第七十二話「一晩中、岩を支えていた」
七十二話目です。
夜通し、力を使い続ける話です。
魔王の力にも、限界があります。限界まで使い続けるとき、何が見えるか。何を考えるか。
静かで、でも内側で大きなことが起きている話です。
では、どうぞ。
夕方になった。
岩は、まだ動いていた。
でも、私が力を送り続けている間は、落ちなかった。
ルースが、火を起こしてくれた。
「食事を作ります」とルースは言った。
「ありがとうございます」
「手は、離せますか」
「少しの間なら、離せます。でも、あまり長くは」
「では、食べる間だけ離してください」
「分かりました」
干し肉と、乾燥した野菜を煮たものが出来た。
手を離した。
岩が、少し動いた。
速くなった。
「急いで食べます」
かき込むように食べた。
「ゆっくり食べてください」とルースは言った。
「急いだ方がいいです」
「体が心配です」
「今は、岩の方が心配です」
食べ終えて、また地面に手を当てた。
力を送り込んだ。
岩が、また落ち着いた。
「戻りました」
「ありがとうございます」とルースは言った。「私の分の食事も、食べてください」
「いいんですか」
「私は、もう少し持っていますから。凪さんは、力を使い続けているから、食べた方がいいです」
「ありがとうございます」
ルースの分も食べた。
シロが、横で見ていた。
「シロも、食べてください」
シロが、ルースから干し肉をもらった。
食べた。
「ありがとうございます、ルースさん」
「シロさんは、食欲がありますね」
「シロは、食欲があります。それが、元気の証拠です」
シロが、尻尾を振った。
◇
夜になった。
山の夜は、暗かった。
星が、木の間から見えた。
火の明かりが、揺れていた。
ルースが、記録帳に書き続けていた。
「何を書いているんですか」とルースに聞いた。
「今夜のことを、全部書いています。岩の状態、凪さんの様子、時間ごとの変化」
「私の様子を、書いているんですか」
「そうです。何時に力を送り始めたか、何時に食事を取ったか、表情がどう変わったか」
「表情まで記録するんですか」
「重要です。体の状態が、顔に出ます。疲れているとき、集中しているとき、限界に近いとき、表情が違います。それを記録しておけば、次に同じことが起きたとき、参考になります」
「次に同じことが起きるとは思えないですが」
「思えなくても、記録しておきます。思わぬところで役に立つことがあります」
「そうですね」
力を送り続けながら、話した。
「ルースさんは、記録係ではないですよね」
「地質調査員です」
「でも、記録の仕方が、カナさんやミアさんに似ています」
「影響を受けたと言いました。エン山での調査のとき、ミアさんが書く様子を見ていて、学びました」
「一度見ただけで、変わりましたか」
「一度見て、良いと思ったものは、取り入れます。それだけです」
「そういう人が、強いですね」
「どういう意味ですか」
「良いと思ったものを、すぐに取り入れられる人は、成長が速いです」
「凪さんも、そうですか」
「私は、気になることに向かうだけです。取り入れるというより、気になったら試す、という感じです」
「気になったら試す、か」とルースは言った。「記録してもいいですか、その言葉を」
「どうぞ」
ルースが、書いた。
◇
夜中の二時頃、地鳴りが大きくなった。
岩が、急に力強く動こうとした。
「来ました」
力を、より強く送り込んだ。
汗が、額から落ちた。
「大丈夫ですか」とルースが立ち上がった。
「大丈夫です。ただ、力がいります」
岩が、唸るような音を立てた。
シロが、立ち上がった。
「シロ、大丈夫です」
シロが、私の横に来た。
体を、私の背中に当てた。
支えてくれていた。
「ありがとうございます」
力を送り続けた。
岩の唸りが、少し収まった。
「収まりました」
「岩が、どうなりましたか」とルースが聞いた。
「空洞が、少し変わりました。岩が動こうとした力で、空洞の形が少し変わりました」
「変わると、どうなりますか」
「予測が、変わります。今まで想定していた落ち方と、違う落ち方をするかもしれないです」
「それは、危険ですか」
「危険な方向に変わった可能性があります。明日、技術者と一緒に確認します」
「今夜、また大きな動きが来ると思いますか」
「来るかもしれないです。さっきの動きは、前触れだった可能性があります」
「前触れ、ということは、本番が来ますか」
「可能性があります」
ルースが、少し固まった。
「明日の朝まで、持ちますか」
「持たせます」と私は言った。
「さっきより、顔色が悪いですよ」
「そうですか」
「疲れています」
「疲れています。でも、続けます」
「無理しないでください」とルースは言った。
「無理を、していますが、限界ではないです」
「限界を超えると、どうなりますか」
「倒れます」
「倒れたら、岩は」
「落ちます」
「では、倒れるわけにはいかないですね」
「そうです」
「どうすれば、倒れないですか」
「話し続けることが、助けになります。意識が保てます」
「では、話します」とルースは言った。
「ありがとうございます」
「何を話しますか」
「エルドのことを、教えてください。川以外のことを」
◇
ルースが、話し始めた。
エルドは、農業の国だった。
川が多くて、水が豊かで、作物が育ちやすかった。
でも、三年前から川が変動し始めて、農地が不安定になった。
農民が、不安になっている。
「農民の名前を、知っていますか」と私は聞いた。
「何人か、知っています」
「教えてください」
「なぜですか」
「名前を知ると、気になります。気になると、助けたくなります」
ルースが、少し考えた。
「マルという、六十代の農民がいます。代々、川のそばで作物を育ててきた家です。三年前から、毎年被害が出ています」
「マルさんが、一番困っているんですか」
「そうかもしれないです。川が上がるたびに、農地が水没します。下がると、水不足になります。その繰り返しで、疲弊しています」
