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バタフライエフェクト  作者: シッピー&樽
【小学四年生】 立志編
9/10

負けず嫌い【挿絵あり】

 二週間後の土曜日。


 青葉けやき卓球クラブの練習場には、朝から乾いた打球音が響いていた。


 モルフォは台の前で小さく足を動かしながら、天馬(てんま)の出す球を返していく。


 フォアへ来た球を打ち、すぐに中央へ戻る。今度はバックへ来た球を返し、また次に備える。


「はい、四十!」


 最後の一球を返したところで、天馬が球出しを止めた。


「前よりずっといいわね」


「……まだ、ちょっと遅れます」


「二週間前はもっと早く足が止まってたもの。ちゃんと良くなってるわよ」


 モルフォは息を整えながら、自分の足を見る。


 火曜、木曜、土曜。


 多球練習だけでなく、左右へのフットワークや、打ったあとに元の位置へ戻る練習も続けてきた。新しいラバーにもだいぶ慣れている。


 二年前だって、モルフォは卓球が特別上手かったわけではない。


 ただ、兄と一緒に打つのが好きで、何度も球を追いかけていただけだ。


 今はそこからさらに二年離れている。


 だから、思うように動けないのは当然だった。


「へえ。ちょっとはマシになったじゃん」


 横から声がした。


 振り向くと、里緒(りお)がペットボトルを片手に立っていた。どうやら休憩中らしく、額にはうっすら汗が浮いている。


「ちょっとじゃない」


「じゃあ、どれくらい?」


「……いっぱい」


「なにそれ」


 里緒が笑った。


 その顔を見て、モルフォは二週間前の試合を思い出す。


 十一対五。


 返すだけで精いっぱいだった。


 悔しかった。


 だから、ずっと言いたかったことがある。


「里緒ちゃん」


「なに?」


「もう一回、試合して」


 里緒の眉が上がる。


「いいけど。今度も負けても知らないからね」


「今度は勝つ」


「言ったな?」


 里緒はペットボトルをベンチへ置き、ラケットを手に取った。


 天馬も気を利かせて球の籠を脇へ寄せる。


「じゃあ、一ゲームだけやりましょ。モルフォちゃんは、この二週間練習してきたことがどこまでできるか試してみなさい」


「はい」


「里緒ちゃんも遠慮しなくていいわよ」


「するわけないじゃん」


 少し離れたところでは、光輝(こうき)もこちらを見ていた。


 モルフォは右手のラケットを握り直し、台の前へ立つ。


 今度は、前みたいにはならない。


 最初のサーブはモルフォだった。


 短く出した球を、里緒がバックで返す。


 少しだけ浮いた。


 モルフォはすぐ前へ踏み込み、球が高くなる前にバックで叩いた。


 里緒がラケットを出した時には、球はもう横を抜けている。


「一対〇」


 二本目。


 今度は少し長めにサーブを出した。


 里緒はフォアで強く返してくる。


 速い。


 けれど、モルフォは下がらない。


 台の近くで球を捉え、相手の勢いを利用して返す。


 里緒は身体の近くへ戻ってきた球を窮屈な体勢で返した。


 その球が高く浮く。


 モルフォは前へ出て、強いフォアで打ち込んだ。


「二対〇」


 床へ転がった球を拾った里緒が、モルフォを見る。


 モルフォもその視線を正面から返した。


 一瞬だけ、二人の視線がぶつかる。


挿絵(By みてみん)


