多球練習【挿絵あり】
翌週の火曜日。
学校を終えたモルフォは、母に送ってもらい、青葉けやき卓球クラブへやってきた。
モルフォが練習に来るのは、基本的に火曜、木曜、土曜の週三回。
学校が終わってから母に送ってもらう平日の二日と、時間に余裕のある土曜日だ。
一方、山形から通っている里緒は、土曜と都合のつく日曜を中心に週二回ほど。そのため二人が顔を合わせるのは、ほとんど土曜日だった。
火曜日の今日は、里緒の姿はない。
練習着に着替えたモルフォは、ラケットを手に練習場へ入った。
前回、母の許可をもらって張り替えた新しいラバーを、早く使いたくて仕方がない。
「モルフォちゃん、今日は多球練習をするわよ」
「たきゅう?」
天馬の前には、大量の白い球が入った籠が置かれていた。
「土曜日に最初にやったやつよ。あの時は少しだけだったけど、今回はもっと多いわよ」
「もっと……?」
「そう。じゃあ、改めて説明するわね」
天馬が一球を手に取る。
「普通の練習は、打った球を相手が返して、それをまた打つでしょう? 多球練習は、こうして用意した球を人や機械が次々に出していくの」
「土曜日に、里緒ちゃんがやっていたやつですか?」
「そう。里緒ちゃんは球出し機を使ってたけど、今日はアタシが出すわ」
天馬が籠の中の球を示す。
「同じ場所へ続けて出したり、左右に振ったりできるから、フォームや足の動きを繰り返し練習するのに向いてるの。今のモルフォちゃんにはちょうどいいわ」
前回決めたプレースタイル。
台の近くで、早い打点を狙う前陣カウンター型。
一球だけなら、それらしい打ち方ができることもあった。けれど、試合では一球打って終わりではない。
「今日はフォアとバックを交互に出すわ。打ったら戻る。次の球が来る前に、また動ける状態にしておくこと」
「はい」
「それと――」
天馬が視線を横へ向けた。
少し離れたところで、光輝がタブレットを構えている。
「光輝には撮影してもらうから、あとで自分の動きも見てみましょ」
光輝がタブレットを軽く掲げた。
モルフォも頷き、台の前へ立つ。
「最初は三十球ね」
「三十球……」
「そんなに身構えなくても大丈夫よ。いくわよ」
天馬が一球目を送った。
一球目はフォア側。モルフォは足を動かし、バウンドして間もない球を打ち返す。
すぐに二球目がバック側へ来た。身体の前でラケットを振って返すと、三球目はフォア、四球目はまたバック。
パァン、パァン、と一定の間隔で打球音が続く。
最初の十球ほどは、思っていたよりも動けた。
打つ。戻る。また動く。
「そう。その位置を保って!」
「はい!」
十二球、十三球、十四球。
少しずつ呼吸が速くなる。それでも、まだ足は動いていた。
十七球目。バックを返した直後、すぐにフォアへ球が来る。
「あっ」
一歩目が遅れた。
身体から離れたところでラケットを振り、球が台の外へ飛ぶ。
「止まらない。次よ!」
天馬はすぐ次の球を送ってきた。
モルフォは慌てて構え直す。
二十球を越えた頃には、呼吸も荒くなっていた。
「はぁ……はぁ……」
足が重い。
球は見えている。どこへ来るかも分かっている。
なのに、身体がついてこない。
最初は球の近くまで動けていたのに、次第に腕を伸ばして届かせるだけになっていく。
「モルフォちゃん、足!」
分かっている。
動かそうとしている。
それでも、一歩が出るまでが遅い。
二十六球目を返し、二十七球目は高く浮いた。二十八球目はラケットの端に当たる。
「あと二球!」
二十九球目をなんとか返した。
最後の一球がフォア側へ飛んでくる。
モルフォは右足を出し、ラケットを振った。
球はネットに当たり、そのまま自分の側へ落ちた。
「はい、終わり」
「はぁ……はぁ……」
モルフォは大きく息を吐いた。
「……三十球って、こんなに多いんですか?」
「三十球が多いというより、モルフォちゃんの体力がまだ戻ってないのよ」
天馬に言われ、何も返せなかった。
「とりあえず休憩。水飲んできなさい」
「まだできます」
「その息で?」
