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バタフライエフェクト  作者: シッピー&樽
【小学四年生】 立志編
5/10

説得【挿絵あり】

 夏休みが終わり、学校が始まって数日が経った。


「ただいま」


 玄関で靴を脱いだモルフォが居間を覗くと、祖父がいつもの席に座っていた。


「おかえり。モルフォ、手紙が来てるぞ」


「えっ」


 ランドセルを背負ったまま駆け寄る。


 祖父が差し出した封筒を見た瞬間、モルフォの胸が跳ねた。


 もう何度も見た封筒だった。


「蛍瀬(ほたるせ)さんから……」


 最後のつもりで送った手紙への返事。


 これで駄目なら、もう手紙は送らないと決めていた。


「ほら、ランドセル下ろしてから読め」


「あ、うん」


 モルフォはランドセルを下ろしてから、封筒を受け取った。


 台所から祖母が顔を出した。


「今回は何て書いてあるかねえ」


 光輝と手紙をやり取りしていたことを、両親はまだ知らない。


 最初の一通からずっと、郵便受けを確認することの多い祖父か祖母が、モルフォ宛ての封筒だけ別で渡してくれていた。


「お父さんとお母さんには……」


「言ってないよ」


 祖母が答えた。


「モルフォが自分で話すことだからね」


 祖父も頷く。


「ただ、いつまでも黙ってるわけにはいかんぞ」


「大丈夫。これで最後だから」


 モルフォは封筒へ視線を落とした。


 これまで届いた返事は、どれも断る内容だった。


 今回もきっとそうだろう。


 恐る恐る封を切る。


 便箋を取り出して、最初の一行を読んだ。


『分かりました。』


「……え?」


 目を瞬く。


 続きへ視線を落とした。


『ご両親の許しが出たら、下記のメールアドレスに連絡ください。』


 その下にはメールアドレスが書かれている。


 もう一度、最初から読んだ。


「……いいって」


「ん?」


「蛍瀬さん、いいって!」


 思わず声が大きくなった。


「やった!」


 便箋を握ったまま、顔を輝かせる。


 最後の一通だった。


 もう駄目だと思っていた。


 それなのに、光輝から初めて「できません」ではない返事が来た。


「よかったな」


 祖父が笑う。


 祖母も嬉しそうに頷いた。


「でも、まだ終わりじゃないよ。モルフォはまだ子供だからね。ここからが本番だよ」


「……うん」


 便箋には、しっかり書かれている。


 ――ご両親の許しが出たら。


 一番難しいところが残っていた。



 ◇



 その日の夕食後。


「お父さん、お母さん。話があるの」


 モルフォが切り出すと、父と母が揃ってこちらを向いた。


 祖父と祖母も席を立たずに残っている。


 モルフォは昼間受け取った手紙をテーブルへ置いた。


「これ、蛍瀬さんから」


「蛍瀬さん?」


 母の表情が変わる。


 父が手紙を取り、中を読んだ。


「……モルフォ。これ、どういうことだ?」


「私が手紙を送ったの」


「いつ?」


「三回忌から帰ってきてから」


 母が驚いたようにモルフォを見る。


「ずっと?」


「うん。何回か送った」


「私たち、知らなかったわよ」


「俺たちがこの子に直接渡してた」


 祖父が口を開いた。


「親父たちが?」


 父が祖父を見る。


「モルフォ宛ての手紙だからな。本人に渡した」


「でも、どうして黙ってたんだ?」


「この子が自分で話すことだと思ったのよ」


 祖母が言う。


「それに今までは、ずっと断られてたんでしょう?」


「……うん」


 モルフォは頷いた。


「これが最後のつもりだった。でも、今度は蛍瀬さんが、ご両親の許しが出たらって」


 父がもう一度手紙を見る。


「それで、俺たちに許してほしいと」


「うん」


 モルフォは膝の上で拳を握った。


「私、卓球したい」


挿絵(By みてみん)


 三回忌の日にも言った言葉だった。


 けれど、今度はそれだけでは終わらない。


「二年間やってなかったから、前みたいにできるか分かんない。途中で怖くなるかもしれない。でも、やりたいの」


 父は腕を組み、黙って聞いていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「……俺も、すぐ賛成とは言えないな」


