第八十二話「第四部が終わる。そして、石を返しに行く」
八十二話目です。第四部、最終話です。
ゴルのところへ、石を返しに行きます。
長く持ち続けた石を、返す。でも、返すことが終わりではなく、また始まります。
では、どうぞ。
カナとミアが去ってから、一週間が経った。
集落は、静かだった。
でも、悪い静かさではなかった。
カナが来る前より、ずっと良い静かさだった。
毎朝、ルナが精霊の記録帳を持って池に行った。
ガルが、毎日集落の記録を書いた。
私は、毎日木に触れて、土を感じた。
そういう一週間だった。
「落ち着きましたね」とルナが言った。
「そうですね」
「でも、ナギが次に動く気配がしています」
「感じますか」
「感じます。最近、遠くを見ていることが増えました」
「そうですか」
「ゴルのところに行きますか」
「行こうと思っています」
「石を返しに」
「そうです」
「いつですか」
「今週中に、出発しようと思っています」
ルナが、少し考えた。
「分かりました」と言った。
「怒らないんですか」
「怒らないです。帰ってくると分かっているから」
「そうですね」
「それと」とルナは言った。「石を返しに行くのは、大事なことだから。約束を守ることは、大事です」
「そうですね」
「行ってらっしゃい。早く行って、早く帰ってきて」
「早く帰ります」
◇
出発の前日、荷物を整えながら、石を確認した。
レナからもらった石だった。
川に磨かれた石だった。
ずっと持ち続けていた。
「長く持っていましたね」
シロが、横で見ていた。
「レナさんが、最初に渡してくれた石です。返すと言っておきながら、何度も先送りにしました」
シロが耳を動かした。
「今度こそ、返します」
また動いた。
「ゴルさんに会いたいですか、シロも」
シロが尻尾を振った。
「一緒に行きましょう」
また振った。
ルナが、部屋に入ってきた。
「明日、出発ですね」
「そうです」
「石、持っていきますか」
「持っていきます」
ルナが、石を見た。
「私に渡してください」
「なぜですか」
「出発のとき、渡します。儀式みたいに」
「儀式ですか」
「そうです。石を渡したら、行く。石を返してもらったら、帰ってきた。そういう形にしたいです」
「もう、形になっていますね。ルナが渡して、私が帰ってきたら返す」
「でも、今回は少し違います」
「どう違いますか」
「この石は、ゴルのところに返す石です。帰ってきたとき、新しい石を持ってきてほしいです」
「新しい石ですか」
「ゴルの山の石。岩人の集落の石を持ち帰ってきてほしいです。それが、次の往復の石になります」
「往復する石が、変わるんですね」
「そうです。ゴルのところから来た石が、次の旅の石になります」
「分かりました。持ち帰ります」
「約束」
「します」
ルナが、石を受け取った。
明日まで、持っていてくれるらしかった。
◇
出発の朝、ルナが石を渡してくれた。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「石、ちゃんとゴルに返してきてください」
「返してきます」
「レナさんにも、よろしく言ってください」
「言います」
「ゴルに、私の手紙も持っていってください」
「書きましたか」
「昨夜、書きました」とルナは言った。
「読んでいいですか」
「読まないでください。ゴルに届けてください」
「分かりました」
手紙を受け取った。
「何を書いたかは、内緒ですか」
「内緒です」とルナは言った。「でも、ゴルが喜ぶことを書きました」
「そうですか」
「岩のことを書きました。エルドの岩を動かした話を、私なりに書きました。それと、東側の斜面に木の芽が出たこと、嬉しかったです、とも書きました」
「内緒と言いながら、教えてくれましたね」
「教えたくなりました」とルナは言った。
「そうですか」
「内緒にしておくより、知っていた方が、ゴルに渡すとき気持ちが込められると思って」
「そうですね」
シロが、先を歩いていた。
「シロが、急かしていますね」
「シロは、いつも急かします」とルナは言った。
「そうですね」
「でも、急かされた方が、ナギは動きやすいですか」
「動きやすいです」
「じゃあ、シロがいてくれて、良いですね」
「良いですね」
「シロ、ナギをよろしく」とルナがシロに言った。
