負けず嫌い【挿絵あり】
二週間後の土曜日。
青葉けやき卓球クラブの練習場には、朝から乾いた打球音が響いていた。
モルフォは台の前で小さく足を動かしながら、天馬の出す球を返していく。
フォアへ来た球を打ち、すぐに中央へ戻る。今度はバックへ来た球を返し、また次に備える。
「はい、四十!」
最後の一球を返したところで、天馬が球出しを止めた。
「前よりずっといいわね」
「……まだ、ちょっと遅れます」
「二週間前はもっと早く足が止まってたもの。ちゃんと良くなってるわよ」
モルフォは息を整えながら、自分の足を見る。
火曜、木曜、土曜。
多球練習だけでなく、左右へのフットワークや、打ったあとに元の位置へ戻る練習も続けてきた。新しいラバーにもだいぶ慣れている。
二年前だって、モルフォは卓球が特別上手かったわけではない。
ただ、兄と一緒に打つのが好きで、何度も球を追いかけていただけだ。
今はそこからさらに二年離れている。
だから、思うように動けないのは当然だった。
「へえ。ちょっとはマシになったじゃん」
横から声がした。
振り向くと、里緒がペットボトルを片手に立っていた。どうやら休憩中らしく、額にはうっすら汗が浮いている。
「ちょっとじゃない」
「じゃあ、どれくらい?」
「……いっぱい」
「なにそれ」
里緒が笑った。
その顔を見て、モルフォは二週間前の試合を思い出す。
十一対五。
返すだけで精いっぱいだった。
悔しかった。
だから、ずっと言いたかったことがある。
「里緒ちゃん」
「なに?」
「もう一回、試合して」
里緒の眉が上がる。
「いいけど。今度も負けても知らないからね」
「今度は勝つ」
「言ったな?」
里緒はペットボトルをベンチへ置き、ラケットを手に取った。
天馬も気を利かせて球の籠を脇へ寄せる。
「じゃあ、一ゲームだけやりましょ。モルフォちゃんは、この二週間練習してきたことがどこまでできるか試してみなさい」
「はい」
「里緒ちゃんも遠慮しなくていいわよ」
「するわけないじゃん」
少し離れたところでは、光輝もこちらを見ていた。
モルフォは右手のラケットを握り直し、台の前へ立つ。
今度は、前みたいにはならない。
最初のサーブはモルフォだった。
短く出した球を、里緒がバックで返す。
少しだけ浮いた。
モルフォはすぐ前へ踏み込み、球が高くなる前にバックで叩いた。
里緒がラケットを出した時には、球はもう横を抜けている。
「一対〇」
二本目。
今度は少し長めにサーブを出した。
里緒はフォアで強く返してくる。
速い。
けれど、モルフォは下がらない。
台の近くで球を捉え、相手の勢いを利用して返す。
里緒は身体の近くへ戻ってきた球を窮屈な体勢で返した。
その球が高く浮く。
モルフォは前へ出て、強いフォアで打ち込んだ。
「二対〇」
床へ転がった球を拾った里緒が、モルフォを見る。
モルフォもその視線を正面から返した。
一瞬だけ、二人の視線がぶつかる。
里緒の口元から、さっきまでの笑みが消えた。
次は里緒がサーブを放つ。
ラケットで球の横を鋭くこすったサーブだ。
強い横回転がかかった球が、モルフォのコートで跳ねる。
モルフォはその球をバックで受けた。
「えっ」
ラケットに当たった瞬間、球が横へ大きく逸れ、そのまま台の外へ飛んでいく。
「二対一」
モルフォは落ちた球を見る。
普通に返したつもりだった。
それなのに、思っていた方向へ飛んでくれなかった。
続く一本では、里緒が左右へ大きく球を振った。
モルフォも追いかけるが、最後は戻りが間に合わない。
「二対二」
すぐに追いつかれた。
左右へ振られてから追いかけていたら、また遅れてしまう。
