」
「なにひとつ言ってることわかんない。でもありがとう。柏木さんに連絡するね」
「そもそも『俺はこんなものに縛られたくない』とか言ってスマートデバイスの電源切ってるかなくんが悪いんじゃん。私はお母さんじゃないんだよ?」
AIが自動生成したあざとい女性キャラみたいにぷくうっと頬を膨らませる。かわいい。
だけど、柏木さんからの連絡か。
なんだか嫌な予感がする。
俺は知っている。
予定のないときに柏木さんから連絡がある場合は、たいてい悪い知らせであることが多い。
俺は部屋にもどると、手の中にすっぽりと収まる長方形の板型のスマートデバイスを操作して、おそるおそる柏木さんにダイレクトメールを送った。
『まゆまゆから連絡があったって聞きました。なんかありましたか』
すると、2、3秒で俺のスマートデバイスから通話の着信音が鳴り響いた。
俺が連絡すると、彼はいつもすぐに返事をしてくれるのだ。
「奏? 今大丈夫?」
「大丈夫です」
「お前、彼女の呼び方どうにかなんないのか。バカップルみたいじゃないか」
「まゆまゆは、まゆまゆなんで」
「そうかい」カラッとした通りのいい中年男性の声が俺の耳に突き刺さる。「いやまあ、連絡っていっても別に大したことじゃないんだけどな」
「はあ、そうですか。それでどうしました?」
「おまえと契約してるスポンサーが、次の大会で成績出せなかったら次の契約は考え直したいってさ」
「それって、プロじゃいられなくなるってことですよね。やばいじゃないですか」
「そうだな」
「そうだなって。マジか……いや、いつかはそういう話もされるんじゃないかって想像はしてたんです。でも、そっか……まあ、そうなりますよね……」
前の大会の結果も散々だった。
信じられないミスを連発したせいで、ネットには俺に対する誹謗中傷、そして、同じくらいの擁護する声が溢れた。
勝てないプロはプロじゃない。
仕方ない。プロになったときから、覚悟していた。
「契約期間はあと半年くらい残ってるけどな。で、どう? 調子は」
「ぼちぼちですかね」
「ぼちぼちか」
「具体的には、さっきまでマスターの最底辺の床ペロペロ舐めてました」
「あーそうなんだ。美味しかった?」
「最高でしたね。ちょっと苦かったけど」
「俺も奏とずっと一緒にやってきたから悲しいんだけどさ、まあ仕方ないよ。不幸な事故だった。仕方ない。どんな名選手にも終わりは来るんだから」
「終わったみたいに言わないでください。マネージャーなら、もっとこう、俺を鼓舞するとか」
「ははは」
乾いた笑い。通話口の向こうで、ちっとも笑っていない柏木さんの表情が目に浮かぶ。
「でも、いい話もあるんだぜ。スポンサーは切るけど、代わりにお前のことを雇いたいって言ってるんだよ。今度は社員としてな」
「えっ。正社員になれるんですか?」
「そういうことになるな」
「うーん……」一瞬、考える。「でもなんで俺? 俺、義務教育もろくに受けてないし、ゲームしかできませんけど。子どもの頃から、学校行かずにゲームばっかりやってたの、柏木さんなら知ってるでしょう」
「それだよ」声の調子から、柏木さんのテンションが上がったのが伝わってくる。「どうやら社長がお前のファンらしい。会社のeスポーツ部の名誉アドバイザーとして雇いたいんだと」
「ああ、そういう……」
「それだけじゃない。ゆくゆくは会社員として通常の業務も任せたいって話だ。天下のニューロエンハンスの正社員だ。悪い話じゃないだろ。これは降って湧いたチャンスなんだ。社長さん、えらくお前のことを気に入ってるみたいだぜ」
ニューロエンハンス社は2020年代に立ち上がり、国内の医療機器メーカーとしてあっという間に成長した。
現在ではこの分野の業界のトップとして君臨している。
まゆまゆの脳に埋め込まれたチップもニューロエンハンス製だ。
「名誉アドバイザーでしたっけ? はっ、笑えますよ。名誉窓際社員の間違いじゃないですか? 俺みたいな無能な日陰もんがコネで優秀な人たちの集まりに放り込まれても、結局笑いものになるだけだ。完全にアウェイじゃないですか。ピエロですよ。惨めな思いをするのはごめんですね」
「なあ藤田」諭すように柏木さんは言った。「お前がゲームしかできないのは俺が一番よくわかってる。そんなお前がゲームの腕前を奪われて卑屈になるのも、まあわかる。けどさ、そろそろ将来について真剣に考えてもいいんじゃないのかな」
「いーや、別に働かなくても食っていけますしね。今の時代、仕事をせずに遊んで暮らしてる人なんかそこらじゅうに沢山いるじゃないですか。親戚のおじさんなんか一度も働いたことないのを自慢してるくらいですし」
現代の日本では、人間が働かなくてもAIがほとんどの仕事をこなしてくれる。
仕事は、限られた優秀な人間だけができるものになった。
大半の人間は、仕事をしたくてもさせてもらえないのだ。
理由は単純。ほとんどの場合、人間が働くよりAIが働いた方が効率がいいからだ。
交通管理や乗り物の運転、土木作業、農業、畜産、水産、医療、政治、法律関連の業務、芸術活動も含め……AIが得意な分野をあげればキリがない。
むしろ人間が働くことで、AIの足を引っ張ってしまう。
人間は、働かずに遊んで暮らしていたほうが、効率よく経済が回る。
寝ているだけで増えていく、無限のカネ。いっとき流行した、ソシャゲのスタミナみたいに。
そうして自動的に生み出された金の一部が、日本国民にベーシックインカムとして配られる。
質素な暮らしをするだけなら十分な額だ。
でも、人間の仕事がゼロになったわけじゃない。
ニューロエンハンスのような日本を代表する企業の社員のほかにも、例えば芸能界やスポーツ業界、エンタメの分野なんかは人間がやった方がファンのウケもいいということで常に優秀な人材が求められている。
将棋や囲碁の分野もとっくの昔にAIが人間の実力を超えていたという話だが、現在でも人間のプロ棋士が数多く活躍している。
俺がプロゲーマーとして活動できていたのも、そういう事情からだった。
「ひとりならそれもいいさ。結婚も考えてるんだろ? かみさんや産まれてくるガキにも楽な暮らしさせてやれよ。まともな教育を受けさせようと思うと金もかかる。ベーシックインカムだけでなんとかなるもんじゃない」
「それは、まあ……確かに」
「用件は伝えたぞ。今じゃなくてもいい。ああ、そうだ。もうすぐ配信の時間だろ?」
手元のスマートデバイスを確認すると、配信の時間が迫っていた。
プロゲーマーとしての活動の一環で、インターネットの配信サイトで定期的に配信を行っているのだ。
ありがたいことに俺の配信を見に来てくれるファンもいるので、それで得られる広告費も生活費の足しになっている。
「ええ。これからアイドルの子の公開コーチングですね。配信自体は短時間になると思うんですけど」
「わかった。頑張れよ。いい返事を期待してるぞ」




