火をもらう
「わざわざ、こっちから来てやってるんだ。納期を守ってもらわないと困る」
目を開ける前から、知らない男の声が聞こえていた。
「何言ってんだ。急に数を増やされて、こっちも一人でやってるんだ」
少し苛立ったようなゲンさんの声が続いた。
「火を回してやってるのは誰だと思ってるんだ?わかってるのか?」
別の男の声が聞こえた。
その嫌味な物言いは、ドラマに出てくる嫌な奴のテンプレみたいだった。
「無理なもんは無理だ。もう少しだけ、待ってくれ。」
ゲンさんの声には、先ほどまでの強さはなかった。
少し沈黙が流れた。
やがて、低い声が返ってきた。
「あと3日だけ、待ってやる。それまでに必ず準備しておけ」
その声がやみ、外は静かになった。
部屋の窓から朝日が差し込んでいた。
昨晩、光を放っていた蝋燭のような物の先は蒼く焦げ、火は消えていた。
火を消さずに寝ちゃってた……。そう思うと、ぞっとして、一気に目が覚めた。
私は部屋を出て、鍛冶場のほうへ向かった。
冷たい風が吹き抜けている。
鍛冶場は、屋根と少しの壁しかない造りだった。
ゲンさんは、椅子に一人で腰掛けていた。
「おはよう、ゲンさん」
「トワ、起きたのか? おはよう」
「さっき、誰が来てたの?」
私は尋ねた。
「ああ、ボンクラ騎士どもだ。また無茶を押しつけに来やがった。……まあ、トワは気にするな。」
気づけば、声にしていた。
「少しだけ聞こえたんだけど……私、多分、火を出せるよ。」
それは、この世界で知った断片的な情報から導き出した言葉じゃない。
ただ、この人の力になりたい。その気持ちだけが、私の口を動かしていた。
私の言葉に、ゲンさんの表情が一変した。
「トワ、絶対に火を使うな。……奴らを侮るな。すぐに見つかるぞ」
強い声だった。
その声に、思わず息をのんだ。
奴らが誰のことを言っているのかはわからなかった。
それでも、私は深く頷いた。
その姿を見て、ゲンさんも少しだけ表情を和らげた。
「今から出かけるが、トワ、お前も着いてくるか?」
そう言って、ゲンさんは火のない竈門を一度見つめ、立ち上がった。
どこに行くのかはわからないが、私は頷いた。
◇
私は身支度のため、一度部屋へ戻った。
木箱からえんじ色の厚手の上着と動きやすそうなズボンを選び、革のブーツを履いた。
そして、あのマントを羽織る。
似合っているのかはわからない。
SNSで見たコーデを真似するときみたいに、この世界で見かけた人たちの格好を思い出しながら、できるだけ周りに馴染むように選んだ。
最後に、肩にかかる髪を結ぼうとした。
指先に触れた髪を見て、ふと違和感を覚える。
私の髪は真っ黒だったはずだ。
光の加減かもしれない。けれど、その黒はほんの少しだけ色を失っているように見えた。
少し気になったが、鏡は見当たらない。
私は部屋を出て、昨晩食事をした部屋の壁際に置かれた木桶を覗き込んだ。
水面に映るその顔は、確かに私だった。
昨晩、しっかり顔は洗って寝た。
当然、すっぴんだ。
メイクは苦手だった。
「ナチュラルが一番」と自分に言い訳して、最低限しかしなかった。
だから、化粧をしていなくてもほとんど変わらない。
十七歳。あの世界にいた頃と、何も変わっていない。
千年も眠っていたんだ。
普通なら、ミイラになっていてもおかしくない。
なのに、変わったのは髪の色が少し薄くなったように見えるだけ。
その方が、よほど異常だった。
そんなことを考えながら、私は鍛冶場で待つゲンさんのもとへ向かった。
◇
「おっ! 似合ってるじゃねーか」
私を見るなり、ゲンさんが言った。
少しだけ照れくさかった。
お父さんも、何でも褒めてくれた。
でも、もうお父さんはいない。
「村には、水と飯の買い出し、それと火をもらいに行く」
そう言うゲンさんの背には大きな樽があり、手には所々に小さな穴の開いた、金属製のドームのようなものが握られていた。