なら、里緒が打ってから動くのではなく、もっと早く準備する。
それに、全部を強く返す必要もない。
台の近くで早く触れば、里緒が次を打つまでの時間を減らせる。
モルフォは小さく足を動かし直した。
そこからは、何度も点が入れ替わった。
モルフォはできるだけ台から離れず、早い打点で返す。里緒が十分に構える前に球を返せた時は、モルフォが点を取った。
少しでも返球が甘くなれば、今度は里緒が強いフォアで押し切る。
五対三。
一度はモルフォが二点先へ出た。
だが、里緒もそのままでは終わらない。
左右へ大きく振るだけでなく、すぐに決めようとせず、ラリーを長く続けるようになった。
何球も打たされるうちに、モルフォの足は少しずつ重くなる。
五対五。
七対七。
気づけば、また並んでいた。
「はぁ……はぁ……」
呼吸は速くなっている。
それでも、二週間前とは違う。
まだ足は動く。
モルフォは膝を曲げ直した。
八対八からの一本。
里緒の強いフォアを、モルフォは身体の前で受けた。
無理に強く振らない。
相手の勢いを使い、そのまま早く返す。
「っ!?」
身体の近くへ返された里緒が詰まり、球が浮いた。
モルフォは前へ踏み込み、フォアで打ち込む。
「九対八」
あと二点。
モルフォの胸が高鳴る。
勝てるかもしれない。
だが、その次。
里緒の打球は左右ではなく、モルフォの身体の真正面へ飛んできた。
「えっ」
一瞬反応が遅れた。
窮屈な体勢で返した球が浮き、里緒に打ち込まれる。
「九対九」
並ばれた。
次の一本もラリーになった。
里緒はバック、フォアとモルフォを動かす。
モルフォも食らいつくが、さらに反対へ振られたところで一歩だけ遅れた。
ラケットの端に当たった球が外へ飛ぶ。
「十対九」
里緒のマッチポイント。
モルフォは一度息を吐き、構え直した。
まだ終わっていない。
里緒のサーブを返す。
すぐに強いフォアが飛んでくる。
モルフォは下がらずに返した。
次はバック。
これも返す。
そして、もう一度フォア側。
右足を出す。
ラケットを振る。
届いた。
白い球がネットを越える。
けれど、ほんの少し長い。
里緒のコートを越え、そのまま床へ落ちた。
「十一対九。里緒ちゃんの勝ちね」
天馬の声がした。
「……負けた」
モルフォはラケットを下ろした。
悔しい。
二週間前より、ずっと悔しかった。
前は五点しか取れなかった。
今日は九点まで取れた。
それでも、負けは負けだ。
「危なかった……」
里緒も大きく息を吐いた。
額には汗が浮かんでいる。
モルフォはそれを見てから、顔を上げた。
「次は勝つ」
「またそれ?」
「次はほんとに勝つ」
里緒は一瞬モルフォを見つめたあと、呆れたように笑った。
「モルフォって、すごい負けず嫌いよね。大人しそうな見た目なのに」
「……大人しそうに見える?」
「見える。喋るまでは」
「それ、バカにしてるよね」
「さて、どうかしらね」
里緒が楽しそうに笑う。
モルフォは少しむっとしたが、すぐに床へ転がっていた球を拾った。
「もう一回」
「え?」
「試合じゃなくていいから、打とう」
里緒は少し意外そうにモルフォを見る。
けれど、その表情はすぐに笑みに変わった。
「いいよ。今度はもっと左右に振るから」
「……絶対返す」
二人はもう一度、台を挟んだ。
少し離れたところで、天馬が笑い、光輝も静かにその様子を見ている。
やがて、白い球が再び台の上を行き来し始めた。
パァン、パァン、と乾いた音が続く。
さっきまでの試合と同じ音なのに、モルフォには少しだけ違って聞こえた。
一か月後と言われた大会まで、あと二週間ほど。
まだできないことは多い。
だからこそ、もっと打ちたかった。




