↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/32

故郷

どうしてここにいるのかも、ここがどこなのかもわからない。

大きな窓のある無機質な白い部屋。

窓の向こうに広がる空は、どこまでも暗い。

巨大な機械と、魔物のような異形が戦っている。

まるで、アニメの最終決戦みたいな光景だった。


窓辺には、一人の女性が立っていた。

腰まで届く銀色の髪が、夜風もない部屋で静かに揺れている。

漆黒のドレスには、燃えかけた羽を思わせる紅が溶け込んでいた。

その鮮やかな紅だけが、滅びゆく世界の中でまだ生きているように見えた。


この人を、私は知っている気がした。


「こうして、終わっていったのです」


突然、その声が静かに響いた。


「誰……?」


ドレスの女性は窓の外を見つめたまま、何も答えなかった。


「トワ」

「貴方は、これから一人だけ時間に置いていかれます」

「望んでも」

「望まなくても」


女性は、ゆっくりと私を見た。

銀色の瞳だけが、悲しいほど綺麗だった。


「私を――」


どこからともなく、炎が燃える音が聞こえた。

その音が、彼女の最後の言葉を飲み込んだ。


白い部屋が燃える。

黒い空が燃える。

彼女の姿まで炎に溶けていく。


その時、一枚の紅い羽が、私の目の前をゆっくりと落ちていった気がした。


◇◇◇


トワ。

その名前は、お母さんが決めてくれたと聞いている。

ずっと、健康で、幸せに生きてほしい。

そんな願いが込められている。


私はお母さんの顔を写真でしか知らない。

私を産んですぐに亡くなったからだ。

だから、お父さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、私が寂しくないように、たくさん愛してくれた。


友達がいて。

海があって。

山があって。


私は、この街が好きだった。


――その景色が、ゆっくりと炎に包まれていく。


◇◇◇


視線の先には、崩れかけたコンクリートの天井があった。

所々から、細い光が差し込んでいる。


まただ。


ここは、どこなのだろう。


硬いベッドから背を起こす。


その瞬間、胸元から結晶のようなものが転がり落ちた。

あの紅いルビーのような結晶だった。


剣に貫かれた瞬間が脳裏をよぎる。

制服と下着の左胸には、大きな穴が開いていた。

それなのに、私の胸には傷一つ残っていなかった。


ベッドから立ち上がった。


布のようなもので周囲が仕切られている。

仮設の病室のような場所だった。

壁際には、私のコートが掛けられている。


それを手に取る。

穴の開いていたはずのコートは、誰かが丁寧に縫い直してくれていた。 


とにかく寒い。

私は急いでコートを羽織り、震える指でボタンを閉じた。


一度、深く息を吐く。

私は再びベッドに腰を下ろし、制服のポケットからスマホを取り出した。


電源ボタンを長押しする。


……何も映らない。


最近、やっと新型に買い替えたばかりだった。

それに、昨日の夜には充電したはずだ。

もう一度押す。

それでも、黒い画面は沈黙したままだった。


その時だった。


部屋を仕切る布の下から、革でできた丸い球が転がってきた。

ころころと転がるそれを、思わず拾い上げた。


「うわ、やべー! ここ、巫女様が寝てるんだろ? タロ、お前のせいだ!」


「えぇ!? コウ君のパスが悪いからだよ!」


外から、子どもたちの声が聞こえる。

やはり、知らない言葉なのに、意味だけははっきりと分かった。


私はそのボロボロのボールを持って外へ出た。


少し離れたところに、大きな岩壁が見えた。

どちらを向いても、岩、岩、岩。

薄暗く、空がやけに遠く感じる。

岩肌には布が張られ、その形を利用した簡素なテントのようなものが並んでいた。


どうやら、あの子たちのボールらしい。

五、六歳くらいの子どもが二人立っていた。

一人は黒髪の少年。

もう一人は灰色の髪。

あの歳から染めているのだろうか?


