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それでも

暗闇に、蒼い光が淀んでいた。


「逃すな! 必ず捕らえろ!」


怒声と、警報を告げる鐘の音が響く。


何処に向かっているのか。

何から逃げているのか。

何故、逃げているのか。


何もわからなくなっていた。


ただ、息を切らして走る。


たった三日だけ過ごした街並みが、次々と視界を流れていく。


昼間、火をもらうために人が並んでいた広場。ゲンさんと歩いた道。

見覚えのある場所が、一瞬だけ見えては後ろへ消えていく。


たった三日。

それなのに、ここは知らない場所ではなくなっていた。


どこをどう走ったのかも分からない。

気づけば、私は細い路地に入り込んでいた。


両側には古びた建物が迫り、月明かりさえほとんど届かない。


「探せ、必ずこの辺りにいる」


蒼い光と共に声が響く。


目の前は行き止まりだった。

私は積まれた木箱の陰に身をかがめ、息を殺した。


足音が近づいてくる。

一歩、また一歩。

やがて、路地の壁が淡い蒼に染まった。


もうダメだ。

そう思った瞬間だった。


「こっちよ」


女の人の声。

頭上から聞こえた。

私は声のする方を見上げる。


月明かりを背に、一人の女の人が立っていた。


長い赤髪が、夜風に揺れている。

少し鋭い目つき。

綺麗な人だった。


「早く」


そう言って、彼女は私に手を伸ばした。


私はその手を掴もうとした。

だけど、どう見ても届く距離じゃない。


辺りには、蒼い光が漂っている。


私は身を隠していた木箱によじ登り、必死にその手を掴んだ。


しっかりとした、硬い手。

でも、暖かかった。


胸の奥では、言葉にできないドロドロとしたものが、まだへばりついていた。


知らない人。

信用できるのかわからない。

そもそも、この世界に私の味方などいるのだろうか?


でも――

何故だろう。


その暖かさが、胸の奥にへばりついた何かを少しだけ溶かした。


私は、その手を強く握り返した。

細くしなやかな腕が私の身体を屋根の上へと引っ張り上げた。


私はぼんやり彼女の顔を見た。

長い赤い髪に、少し黄色がかった綺麗な瞳。

黒いマントから覗く手足は、すらりと長い。

腰には短剣が下げられていた。


「早くしゃがんで。見つかるでしょ」


女の人が声を潜める。

私は慌てて、その場に身を伏せた。


「ちゃんと、ついてきて」


彼女は身をかがめ、屋根の上を進み出した。

私はその背を追う。


「穢れ火を必ず捕らえろ!」


下から声が響く。

十を超える蒼い炎が、暗い村の中を蠢いている。


「私はライラ。あんたは?」


女の人が振り向き、そう言った。


「トワ……トワです」


私の答えに、彼女は少し驚いた顔をした。


「へえ、あんたが」


どうやら、彼女は私のことを知っているらしい。

だけど、それ以上は何も言わず先へ進んだ。


しばらく屋根伝いに進んだあと、人気のない路地へ降りる。


私たちは物陰を縫うように、静かに村の外を目指した。


背後では、まだ鐘が鳴り続けている。


さらに進むと、村の境界の柵が見えてきた。

そのときだった。


「グゴァァァァ――!」


……なに?


獣の咆哮のような声が、村の中央から響いてきた。


「まさか……」


ライラさんは声のした方を見て、呟いた。

そして彼女は私の手を強く引き、柵へ向かって走りだした。


三メートルはありそうな、石と木で組まれた柵。


これ、どうやって越えるんだろう?

そう思った矢先、ライラさんが手をかざした。

その手から、赤い炎が噴き出す。


「えっ」


炎が柵を焼き、瞬く間に人一人が通れるほどの穴を開けた。


私たちはその穴を潜り、村を出た。


◇


森を抜け、坂道を登った。

しばらく進むと、少し開けた高台に出た。


そのとき、どこからか光を感じた。

日の出とは違う。

私は、吸い寄せられるように、その光の方へ目を向けた。


赤い炎。


たった三日だけ過ごしたあの村が、その中に溶けていた。

炎の中に、見覚えのある屋根が見えた。


あの辺りは――


「……ゲンさん」


胸が締めつけられる。


私を売った人。


それでも、三日間、私にご飯を食べさせてくれた人。

着るものを貸してくれた人。


カン、カン。


もう聞こえるはずのない音が、頭の中で響いた。


戻らないと。

何故かそう思った。

その瞬間、私の脚は来た道へ向かっていた。  


「どこ行くの?」


ライラさんの声が飛んできた。


「戻らないと……」


「は?」


「ゲンさんが、まだあそこにいる」


ライラさんは燃える村を一度見て、私に視線を戻した。


「あんた、自分が何言ってるか分かってる?

あいつに売られたのよ?」


その言葉が私の胸を刺す。


そんなこと、私だって分かっている。


ゲンさんは私を騙した。

私を、あの人たちに差し出した。


でも――


「それでも……」


自分の感情を言葉にできなかった。

それでも、あの人が炎の中にいると思うと、このまま背を向けることはできなかった。


駆け出そうとした瞬間、ライラさんに肩を掴まれた。


「離し――」


その言葉を言い終えるより先に、私は突き飛ばされた。


うつ伏せに地面へ倒れ込む。


何が起こったのか分からない。

でも、私を突き飛ばしたのがライラさんだということだけは分かった。


顔を上げる。


彼女の背が見えた。


その先に、誰かいる。


騎士……?


ギィン、と金属音が響く。


ライラさんは短剣を抜き、振り下ろされた大きな槍を受け止めていた。

次の瞬間、その身体が薙ぎ払われ、宙に浮く。

でも、彼女は空中で身体を翻し、まるで最初からそうするつもりだったみたいに、綺麗に私の横へ降り立った。


「竜騎士……」


ライラさんが呟く。

私は前方に立つ騎士を、恐る恐る見た。


蒼い鎧。


それは、私が目覚めたあの山で追ってきていた騎士たちの鎧と似ていた。

でも、どこか違う。

蒼い鎧が、月明かりを不気味に反射している。

手には、私の身長よりも長そうな槍。


頭上から大きな羽音が響いた。

見上げる。

月を遮るように、大きな影が旋回していた。


あの魔物だ。

カイが何度も空を気にしていた、あの翼の生えた魔物。


ワイバーン。

1000年後の世界。

そして目の前には、槍を構えた騎士が不気味なほど静かに佇んでいた。

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