第八十一話「カナが、集落を去る日」
八十一話目です。
カナとミアが、アルドに戻ります。ベルクから、戻ってきてほしいという連絡が来ていました。
去る人と、残る人の話です。でも、去ることで、つながりが消えるわけではない。
では、どうぞ。
カナとミアが集落に来て、二か月が経っていた。
ベルクから手紙が来たのは、その頃だった。
「カナへ。国際調査の結果をまとめる作業が始まる。記録係が必要だ。戻ってきてほしい。ミアも一緒に。急ぎではないが、早い方がいい。ベルクより」
カナが、私に見せてくれた。
「戻らないといけないですね」とカナは言った。
「そうですね」
「集落にいたかったですが」
「まだいたかったですか」
「もう少し、いたかったです。でも、ベルクさんが呼んでいます。仕事があります」
「ベルクさんが呼んでいれば、動きますね」
「動きます。記録係として、やることがあります」
「ミアさんも、一緒に戻りますか」
「戻ります。ミアには、まだ話していないですが、戻ると言うと思います」
「ミアさんは、精霊の記録をもっと続けたそうにしていましたが」
「そうですね。でも、ミアは仕事を優先します。そういう子です」
◇
ミアに話した。
「分かりました」とミアは言った。即答だった。「でも、一つだけ」
「なんですか」
「精霊の記録帳、ルナさんに預けていいですか」
「ルナに、ですか」
「私が戻っても、ルナさんが記録を続けてくれれば、精霊の記録が途切れないです。私が戻ったとき、また続きを書けます」
「ルナが続けてくれますか」
「続けてくれると思います。ルナさんは、続けることが得意です」
「そうですね」
「それと、記録の仕方を、もう少し教えていきます。今日と明日で、教えます」
「二日で教えられますか」
「基本は、もう分かっています。あとは、細かいことだけです。ルナさんなら、大丈夫です」
◇
ルナに話した。
「カナさんとミアさんが、戻るそうです」
ルナが、少し止まった。
「いつですか」
「明後日です」
「明後日か」とルナは言った。
「寂しいですか」
「寂しいです」とルナは言った。あっさりと言った。「でも、戻ると言うのなら、仕方がないです」
「仕方がない、で終わりですか」
「終わりじゃないです。また来てもらえばいいだけです」
「来てもらえますか」
「来ます。約束してもらいます」
「そうですね」
ルナが、少し考えた。
「カナさんに聞きたいことがあります」
「なんですか」
「カナさんが、記録係になったのは、なぜですか。聞いたことがなかったです」
「聞いたことがなかったんですね」
「なかったです。そういえば、知らないな、と思いました。聞きます」
「聞いてみてください」
◇
ルナが、カナに聞いた。
夕食の後、池のそばに全員で座っていたとき、ルナが聞いた。
「カナさんは、なんで記録係になったんですか」
カナが、少し考えた。
「忘れたくなかったからです」
「何を忘れたくなかったんですか」
「子どもの頃に見たものです。川がきれいだった日があって、その川の色を、ずっと覚えておきたいと思いました。でも、だんだん忘れていきました。もっとはっきり残しておけば良かったと思いました。それから、大事なものは書いておく、という習慣ができました」
「川の色を、忘れたくなかったんですか」
「そうです。きれいなものは、ちゃんと残しておきたかった」
ルナが、池を見た。
「私も、そうかもしれないです」
「どういう意味ですか」
「ルミが最初に水面に出た日を、忘れたくなかったです。だから、書きました。忘れたくないから書く、という意味では、カナさんと同じです」
カナが、少し目を細めた。
「同じですね」
「同じです」とルナは言った。
「記録を始める理由は、人それぞれ違いますが、忘れたくない、というのは、一番シンプルな理由ですね」
「シンプルが、一番続きます」とカナは言った。
「なぜですか」
「難しい理由で始めると、理由が分からなくなったとき、続かなくなります。シンプルな理由は、なくならないです。忘れたくない、は、何年経っても同じ理由です」
ルナが、うなずいた。
「じゃあ、私は続けられます」
「続けられます」とカナは言った。
「カナさんも、続けられます」
「続けます」
「約束ですか」
「約束します」
「よし」とルナは言った。
◇
翌日、ミアがルナに記録の仕方を教えた。
一日、一緒に池に行って、一緒に書いた。
「今日の記録を、ルナさんが書いてください。私は、横で確認します」
「自分で書いていいですか」
「書いてください」
ルナが、書いた。
ミアが、横で見ていた。
「どうですか」とルナが聞いた。
「良いです。一つだけ、直した方がいい場所があります」
「どこですか」
「ここです。ルミが高い位置にいた、と書いていますが、どのくらい高い位置か、分からないです」
「どう書けばいいですか」
「水面から何センチくらい、と書けると、後で比べられます。毎回同じ基準で書くと、変化が分かります」
「なるほど」
「難しいですが、慣れれば自然に書けます」
「やってみます」
ルナが、また書いた。
「こうですか」
「良いです。これで、後で読んだ人が、どのくらいの高さかが分かります」
「後で読む人のため、ですね」
「そうです」
「カナさんから聞いた言葉ですね」
「そうです。先輩から教わりました」とミアは言った。「私が教えて、ルナさんに伝わった。またつながりました」
「全部つながってる」とルナは言った。