 里緒の口元から、さっきまでの笑みが消えた。


 次は里緒がサーブを放つ。


 ラケットで球の横を鋭くこすったサーブだ。


 強い横回転がかかった球が、モルフォのコートで跳ねる。


 モルフォはその球をバックで受けた。


「えっ」


 ラケットに当たった瞬間、球が横へ大きく逸れ、そのまま台の外へ飛んでいく。


「二対一」


 モルフォは落ちた球を見る。


 普通に返したつもりだった。


 それなのに、思っていた方向へ飛んでくれなかった。


 続く一本では、里緒が左右へ大きく球を振った。


 モルフォも追いかけるが、最後は戻りが間に合わない。


「二対二」


 すぐに追いつかれた。


 左右へ振られてから追いかけていたら、また遅れてしまう。


 なら、里緒が打ってから動くのではなく、もっと早く準備する。


 それに、全部を強く返す必要もない。


 台の近くで早く触れば、里緒が次を打つまでの時間を減らせる。


 モルフォは小さく足を動かし直した。


 そこからは、何度も点が入れ替わった。


 モルフォはできるだけ台から離れず、早い打点で返す。里緒が十分に構える前に球を返せた時は、モルフォが点を取った。


 少しでも返球が甘くなれば、今度は里緒が強いフォアで押し切る。


 五対三。


 一度はモルフォが二点先へ出た。


 だが、里緒もそのままでは終わらない。


 左右へ大きく振るだけでなく、すぐに決めようとせず、ラリーを長く続けるようになった。


 何球も打たされるうちに、モルフォの足は少しずつ重くなる。


 五対五。


 七対七。


 気づけば、また並んでいた。


「はぁ……はぁ……」


 呼吸は速くなっている。


 それでも、二週間前とは違う。


 まだ足は動く。


 モルフォは膝を曲げ直した。


 八対八からの一本。


 里緒の強いフォアを、モルフォは身体の前で受けた。


 無理に強く振らない。


 相手の勢いを使い、そのまま早く返す。


「っ!?」


 身体の近くへ返された里緒が詰まり、球が浮いた。


 モルフォは前へ踏み込み、フォアで打ち込む。


「九対八」


 あと二点。


 モルフォの胸が高鳴る。


 勝てるかもしれない。


 だが、その次。


 里緒の打球は左右ではなく、モルフォの身体の真正面へ飛んできた。


「えっ」


 一瞬反応が遅れた。


 窮屈な体勢で返した球が浮き、里緒に打ち込まれる。


「九対九」


 並ばれた。


 次の一本もラリーになった。


 里緒はバック、フォアとモルフォを動かす。


 モルフォも食らいつくが、さらに反対へ振られたところで一歩だけ遅れた。


 ラケットの端に当たった球が外へ飛ぶ。


「十対九」


 里緒のマッチポイント。


 モルフォは一度息を吐き、構え直した。


 まだ終わっていない。


 里緒のサーブを返す。


 すぐに強いフォアが飛んでくる。


 モルフォは下がらずに返した。


 次はバック。


 これも返す。


 そして、もう一度フォア側。


 右足を出す。


 ラケットを振る。


 届いた。


 白い球がネットを越える。


 けれど、ほんの少し長い。


 里緒のコートを越え、そのまま床へ落ちた。


「十一対九。里緒ちゃんの勝ちね」


 天馬の声がした。


「……負けた」


 モルフォはラケットを下ろした。


 悔しい。


 二週間前より、ずっと悔しかった。


 前は五点しか取れなかった。


 今日は九点まで取れた。


 それでも、負けは負けだ。


「危なかった……」


 里緒も大きく息を吐いた。


 額には汗が浮かんでいる。


 モルフォはそれを見てから、顔を上げた。


「次は勝つ」


「またそれ?」


「次はほんとに勝つ」


 里緒は一瞬モルフォを見つめたあと、呆れたように笑った。


「モルフォって、すごい負けず嫌いよね。大人しそうな見た目なのに」


「……大人しそうに見える?」


「見える。喋るまでは」


「それ、バカにしてるよね」


「さて、どうかしらね」


 里緒が楽しそうに笑う。


 モルフォは少しむっとしたが、すぐに床へ転がっていた球を拾った。


「もう一回」


「え?」


「試合じゃなくていいから、打とう」


 里緒は少し意外そうにモルフォを見る。


 けれど、その表情はすぐに笑みに変わった。


「いいよ。今度はもっと左右に振るから」


「……絶対返す」


 二人はもう一度、台を挟んだ。


 少し離れたところで、天馬が笑い、光輝も静かにその様子を見ている。


 やがて、白い球が再び台の上を行き来し始めた。


 パァン、パァン、と乾いた音が続く。


 さっきまでの試合と同じ音なのに、モルフォには少しだけ違って聞こえた。


 一か月後と言われた大会まで、あと二週間ほど。


 まだできないことは多い。


 だからこそ、もっと打ちたかった。

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