「ダンさんに似ていますね」
「ダンというのは」
「アルドで会った農民です。水路が戻ったとき、水が来るのが遅すぎた、と怒っていた人です」
「怒っていたんですか」
「でも、怒りながら、記録に協力してくれました」
「ダンさんも、マルさんも、諦めていない人ですね」
「諦めない人が、困っているときが、一番気になります」
「なぜですか」
「諦めた人は、変わりにくいです。諦めていない人は、何かが変われば動けます。だから、助けたくなります」
「それが、凪さんの動く理由ですか」
「一つの理由です」
「面白い人ですね」とルースは言った。
「よく言われます」
「変な人、とも言われますか」
「よく言われます」
「そうですね」とルースは言った。「変な人の方が、こういうことは動けます」
「センさんも同じことを言っていました」
「センというのは」
「アルドの人です。ベルクさんの仲間です」
「ベルクさんとは、どんな人ですか」とルースは聞いた。
「記録が、最終目的の人です」
「記録が目的」
「記録が残れば、誰かが動ける。それが、ベルクさんの動く理由です」
「私も、似ているかもしれないです」
「そうですね」
「記録が残れば、次の人が同じ間違いをしなくて済む。それが、私が記録する理由です」
「全部つながっていますね」
「そうですね」とルースは言った。「つながっていますね、本当に」
◇
夜明けの一時間前、また地鳴りがした。
今度は、大きかった。
「来ました」
力を、全力で送り込んだ。
今夜、一番大きな力を使った。
岩が、唸った。
ルースが、立ち上がった。
シロが、また背中を当ててきた。
「ありがとうございます、シロ」
岩の動きが、激しくなった。
「落ちそうですか」とルースが叫んだ。
「落ちません。今は」
「今は、ということは」
「今夜は、落とさない。それだけが、約束できることです」
岩が、また唸った。
力が、限界に近づいていた。
「持ちますか」
「持ちます」
「顔色が」
「見ないでください。気にすると、集中が切れます」
ルースが、黙った。
書き続けた。
シロが、背中をさらに強く当ててきた。
「シロ、重いですが、ありがとうございます」
シロが、動かなかった。
離れない、という意思だった。
「分かりました、一緒にいてください」
力を送り続けた。
岩の動きが、また少し収まった。
「収まりました」
息が、上がっていた。
「大丈夫ですか」とルースが聞いた。
「大丈夫です。疲れましたが、倒れていないです」
「あと、一時間です。夜明けが来れば、技術者も来ます」
「一時間、持ちます」
「言い切りましたね」
「一時間だけは、言い切れます」
ルースが、また書いた。
空が、少しずつ明るくなってきた。
鳥が、どこかで鳴き始めた。
「夜明けが来ますね」
シロが、空を見た。
「もうすぐです」
シロが尻尾を振った。
「頑張りましたね、シロも」
また振った。
「全員で、持ちましたね」
また振った。
空が、オレンジ色になってきた。
「あと少しです」
力を送り続けた。
疲れていた。
でも、岩は、まだ落ちていなかった。
夜明けが来た。
光が、山の中に入ってきた。
遠くから、足音が聞こえてきた。
「来ました」とルースが言った。「技術者が来ました」
「本当に、来ましたね」
「走ってきてくれたんですね」
五人が、木の間から来た。
装備を持っていた。
リーダーらしい人が、私を見た。
「凪さんですか。一晩中、支えていてくれたんですか」
「そうです」
「感謝します。今から、引き継ぎます」
「引き継いでもらえますか」
「引き継ぎます。ただし、凪さんにも、少し力を貸してほしいです。どこを固めればいいか、感じ取ってもらいながら、私たちが作業します」
「一緒にやれますか」とルースが言った。
「やります」と私は言った。
「大丈夫ですか、体が」
「大丈夫ではないですが、やります」
「正直ですね」
「正直に言わないと、後で困ることが多いので」
リーダーが、少し笑った。
「聞いていた通りの人ですね」
「誰から聞きましたか」
「ルースさんから、話を聞いていました。気になることに向かう転生者がいる、と」
「気になることがあったので、来ました」
「その川が、マエル川です。エルドの農民全員が、困っています」
「マルさんという農民を、ルースさんから聞きました」
「マルは、私の知り合いです。また川が暴れたら、もう終わりだと言っていました」
「終わりにしません」と私は言った。
「言い切りましたね」
「気になることは、終わりにしないので」
リーダーが、うなずいた。
「では、始めましょう」
「始めます」
シロが、立ち上がった。
一晩が終わって、新しい朝が来た。
まだ、仕事が残っていた。
でも、一人ではなかった。
七十二話目、書きました。
一晩中、岩を支える、という場面をこの話の核にしました。静かに力を使い続ける。でも、内側では限界に近づいている。表に出ない緊張感を、ルースとの会話と、シロの行動で表しました。
シロが背中を当てて支えた場面。今まで、シロが凪を支えるときは、横を歩くことで支えていました。今回は、背中を当てて、物理的に支えた。それだけ、危ない場面だったということでもあります。
「話し続けることが、意識を保つ助けになる」という凪の言葉から、ルースが話し続けてくれた場面。ルースという人物が、技術者でありながら、記録する人間でもあり、今回は話し続けることで凪を支えた。一人一人が、できることで支え合っています。
「マルさんという農民を知っている」という展開。名前を知ると気になる、という凪の性質が、また出ました。アルドのダンさんと同じ構造です。困っている農民に名前と顔があることで、凪が動く。
「一時間だけは言い切れます」という場面。全部は言い切れないが、一時間だけは言い切れる。範囲を限定することで、言い切れる。これも凪の成長です。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