「私も、持つよ」
「そうか? こっちは重いから、これを頼む」
そう言って、ゲンさんは手に持つドームを私に渡した。
その上部についた輪の持ち手を握る。
腕が沈んだ。
思っていたより、ずっと重かった。
「おっ? 大丈夫か?」
そう言って、ゲンさんは笑った。
「……大丈夫」
私はそう答えた。
「これ、何に使うの?」
「まぁ、すぐに分かる。行くぞ」
そう言って、ゲンさんは鍛冶場を後にした。
私は重たい金属のドームの持ち手を両手で握り、その背を追った。
◇
村の中心部に着いた。
昨夜は気付かなかったが、過去の世界の遺物を利用した建物よりも、木造の建物の方が多かった。
それに、昨日とは違って人がたくさんいる。
私が眠っていた千年の間に、何があったのかはまだほとんど知らない。
でも、これだけ世界が変わってしまったのに、人はまた家を建て、こうして暮らしている。
なんだか、そのことがすごいことのように思えた。
そんな村の景色を眺めながら歩いていると、まだ腕がじんじんしていた。
あの金属のドームは、すでにゲンさんの手にある。
何度も立ち止まっては持ち方を変える私を見かねて、途中で取り上げられてしまった。
……大丈夫って言ったのに。
ゲンさんはさらに、村で買った食料や水まで背負っていた。
家の近くに井戸があったのに、わざわざ水を買うのが少し不思議だった。
でも、あえて聞かなかった。
私のいた世界だって、コンビニで水を買う人はいたし。
ゲンさんの手にある、あの金属のドームはまだ使われていなかった。
でも、どうやらここが目的地らしい。
目の前には、周囲の木造家屋とは明らかに違う、仰々しい石造りの建物があった。
見上げると、その屋根には、大きな鐘が備え付けられている。
カイは、ここで火を分けてもらえると言っていた。
ゲンさんは、その建物へ進んでいった。
中は静かだった。
何人かの騎士が、こちらを監視するように見ている。
そして、その奥。
大きな燭台のようなものの上で、炎が揺らめいていた。
蒼い炎が。
「鍛冶屋か、早くしろ」
明らかに悪人っぽい口調の兵が、ゲンさんを急かした。
そして、私の顔を珍しそうに見る。
私は慌てて顔を伏せた。
コーデは完璧なはず。
村人Aだ。
ゲンさんは炎へ近づいていった。
私も、その後を追う。
やがて、燭台の目の前まで来た。
蒼い炎が揺らめいている。
大きい。
私より――いや、ゲンさんよりも大きい。
燭台の両脇には、傘立てのような筒があり、何本もの木の棒が乱雑に差し込まれていた。
ゲンさんは金属のドームを床に置き、蓋を外した。
そして、筒の中から一本の棒を取った。
慣れた動作で、棒の先を蒼い炎へ差し入れる。
私はその光景をじっと見ていた。
やがて、棒の先に火が移った。
蒼い火だった。
そして、ドームの中にある蝋のようなものへ、その火を近づけた。
蒼い火が、ゆっくりと燃え移る。
ゲンさんは役目を終えた棒を、燭台へ投げ込んだ。
ぱちり、と音を立てて、棒が炎に呑まれていく。
ゲンさんはそれを確かめると、ドームに蓋をした。
「トワ、帰るぞ」
私はじっと見ていた。
燃えて、灰になっていくそれを。
そのとき、頭上から大きな鐘の音が響いた。
「早く出ろ」
騎士に急かされ、私はゲンさんの後を追って建物を出た。
建物の周りには、さっきまでなかった列ができていた。
並んでいる人たちは皆、手に木の棒のようなものを持っている。
騎士たちは、鋭い目つきでその人々を見張っていた。
ゲンさんはその光景に目もくれず、来た道を進んでいく。
私は一度だけ列を振り返り、その背を追った。
ゲンさんが持つ金属のドームの小さな穴から、蒼い光が漏れている。
「火をもらう」
その言葉の意味を、知った。
だけど、一つ知るたびに、新しい疑問が生まれていく。
まるで、炎が次々と燃え移っていくように。




