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新世界のアリア ー終曲一

もしも、あのとき。

旧界の奥で。

もっと先へ進めると感じたことを、みんなに話していたら。

集落のみんなは、こんなに追い詰められずに済んだのだろうか。

そしたら、ここに来なくてよかったのではないだろうか。


もしも、あのとき。

頭のテントで。

私には何の力もないと、この計画に反対していたら。

こんなことにはならなかったのではないだろうか。


もしも、あのとき。


意識は消えきらず、そんなことばかりが脳裏をよぎる。


「テオノス……千年ぶりですか」


突然、声が聞こえた。

少し高い、どんな声よりも聞き慣れた声。

喉の奥に、微かな震えが残っている。

間違いなく、私から出た声。

それなのに、私の知らない声だった。

静かで、ひどく落ち着いた声。


「姫、帰りましょう。我々の故郷へ。

今度こそ、お連れします」


あの騎士、テオノスが見える。

さっきまで、私に向けられていたものとは明らかに違う。

蒼い目にはどこか優しさが滲んでいた。


「私はもう、貴方が仕えてくれた不死のエイオンではありません。ただの命素の残滓にすぎません」


私の喉が揺れ、静かな声が続く。


「それは、貴方も……」


「何を言っておられるのですか?

我々には、今もなおこの血肉がある」


そう言って、テオノスは焼け爛れた両腕を広げた。


私の腕が勝手に動き、視界に見慣れた小さな手が映った。

私の意思がこの使い慣れた身体に届かない。

違う何かが、身体を動かしている。


それでも、声は聞こえる。景色も見える。

ぼんやりと、感覚だけは残っていた。


「この子は優しい子です。

かつての貴方のように」


静かな声が響く。

長い銀髪と、それよりも深い銀色の瞳が脳裏に浮かんだ。

私には分かった。

神代トワの身体で、あの人がこの時間に立っている。


「何を言っているのですか?

その檻が貴方を守れるのですか?

貴方を守るのは、私ですよ?」


テオノスの声には、明らかな苛立ちが滲んでいた。


「私は守られるために、この時間に出たのではありません。

貴方から、この子を守るためにここにいるのです」


エイオン。

この人がテオノスを避けていたことは、ぼんやりと分かっていた。

それでも、今私の代わりに立っている。

たぶん、千年前のあの瞬間も。

理由は分からない。

悲しげな瞳が、脳裏をよぎる。

胸が疼いた。


「テオノス……さようなら」


聞き慣れた声が悲しげに響いた。

私が放った炎は、すでに勢いを失いつつあった。

だが、その炎が、再び激しさを増していく。

燃え続けていた魔石が、音を立てて砕けていく。


「万獣の炎舞」


私の声が、小さく響いた。

その瞬間、辺りを包む紅い炎から、無数の獣たちが飛び出した。

虎? 鷲? 大蛇?