二人とも、私の見たことのないような服を着ていた。

それは、粗い布を縫い合わせただけのような、質素な服だった。


「はい、ボール」


私は黒髪の少年にボールを渡した。


「あ、ありがとう!」


少年はそう言うと、もう一人の子へボールを蹴った。

少しぎこちない足取りで追いかけ、二人は笑いながら駆け出していく。

サッカーだ。

私の知っているサッカーだった。

なんだか、少し安心した。


改めて、辺りを見渡す。

岩肌に張られた布。

粗末な服をまとった人々。

そして、剣を背負った人々。


うん?

……いや、おかしいでしょ。

銃刀法違反でしょ?

現実に剣を背負って歩いてる人なんている?


まるで、私がプレイしてきたRPGの世界だった。


そういえば、さっきも蒼い炎に燃やされて、剣に貫かれるなんて、夢だったんだ。

これも夢なのだろう。

……どこからが、夢なんだろう?

考えれば考えるほど、何が本当なのか分からなくなってきた。


とにかく、夢だと信じて辺りを歩いてみることにした。


やはり、変わった格好の人しかいない。

妙に人の視線を感じる。

制服という、ごく普通の格好のはずの私が、この場所では浮いているように思えた。


結局、どうしていいのか分からず、その場に立ち尽くしてしまう。


その時だった。


「巫女様、目覚められたのですね」


突然、聞き覚えのある声が響いた。

私は声の方へ視線を向ける。


灰色の髪。

背が高く、がっしりとした体格。

革の鎧に毛皮を羽織った男だった。

山で私を助けようとしていた男の人だった。


「皆、不死鳥の巫女が目覚められたぞ!」


男の声が集落中に響き渡った。


布の向こうから次々と人が姿を現した。

老人も、子どもも、武器を持った男たちも。

その誰もが、私を見つめていた。


私は状況をまったく理解できず、ただ唖然と立ち尽くしていた。


◇◇◇


男に連れられ、少し大きめのテントへ案内された。

私は黙って彼についていくしかなかった。


テントの中も寒い。

暖房器具らしきものは見当たらず、照明もなかった。

今は天井の裂け目から差し込む陽の光で明るい。

けれど、夜になれば何も見えなくなるのではないだろうか。


「目覚めたのかい?」


狭く薄暗い空間に、女の人のかすれた声が響く。

部屋の奥に置かれた簡素なベッドから、小柄な老女がゆっくりと身を起こした。

そして、傍らのコンクリートブロックに腰を下ろした。


その顔には、所々に黒い石のようなものが皮膚に食い込むように浮かんでいた。シミとは明らかに違う。


彼女は私の顔をじっと見つめた。

そして、何かを察したように、静かに口を開く。


「千年、過ぎたのさ。あんたが生きていた時代からね」


私には、その意味が分からなかった。

知らない言葉だからではない。

その言葉を、現実として受け止められなかった。

千年という時間を、人が生きられるわけがない。

やっぱり夢だ。

じゃなければ、超高性能なVRゲームだ。


「あたしらは、先祖が交わした約束を律儀に果たしただけさ。こっから先、あんたがどう生きるかは自由だ。」


しゃがれた声が静かに響く。


「族長。彼女の力がなければ、我々は火を……」


「何言ってるんだい。そんなの、ただの迷信さ」


「ですが……事実、千年後の盟約の日に彼女は目覚めました」


「偶然だよ。ただの強力な異能持ちだろ」


「ですが、あの傷がたった一ヶ月で完治するほどの力ですよ。千年前の異能者ならば、必ず我々の希望になります」


二人の言い争いは、しばらく続いた。

とにかく、私の扱いについて話していることだけは、分かった。

その時だった。


「族長! リザードマンだ! かなりでかい奴まで入ってきた!」


若い男の声がテントへ響いた。


銀髪に黒い瞳。

二十歳にも満たなそうな青年だった。