「……休みます」
ベンチへ座り、水筒を手に取る。
しばらくすると、光輝が隣へやってきた。
タブレットの画面をモルフォへ向ける。
「さっきのですか?」
光輝が首を縦に振った。
動画が再生される。
最初の数球。
画面の中のモルフォは、台の近くで小さく足を動かしていた。打ったあともすぐに戻り、次の球へ備えている。
光輝が映像を止めると、そこから画面を操作して後半へ進めた。
「……あ」
自分でもすぐに分かった。
台から少し離れている。
足も止まり、球が来てから動き始めていた。間に合わなくなると、腕だけを伸ばしている。
光輝が画面の足元を指さす。
それからモルフォを見ると、自分で小さくステップを踏んだ。
右、左。
元の位置へ戻る。
「足が止まってる?」
光輝は頷くと、タブレットを隣の椅子に置き、スマートフォンを取り出した。
『疲れると、足より先に手が出る。』
モルフォはもう一度、タブレットの画面を見る。
たしかにその通りだった。
光輝がさらにスマートフォンへ文字を入力する。
『打ったら戻る。次の球が来てから動かない。』
「前にも言われました……」
待ってから動かない。
前回教えられたことだ。
一球、二球なら意識できる。けれど、疲れてくると全部抜けてしまう。
「もう一回やります」
モルフォが立ち上がろうとすると、光輝が手のひらを向けた。
「?」
今度は手のひらを下へ向け、座るように動かす。
「……もう少し休めってことですね」
光輝が頷いた。
モルフォは仕方なく座り直した。
数分後、二回目の多球練習が始まった。
「今度は早く打とうとしすぎなくていいわ。まず足を止めないこと。そこだけ意識して」
「はい!」
一回目よりも動きは良かった。
打ったら戻り、次の球が来る前にまた足を動かす。
二十球を越えても、なんとか続いている。
けれど、後半になると再び息が荒くなり、一歩目が少しずつ遅れ始めた。
「まだ足止めない!」
天馬の声に押されるように動き続け、最後の球をフォアで返す。
「三十!」
モルフォは肩で息をしながら、ラケットを下ろした。
手応えはあった。
それでも、最後まで最初と同じようには動けなかった。
「一回目よりかなり良くなったわね」
「でも、最後の方は全然早く打てませんでした」
「そこが今の課題ね」
天馬が籠を脇へ寄せる。
「疲れてくると足が止まる。足が止まれば打点が遅くなる。そうすると、せっかく前で戦っていてもモルフォちゃんの良さが出せない」
モルフォは自分の足を見る。
たった三十球で、あれだけ動かなくなった。
「体力、全然ない……」
「二年間離れてたんだから当然よ」
天馬はあっさり言った。
「だから、これから戻していくの。一球だけ上手く打てるんじゃなくて、何球続いても同じように動けるようにね」
「はい」
できない理由が分かった。
なら、練習すればいい。
そう思ったところで、天馬が「あ、そうそう」と声を上げた。
「ちょうどいい目標があるのよ」
「目標?」
天馬は練習場の端へ行き、一枚の紙を持って戻ってきた。
「一か月後に、青葉区で小学生向けの小さな卓球大会があるの」
「大会……」
モルフォが紙を受け取る。
青葉区内のクラブなどが参加する、小規模な大会だった。
「大きな大会じゃないし、試合経験を積むにはちょうどいいと思うわ」
「私も出られるんですか?」
「出たいならね」
モルフォは案内へ目を落とした。
一か月後。
今はまだ、三十球続いただけで足が止まる。
実際の試合なら、フォアとバックへ交互に球が来てくれるわけでもない。
「出たいです」
すぐに答えた。
天馬が笑う。
「そう言うと思ったわ」
モルフォは光輝を見る。
「一か月で、もっと動けるようになりますか?」
光輝は少し考えてから、スマートフォンへ文字を打った。
『できる。ちゃんと練習すれば、今よりもっと動ける。』
モルフォはその文字を見つめた。
一か月後には、復帰後初めての大会が待っている。
今より少しでも長く、速く、思い通りに動けるようになりたい。
モルフォはラケットを握り直した。