「そうですね」
◇
出発の朝、集落の全員が見送りに来た。
カナが、ガルに向かって言った。
「お世話になりました。良い集落ですね」
「来てくれて、ありがとうございました」とガルは言った。「凪様が変えた集落ですが、カナ様とミア様が来てくれて、また変わりました」
「どう変わりましたか」
「記録が、増えました。記録する人が、増えました。見ること、感じること、言葉にすることが、集落の中に根付いてきました」
「良かったです」
「また来てください」
「来ます」とカナは言った。
ミアが、ルナに記録帳を渡した。
精霊の記録帳だった。
「続けてください」
「続けます」とルナは言った。
「困ったことがあれば、手紙を送ってください」
「送ります」
「返事を書きます」
「必ず?」
「必ず」とミアは言った。
「約束ですか」
「します」
ルナが、満足した顔をした。
カナが、私に向かって言った。
「凪さん、一つだけ言っていいですか」
「なんですか」
「施設から助けてもらったとき、凪さんが来てくれたことが、一番の支えでした」
「カナさんが、渡さない、と言い続けたから、助けられたんです」
「でも、来てくれたから、渡さないと言い続けられました」
「そうですか」
「来てくれると、信じていたから、続けられました」
「エイラさんが、根拠のない信頼と言っていましたね」
「根拠がなくても、信じていました。凪さんなら来てくれる、と思っていました」
「来ました」
「来てくれました」
「また、困ったときは、来ます」
「来てくれますか」
「来ます」
「それで、十分です」とカナは言った。
ミアが、私に向かって言った。
「凪さん、全部、記録しています」
「全部、ですか」
「凪さんが来た日から、今日まで。全部、残っています」
「それは、大事な記録ですね」
「大事な記録です。後で、誰かが読んだとき、凪さんが動いたことが分かります。消えないです」
「ありがとうございます」
「礼はいいです。記録することが、私の気になることなので」
「気になることに向かっていますね」
「凪さんから、うつりました」とミアは言った。笑いながら言った。
◇
シロが、カナとミアの横についた。
少し離れたところまで、一緒に歩くつもりらしかった。
「シロも、見送りますか」
シロが尻尾を振った。
「そうですね、見送りましょう」
集落の外まで、全員で歩いた。
外に出たところで、カナが振り返った。
「また来ます」
「待っています」とルナが言った。
「ルミが、もっと大きくなった頃に、来てください」とルナは言った。
「来たとき、見せてください」
「見せます。一番いい日に、来てください」
「一番いい日は、いつですか」
「分からないです。でも、ルミを見れば、分かります」
「分かりました。見てから、判断します」
「そうしてください」
カナが、また歩き始めた。
ミアが、最後に振り返った。
「記録、続けてください」とルナに向かって言った。
「続けます」とルナは言った。
「信じています」
「信じていいです」
ミアが、笑いながら歩いた。
二人の背中が、遠くなった。
「また来てくれますか」とルナが聞いた。
「来ます」と私は言った。
「言い切りましたね」
「言い切りました。カナさんは、約束を守る人です」
「そうですね」
シロが、二人の後ろ姿を見ていた。
しばらく、見ていた。
それから、集落の方を向いた。
戻ろう、という顔だった。
「帰りましょう」
全員で、集落に戻った。
少し、静かになった集落だった。
でも、静かさが、寂しさではなかった。
あるものは、ちゃんとあった。
ルナが、精霊の記録帳を持っていた。
「今日の記録、書きます」
「書いてください」
「カナさんとミアさんが帰った日、と書きます」
「そうですね」
「でも、帰った、ではなく、アルドに戻った、と書きます」
「違いがありますか」
「帰った、というと、もう来ない感じがします。アルドに戻った、というと、また来てくれる感じがします」
「言葉で、変わりますね」
「変わります。同じことでも、どう書くかで、違って残ります」
「カナさんが喜ぶ記録の仕方ですね」
「そうですね」とルナは言った。
「書いてください」
「書きます」
ルナが、記録帳を開いた。
書き始めた。
集落が、また動き始めた。
八十一話目、書きました。
カナとミアが去る話でしたが、去ることで物語が終わるのではなく、つながりが別の形になる話として書きました。記録帳をルナに渡す、返事を必ず書く約束をする、また来ると言う。去る形が、次のつながりを作っていました。
「川の色を忘れたくなかったから記録係になった」というカナの答え。忘れたくない、というシンプルな理由が、記録を続ける一番強い動機だった。ルナの「ルミが水面に出た日を忘れたくなかった」という気持ちと同じ構造でした。
「帰った、ではなくアルドに戻った、と書く」というルナの言葉。言葉の選び方で、残り方が変わる。ルナが、記録の深いところを自分で気づいていた場面でした。
ミアの「全部記録しています。消えないです」という言葉。凪が動いたことは、記録に残っている。それが、一番の贈り物かもしれないです。
シロが二人の背中をしばらく見ていた場面。シロが、別れに何かを感じている。言葉では表さないが、見続けていた。それだけで十分でした。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




