第七十一話「第四部、開幕。エルドの川は、暴れていた」
七十一話目です。第四部、開幕です。
エルドへ向かいます。ルースから聞いた話では、川が不規則に変動している、ということでした。
着いてみたら、思っていたより深刻でした。
では、どうぞ。
エルドに向けて出発したのは、集落に戻ってから二か月後だった。
その二か月は、穏やかだった。
カナとミアが、集落に残って記録を整理してくれた。
ルナが、毎日池に行き続けた。
ガルが、毎日記録した。
私は、毎日木に触れて、土を触れて、水を感じた。
集落の状態は、二十六になっていた。
「来たときの倍以上ですね」とルナが言った。
「そうですね」
「どこまで上がるんですか」
「分からないですが、上がり続けることはないです。どこかで安定します」
「安定したら、どうなるんですか」
「自然に循環する状態が続きます。特に誰かが手を入れなくても、続きます」
「じゃあ、ナギがいなくても大丈夫になる」
「そうですね」
「いつ」
「もう少しです。あと数か月、ルナが続けてくれれば」
「じゃあ、続ける」とルナは言った。
「ありがとうございます」
◇
出発の朝、ルナが石を渡してくれた。
「帰ってきたら返して」
「返します」
「帰ってくる、は」
「帰ります」
「条件なし」
「条件なしで、帰ります」
「よし」
ルナが、手を振った。
今回は、集落の入口で振った。
走ってこなかった。
外まで来なかった。
入口で、振った。
「入口になりましたね」
「うん」とルナは言った。「次は、窓から振るかもしれない」
「それは、寂しいですね」
「寂しくない。信じているから」
「そうですね」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
◇
エルドへの道は、初めての道だった。
ルースが、地図を持って待っていた。
都の外で合流した。
「来てくれましたね」とルースは言った。
「来ました」
「急いで来てほしかったですが、二か月待てました」
「準備してもらっていたんですか」
「しています。エルドの農業省が、調査の受け入れを決めました。現地を案内できます」
「川の状態は、今もですか」
「今も続いています。むしろ、悪化しています」
「悪化」
「不規則な変動が、より激しくなっています。先月は、三日間で水位が二倍になりました」
「二倍」
「それから、元に戻りました。でも、三日後また上がりました。農地が水没しかけています」
「不規則な上下ですか」
「そうです。下がるときも、急です。水があると思って農地に水を引いたら、翌日には干上がっていた、という事例が出ています」
「農民が、対処できない状況ですね」
「そうです。予測できないから、何もできない状態です」
◇
エルドの都に入った。
アルドと、少し違う雰囲気だった。
川が、都の中を流れていた。
都の中心部に、川があった。
「これが、問題の川ですか」
「そうです。マエル川といいます。エルドの生命線です」
川を見た。
水量が、多かった。
でも、色が少し濁っていた。
「今日は、水量が多い日ですか」
「そうです。昨日から、上がっています。明日以降、どうなるか分かりません」
川の流れが、少し速かった。
普通の川より、速かった。
「急いでいますね、この川」
「急いでいます。水が、どこかで詰まっているのではないかと、思っています」
「詰まっていて、ためていて、一気に流れる」
「そういうことが起きているのではないか、と。ただ、確認できていないです」
「川の上流に、行けますか」
「行けます。ただ」
「ただ?」
「上流は、山の中です。険しいです。それに、最近、山で地鳴りのような音がすると、村人が言っています」
「地鳴り」
「そうです。何かが起きているかもしれないですが、山の中には入れていないです」
「入れない理由は」
「危険だと判断して、立入禁止にしています」
「私が入るのは」
「できれば止めてほしいですが、凪さんが行くと言えば、止めません」
「行きます」
ルースが、少し困った顔をした。
「危険かもしれないですが」
「気になるので」
「そうですか」
「ルースさんも、一緒に来ますか」
「行きます」とルースは言った。