シロが尻尾を振った。
任せろ、という顔だった。
◇
山への道を、三日間歩いた。
三日目の昼過ぎ、ゴルの集落が見えてきた。
ゴルが、入口で待っていた。
「また会いましたね」
「来たか」とゴルは言った。
「来ました」
「石を持ってきたか」
「持ってきました」
「渡せるか」
「渡せます」
「良い」とゴルは言った。
「レナさんは、いますか」
「いる。作業中だ」
「後で、会えますか」
「会える。終わったら来る」
「ありがとうございます」
「それと」とゴルは言った。「手紙が来た。ルナから」
「私が届けたわけではないですが」
「別のラグル族が、昨日届けた。お前が来る前に、届いた」
「そうですか。ラグル族が、先に走ってくれたんですね」
「ルナが、ちゃんと送ってきた」
「内容を、読みましたか」
「読んだ」とゴルは言った。「良い手紙だった」
「そうですか」
「岩のことを、ルナなりに書いていた。エルドの岩を動かした話が、面白かった。それと、東側の斜面に木の芽が出たこと、嬉しかったです、と書いてあった」
「そうですね」
「嬉しかったです、という言葉が、良かった」
「ゴルさんが、嬉しかったですか」
「嬉しかった」とゴルは言った。短く、でも確かに言った。
◇
夕方、レナが来た。
作業着のままだった。
「凪、来たじゃないか」
「来ました」
「石、持ってきたか」
「持ってきました」
「良かった」とレナは言った。
荷物から石を出した。
レナに渡した。
レナが、受け取った。
しばらく、石を見た。
「長く持っていてくれましたね」
「長く持っていました。すみませんでした、なかなか返せなくて」
「いいえ」とレナは言った。「長く持っていてくれた分、色々なところに一緒に行ったんでしょ」
「そうです。アルドに行って、セルドに行って、エルドに行きました」
「この石が、全部のところに行ったんですね」
「一緒に行きました」
レナが、また石を見た。
「旅した石ですね」
「そうですね」
「ありがとうございます。良い石になりました」
「良い石に、なりましたか」
「旅した石は、色々なものが染み込んでいます。川の水も、山の空気も、都の土も、みんな染み込んでいます」
「そうかもしれないですね」
「大事にします」
「そうしてください」
レナが、石を胸に当てた。
「凪に頼んで、良かったです」
「私に、ですか」
「この石を、ずっと持ちながら動いてくれた人間が、一人いるということが、良かったです」
「そうですか」
「石を持っている間、思い出してくれていたと思います。返しに来てくれるから、帰ってくることを覚えていた」
「そうです。石を持っていると、帰らなければと思いました」
「だから、良かったんです」とレナは言った。「石は、帰ってこさせる力があります」
「ルナも、同じことをやっています」
「池の底の石ですか」
「そうです。どこから聞いたんですか」
「ゴルが教えてくれました。ルナという子が、石を渡して、帰ってくることを約束させると」
「そうです」
「賢い子ですね」
「賢いです」
「いつか、会ってみたいですね」
「来てください。ルナが喜びます」
「行けるといいですが」とレナは言った。
「ゴルさんが、レナさんが外を見たいと言っていた、と教えてくれました」
「そうですね。最近、外が気になっています。凪が来るたびに、外の話をしてくれるから」
「気になってきましたか、外が」
「気になってきました」とレナは言った。「気になることに向かう、というのが、凪のやり方ですね」
「そうです」
「うつりました、私にも」
「そうですね」
「いつか、行きます。外に」
「来てください。案内します」
「約束ですか」
「します」
レナが、石を見た。
「この石が、旅したように、私も旅してみます。いつか」
「待っています」
◇
翌朝、ゴルと一緒に東側の斜面を歩いた。
「木の芽が、どこですか」
「あそこだ」
ゴルが指さした。
岩の隙間に、小さな芽が出ていた。
緑色だった。
「これですね」
「そうだ。岩人の集落で、木の芽が出たのは、私の記憶にない」
「どのくらい前から、出ていますか」
「三週間前に、レナが見つけた」
「三週間前」
「レナが、記録に書いた。だから、日付が分かる」
「記録があって、良かったですね」