 モルフォは父を見る。


 母も少し俯いたあと、首を振った。


「……やっぱり、お母さんも心配よ」


「どうして?」


「大会に出るなら遠くへ行くことだってあるでしょう。またバスに乗ることもあるかもしれない」


 母の声が震える。


「あんなこと、もう二度と起きてほしくないの」


 モルフォは何も言えなかった。


「でもな」


 祖父が口を開いた。


「アゲハたちが亡くなったことと、卓球そのものには因果関係はないだろう」


 母が顔を上げる。


「卓球をしていたから事故に遭ったんじゃない。飲酒運転の車がぶつかってきたんだ」


「それは理解しています。でも……」


「分かってるなら、少しだけ分けて考えてやれないか」


「分かってても怖いんです!」


 母の声が大きくなった。


 モルフォの肩がわずかに跳ねる。


 祖父はそれ以上言わなかった。


 代わりに、祖母が静かに口を開く。


「怖いのは当たり前だよ」


 母が俯いた。


「私だって怖い。あの日みたいなことは、もう二度と起きてほしくない」


 祖母はゆっくり続ける。


「でもね。どれだけ気をつけていたって、事故を全部避けられるわけじゃない。歩道を歩いていても、飲酒運転の車が突っ込んでくるかもしれない」


「……」


「だからって、怖いものを全部避けて、この子のやりたいことまで取り上げるのは違うんじゃないかい」


 父も母も黙っている。


「何より、モルフォ本人がやりたいと言ってるんだ」


 祖父が続けた。


「アゲハが亡くなってから、二年間もラケットに触れなかった子が、自分からもう一度やりたいって言ってる」


 モルフォは両親を見た。


「私、やりたい」


 少しだけ息を吸う。


「お兄ちゃんがやってたからじゃなくて、私が卓球したいの」


 しばらく誰も話さなかった。


 やがて父が、隣の母を見る。


「……どうする?」


 母はすぐには答えなかった。


 長い沈黙のあと、小さく息を吐く。


「約束して」


「え?」


「無理はしないこと。怖い時は、ちゃんと怖いって言うこと。それと、遠くへ行く時は絶対に私たちに相談すること」


 モルフォの目が大きくなる。


「それって……」


「卓球をやることまで、駄目とは言わない」


「ほんと?」


「ただし、勝手なことはしないで」


「うん! 絶対しない!」


 モルフォは大きく頷いた。


 母の顔にはまだ不安が残っていた。それでも、もう駄目とは言わなかった。


 二年間、触れることもできなかった卓球を、もう一度始められる。


 それだけで胸がいっぱいになる。


「よかったな」


 祖父が笑った。


 ところが、父は手紙を見ながら首を傾げた。


「ただ、一つ問題があるぞ」


「なに?」


「蛍瀬さん、東京に住んでるんだろ?」


「……あ」


 モルフォは固まった。


「どうやって教えてもらうつもりなんだ?」


「……新幹線?」


「毎回?」


「……」


「誰がお金出すんだ」


「……お父さん?」


「無理だ」


「だよね」


 その横で、祖父と祖母が顔を寄せる。


「俺の箪笥貯金なら、多少は……」


「何言ってるの。あれは老後のためでしょう。あなた、あと少しで後期高齢者なのよ」


「少しくらいならいいだろ」


「そういう問題じゃありません」


 二人が小声で話している間に、モルフォはもう一度手紙を見た。


「じゃあ、蛍瀬さんに聞いてみる」


 そう言ってモルフォは席を立った。


 急いで自分の部屋へと戻り、パソコンを立ち上げ、手紙の最後に書かれたメールアドレスを慎重に入力する。


『両親から、卓球をしてもいいと言ってもらえました。


 でも、私は仙台に住んでいます。


 どうしたらいいですか。』


 一文字ずつ読み返してから、送信する。


 あとは待つしかない。


 その夜、返事は来なかった。



 ◇



 翌朝。


 モルフォはいつもより早く目を覚ました。


 顔を洗い、朝食も急いで食べる。


 それからパソコンを立ち上げると、新しいメールが一件届いていた。


「来てる!」


 差出人は蛍瀬光輝。


 すぐに開く。


『ご両親の許可が出たのですね。分かりました。


 仙台に知り合いがいるので、住まいを用意できないか掛け合ってみます。


 練習についても、その人が関わっている卓球クラブを使わせてもらえると思います。


 クラブの月謝は必要になりますが、私へのコーチ代は必要ありません。


 詳しいことが決まったら、また連絡します。』


「……え?」


 モルフォは画面を見つめた。


 もう一度読む。


 仙台に住む。


 卓球クラブを使う。


 コーチ代はいらない。


 つまり――。


「蛍瀬さん、仙台に来るの……?」


 自分に卓球を教えるために。


 昨日までは、もう一度卓球ができるかどうかさえ分からなかった。それが今、少しずつ現実になろうとしている。


「モルフォ! 学校遅れるわよ!」


「あっ!」


 母の声に椅子から立ち上がり、慌ててランドセルを背負う。


「行ってきます!」


 玄関を飛び出したモルフォは、いつもより少し速い足取りで学校へ向かった。

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