他にもたくさん。

様々な生き物の姿をした炎が、意思を持つかのように暴れ始めた。


そして、テオノスの背後から、熊のような姿をした炎が現れ、巨大な腕を振り下ろす。

テオノスは振り向きざまに剣で受け止めた。

だが、その剣ごと地面に叩きつけられた。

凄まじい衝撃に地面が砕け、テオノスの身体がめり込んでいた。

その身体を、紅い炎が容赦なく焼いていた。


それでも、テオノスは立ち上がる。


「千年前よりはましになっているのでしょう。

ですが、こんなものじゃなかった。

貴方の炎は……」


彼の目が、悲しげに遠くを見つめていた。


「その檻が……。

今度こそ、私がそこから掬い出しましょう!」


テオノスの全身から蒼い炎が激しく噴き上がった。

次の瞬間、騎士に数多の炎の獣が一斉に襲いかかった。


騎士は剣を構え、私の、いや、彼の姫のもとへ進んだ。

数多の炎が舞う。

騎士は一歩進んでは押し戻され、それでもまた前へ進む。


いつのまにか、私の目にはあの騎士が、一つの信念を貫く勇者のように映っていた。

炎に包まれた魔王の城。

たった一人で乗り込んだその蒼き勇者が、姫を目の前にして、無限に湧き続ける魔物とのエンカウントを繰り返しているようだった。

だけど、その勇者自身も、炎に焼かれ、すでに異形の姿へと成り果てていた。


私にはあの勇者がはっきりと憎かった。

静かに魔王の勝利を願っていた。

それなのに、自らが魔物と成り果ててでも進む勇者の姿を見ていると、勝敗とは別の何かに目を奪われていた。


すでにテオノスの蒼い光は消えかけ、一方的に炎の魔物にいたぶられていた。

それでも、彼はただ一点を見つめ続けていた。


「不滅の炎」

聞こえたのは、私の声だった。

胸の前に構えられた両手で、炎が練り上げられる。

その炎の揺らぎの奥に、立ち尽くす異形の勇者が映る。

救えなかった姫をじっと見つめる、勇者の蒼い目があった。


終わる。


彼女の痛みが分かった。

私も同じ場所が痛むような気がした。


私はあの姿から目を逸らしたかった。

だけど、エイオンは逸らさなかった。


両手に練り上げられた炎が、この空間を、この時間を、紅く溶かしていく。


何かの終わりを告げるように、アリアの鐘がやんだ。

心に強烈な痛みが走る。

全ての音が消えたような気がした。


不滅の炎が放たれる。

その瞬間。

見慣れた手に、たしかに私の意思が伝わった。

私が手を逸らしたことだけは、ぼんやりと分かった。


紅に染まる世界の中、私の意識は沈んでいった。


◇


「なんで、私を助けてくれたの?」


静かに窓を見つめるエイオンの背中に、問いかけた。

金属のような質感の白い床と壁。

黒く沈んだ世界を映す大きな窓。

私は、いつの間にかあの部屋にいた。


「貴方も私のために走ってくれました」


エイオンが振り向き答えた。

彼女が何のことを言っているのかは分かった。


「でも、千年前も……」

「そうですね。なぜでしょうか……」


少し沈黙が続く。


「あの人、テオノス。

貴方の騎士だったんだよね?

どうなったの?」


口にした途端、胸の奥が痛んだ。

はっきりと、思い出せる。

私が炎を逸らした。

何故そうしたのかは分からなかった。


「ごめんなさい」


彼女の反応から彼が生きていることは分かった。

でも、何故、エイオンが謝るのだろう。

彼女の覚悟を踏み躙ったのは私だ。


私はそのことについてこれ以上何も言えなかった。

でも。


「ありがとう、エイオン。私を助けてくれて」


私は笑った。

エイオンは不思議そうに私を見た。

そして、一瞬だけ微笑んだように見えた。

やっぱり、すごく綺麗な人。

全然私に似てない。


「ねぇ、エイオン。今度は私、どれぐらい眠るのかな?」


エイオンの視線が、部屋の奥へと向けられる。

その先には、時計のような大きな黒いものがあった。

二本の針が、凄まじい速さで回っている。


「そろそろ、目覚めの時でしょう。

十年。それぐらいでしょうか」


私はその数字を聞いて、ほっとした。

また千年、あるいはそれ以上の時間が過ぎるのかもしれない。

そんなことまで考えていたから。

十年なら。

ルビさんも、ミカも、きっと生きている。

そう信じた。


私たち二人にとっては、10分にも満たない会話だった。

だけど、外の世界では十年が過ぎようとしている。

この人だけなのかもしれない。

私と同じ時間を、生きていく人は。


「トワ、貴方に不死鳥の加護が在らんことを」


エイオンの声と共に空間が紅く染まる。

私は、銀色の瞳を見つめた。

そして、笑顔を返した。


十年後の世界で。

私は、再び目を覚ます。

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