「そうだ」とゴルは言った。「記録がなければ、いつから出たか、分からなかった」
「記録があれば、残ります」
「残る。凪に、言われた言葉だ」
「私が、言いましたか」
「言ったかもしれないし、カナという記録係が言ったかもしれない。どちらにせよ、伝わった」
「全部つながっていますね」
「そうだな」
芽を、触れた。
小さかった。
でも、確かに生きていた。
「この芽が、大きくなるのに、どのくらいかかりますか」
「木によって違うが、十年はかかる」
「十年」
「岩人の集落は、時間がゆっくり流れる。十年は、そう長くない」
「そうですか」
「お前は、十年後も来るか」
「来ます」
「この木が、大きくなった頃に来い」
「来ます」
ゴルが、芽を見た。
「十年後、この木に、何かが変わっていればいい」
「変わっています」
「言い切ったな」
「十年続いていれば、変わります。それは言い切れます」
ゴルが、少し笑った。
岩みたいな顔が、少し動いた。
「良い返し方だ」
「ありがとうございます」
「それと、一つ渡すものがある」
「なんですか」
ゴルが、懐から石を出した。
「これを、持って行け」
受け取った。
ゴルの集落の石だった。
岩人の集落の、岩から取った石だった。
硬くて、重かった。
「これが、次の往復の石ですか」
「そうだ。お前が来るたびに、持ってこい。帰るたびに、渡せ。ルナと同じだ」
「ルナのやり方を、ゴルさんも使うんですね」
「良い方法だ。石を持っている間、帰ってこなければ、という気持ちになる。それで、帰ってくる」
「そうですね」
「次に来るとき、持ってこい」
「持ってきます」
「約束か」
「します」
ゴルが、また芽を見た。
「帰れ。ルナが待っている」
「そうですね」
「子どもを、長く待たせるな」
「急ぎます」
「急いで帰れ。でも、また来い」
「来ます」
「石を、忘れるな」
「忘れません」
ゴルが、山の向こうを見た。
「全部、つながっている」とゴルは言った。
「そうですね」
「お前が最初に来てから、色々がつながってきた。泉の水が増えた。東側の斜面に草が増えた。木の芽が出た。レナが外を見たくなった。全部、お前が来たから、始まった」
「きっかけを作っただけですが」
「受け取れ」とゴルは言った。
「受け取ります」
「ゴルも、受け取れ、と言う人間になってきたな」とゴルは言った。自分で言った。
「そうですね」
「ガレス王の言葉が、伝わってきた」
「全部つながっていますね」
「そうだ」
山の風が吹いた。
夏の終わりの風だった。
少し、涼しかった。
「帰ります」
「帰れ」とゴルは言った。
「また来ます」
「来い」
シロが、もう先を歩いていた。
「急いでいますね」
シロが振り返らなかった。
「ルナが待っているから、ですね」
また振り返らなかった。
「分かりました、急ぎましょう」
ゴルの集落を出た。
山の道を、歩き始めた。
石を、握った。
ゴルの山から来た石だった。
重くて、硬かった。
「帰ります」と山に向かって言った。
山が、静かに聞いていた。
シロが、速くなった。
第四部が、ここで終わった。
八十二話目、書きました。第四部、完結です。
「往復する石が変わる」というルナのアイデア。レナの石を返して、ゴルの石を新たに受け取る。石が変わっても、往復するという約束は続く。つながりの形が、少し変わりながらも、続いていく。
レナの「旅した石は、色々なものが染み込んでいます」という言葉。石を長く持ち続けていたことが、石を豊かにした。返すことが終わりではなく、石が旅したという事実が残った。
「十年後、この木が大きくなった頃に来い」というゴルの言葉。十年後を約束した。凪が十年後も来る、というのは、この物語がまだ続くという宣言でもあります。
「受け取れ、と言う人間になってきた」とゴルが自分で言った場面。ガレス王の言葉が、凪を通じてゴルに伝わった。そのゴルが、自分でそれを言えるようになっている。
ルナが手紙を先に送っていた場面。凪が届けるより、ラグル族が先に走っていた。ルナは、ちゃんと準備していた。
第一部から第四部まで、八十二話。読んでくださっている方、本当にありがとうございました。第五部では、また新しい場所へ向かいます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