「ありがとうございます」
「記録する人間が必要です。私が行きます」
「頼りになりますね」
「記録係ではないですが、記録する習慣はあります。カナさんたちに、影響を受けました」
「全部がつながっていますね」
「そうですね」
◇
翌朝、川の上流に向けて出発した。
ルースと、エルドの案内係が二人、私とシロ。
山の入口まで、半日かかった。
立入禁止の看板があった。
「ここからです」とルースは言った。
「入ります」
「気をつけてください」
「気をつけます」
看板を越えた。
山の中に入った。
木が、密だった。
足元が、湿っていた。
「川が近いですね」
「この辺りから、川の源流が始まります」
歩きながら、感じた。
地下の状態を、感じた。
「何か変ですね」
「何が変ですか」とルースが聞いた。
「水が、地下に大量に溜まっています」
「地下に」
「地表には見えないですが、地下に水が集まっています。大量に。それが、少しずつ漏れているような感じです」
「漏れると、川に流れる」
「そうです。漏れる量が増えると、川の水位が上がります。漏れが止まると、水位が下がります」
「その繰り返しが、不規則な変動ですか」
「そうだと思います。ただ、なぜ地下に水が溜まっているのかが、分からないです」
「どこに向かえば分かりますか」
「もっと奥です。感じ取れる範囲を、超えています」
「奥に行きますか」
「行きます」
◇
さらに奥に入った。
一時間ほど歩いたとき、地鳴りがした。
低い音だった。
地面から来る音だった。
「鳴りましたね」
「これが、村人が聞いた音ですか」とルースが言った。
「そうだと思います」
シロが、止まった。
耳を立てた。
前方を向いた。
「何がいますか」
シロが、低く唸った。
危険、という唸り方だった。
「危険ですか」
シロが、また唸った。
「どこですか」
シロが、前方の、少し高い方向を向いた。
見た。
木の間から、岩が見えた。
大きな岩だった。
いくつかの岩が、重なっていた。
その岩の一つが、少し動いていた。
「動いています」
「岩が動いているんですか」とルースが言った。
「少しずつ、動いています。地鳴りは、あの岩が動く音かもしれないです」
「あの岩が、どこかに落ちると」
「川に落ちれば、川がせき止められます」
「せき止められた川は、どうなりますか」
「上流に水が溜まります。そして、溜まりすぎると、一気に流れます」
「だから、不規則に変動していたんですか」
「そうかもしれないです。あの岩が、少しずつ動いて、川を部分的にせき止めていた。そして、圧力で流れが変わっていた」
「今後は」
「岩が完全に落ちれば、もっと大規模なせき止めになります。それが起きると」
「どうなりますか」
「一気に流れるとき、洪水になる可能性があります」
ルースが、記録帳を出した。
「書きます。岩が動いている、川がせき止められる可能性がある、洪水のリスクがある」
「急いで書いてください。後で話しますが、まず現状を確認します」
「分かりました」
岩に、近づいた。
シロが、前に出た。
止まれ、という動きをした。
「もう少し近くで確認したいですが」
シロが、また止まれという動きをした。
「シロが、危ないと言っています」
「引き返した方がいいですか」とルースが聞いた。
少し考えた。
「遠くから、感じ取ります。近づかなくても、分かることがあります」
地面に手を当てた。
力を、遠くに向けた。
岩の方向に、送り込んだ。
感じた。
岩の下が、空洞になっていた。
「空洞があります。岩の下が、空洞です」
「空洞があるから、岩が落ちそうになっているんですか」
「そうです。空洞が広がっています。おそらく、地下水が長い時間をかけて、石灰岩を溶かして空洞を作りました。それが、ある大きさを超えると、岩が支えられなくなります」
「自然にできた空洞が、原因ですか」
「そうだと思います。人間が何かをしたのではなく、長い時間をかけて、自然に起きたことです」
「では、どうすれば」
「空洞を、何かで埋めるか、岩を別の方向に誘導するか、どちらかが必要です」
「どちらが、可能ですか」
「難しいですが」と私は言った。
「どちらも難しい」
「どちらも難しいです。でも、どちらもやってみます」
ルースが、私を見た。
「一人で、できますか」
「できません。でも、方向は分かりました。できないことと、できることを、分けて考えます」
「できることは、なんですか」
「まず、岩が落ちるタイミングを、遅らせることができます。空洞に、力を入れることで、少し補強できます。完全ではないですが、時間を稼げます」
「時間を稼いで、何をしますか」
「この岩の状況を、記録に残して、エルドの工事部門に伝えます。専門の技術者が、対処法を考えます。その間、私が補強します」
「補強はいつまで、できますか」
「分かりません。体の状態を見ながら、できる限りやります」
「できる限り、ですか」とルースは言った。
「今回は、正直にできる限りです。言い切れないです」
「なぜですか」
「力の使い方が、今まで経験したことがないくらい、大きくなります。どのくらい持つか、試してみないと分かりません」
「正直ですね」
「正直に言わないと、後で困ることが多いので」
ルースが、また記録帳に書いた。
「記録します。岩の下に空洞がある、凪が補強を試みる、工事部門への連絡が必要」
「急いでください」
「書いています」
シロが、私を見た。
大丈夫ですか、という顔だった。
「やってみます」とシロに言った。
シロが、横についた。
「ありがとうございます」
地面に両手を当てた。
今まで使ったことがないくらいの力を、送り込んだ。
岩の下の空洞に向けて。
支えるように、固めるように、力を流し込んだ。
汗が出た。
「持ちますか」とルースが聞いた。
「今のところ、持っています」
「どのくらい続けられますか」
「分かりません。でも、今日一日は持てると思います」
「今日一日で、エルドの技術者を呼べますか」と案内係の一人が言った。
「呼べますか」とルースが聞いた。
「走れば、都まで四時間です。戻るのも四時間。明日の朝には来られます」
「走ってください」とルースは言った。
案内係が、走り始めた。
「もう一人は、ここに残ってください。何かあれば、知らせてください」
「分かりました」ともう一人の案内係が言った。
「凪さん、私もここにいます」とルースは言った。
「ありがとうございます」
「記録しながら、見ています」
「そうしてください」
力を送り続けた。
岩が、少し落ち着いた。
まだ、動いていたが、速さが遅くなった。
「効いていますか」とルースが聞いた。
「効いています。ただ、ずっとは続けられないです」
「明日の朝まで、持ちますか」
「持たせます」と私は言った。
「言い切りましたね、今回は」
「持たせます。それだけは、言い切ります」
シロが、私の横に来た。
「シロ、今日はここにいてください」
シロが、横に座った。
動かない、という姿勢だった。
地鳴りが、また鳴った。
低い音が、山に響いた。
でも、岩は、さっきより動かなかった。
「まだ、持っています」
ルースが、書き続けた。
第四部が、始まっていた。
七十一話目、書きました。第四部の開幕です。
「エルドの川が暴れていた」という展開。不規則な変動の原因が、岩の下の空洞だと分かった場面。地下水が長年かけて石灰岩を溶かした自然現象。今回は、人間が何かをしたのではなく、自然のプロセスが問題の原因でした。これが、今までの問題と違う点です。
「できる限り、と言い切れない」という凪の正直さ。今まで言い切るようになってきた凪が、今回は「できる限り」と言った。力の限界を超えた場面では、正直に言えないことがある。その使い分けが、成長の証でもあります。
「持たせます。それだけは言い切ります」という場面。言い切れないことと、言い切れることを分けた。明日の朝まで持たせる、それだけは約束できる。
ルナの出発場面で「次は窓から振るかもしれない」と言った場面。信頼が積み重なるにつれて、送り出し方が変わっていく。窓から、というのは距離ではなく信頼の大きさを表しています。
第四部は、自然現象との戦いが軸になります。悪意のある人間ではなく、自然そのものが問題。どう向き合うか、凪のやり方が問われます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