腰には剣を提げ、使い込まれた革鎧の上から、フード付きの布のマントを羽織っている。


「そうかい……」


族長は難しい顔で目を伏せた。


「私も討伐に出ます」


壮年の男はそう言うと、一瞬だけ私を見た。


今、この場所に危険な生き物が入り込み、人々の命が脅かされている。

そのことだけは私にも理解できた。


壮年の男と、伝令に来た青年はテントから飛び出していった。

私と族長だけが、その場に残った。


「……そろそろ、この場所も限界かもしれないね」


彼女は静かに口を開いた。

妙にリアルなその言葉に、私は何も答えられなかった。


「あたしらの先祖は、かつてここであんたに命を救われたそうさ。

その時、約束したんだよ。

千年後、目覚めるあんたの力になるってさ。

……まぁ、ここに伝わる、ただの伝説さ」


「私が……?」


思わず声が漏れた。

私は、あの日まで普通の高校生だった。

そんなはずはない。


「近頃は、この辺りも魔物が増えてきてね。

こうやって拠点が襲われるのも、日常さ。

あんたとの約束も果たした。」


テントの外から、生々しい人の叫び声と剣が打ち合う音が聞こえてくる。

戦いが始まっているのだと、それだけは分かった。


本当は、分かっていたのかもしれない。

ここは、夢でも、VRでもない。

あの蒼い炎に焼かれたとき、神代トワは終わったんだ。

ただ、その現実から目を背けていた。

もう戻れないのかもしれない。

あの街へ。


「ここが、あなたの故郷なんですか?」


「ああ」


テントの外で、誰かの悲鳴が響いた。

続いて、剣が激しくぶつかり合う音が耳を打つ。


「……また、帰って来られますか?」


何故そんなことを口にしたのか、自分でも分からなかった。

ただ、この人たちに故郷を失ってほしくなかった。


「一度逃げたら、もう戻って来られない気がしてね。だから、ここまでしがみついて来たんだよ」


彼女は静かに目を伏せた。


その顔を見た瞬間、私はテントを飛び出し、走り出していた。


何故だろう。

何もできないのに。

何かしたい。


山と海。

家族。

友達。

私が生きてきた、あの街の景色が脳裏をよぎる。


息を切らし走った。

集落の中心らしい開けた場所へ出た。


そこには、逃げ惑う人々がいた。

そして、その向こうではゲームの中でしか見たことのない、二足歩行の巨大なトカゲが、刃こぼれした剣を構えていた。


魔物の黄色い瞳に、私の姿が映る。


魔物がゆっくりと私へ近づく。

刃こぼれした剣が、高く振り上げられた。


次の瞬間。


ギィンッ!!


振り下ろされた剣が、寸前で弾かれた。


「何やってんだ!」


あの銀髪の青年だった。

全身には傷が刻まれ、首元には、あの黒い結晶のようなものが食い込むように生えていた。


魔物が再び剣を振り下ろす。

青年はそれを受け止めたが、あまりの力に片膝をついた。


金属が軋む音が響く。


青年は歯を食いしばり、魔物の剣を横へ弾いた。

その勢いのまま懐へ踏み込み、剣を振り抜く。


魔物の巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。


「こっちだ!」


青年が叫ぶ。

私は慌ててその後を追った。


◇◇◇


青年の背を追って走る。


やがて、地上へ続く裂け目が見えてきた。


「俺はカイ! あんたの名前は!」


「神代……トワ。」


「トワ! お前をここから逃す!親父の決定だ!」


カイは息を切らしながら叫ぶ。

その言葉に、私は足を止めた。


「おい、何やってんだ! 早く来い!」


私が動かないことに気づいたカイが振り返った。

私は崩れかけた拠点を、じっと見つめていた。


「……あなたにとっても、ここは故郷なの?」


「ああ」


カイは、静かに頷いた。


その時だった。

視界の端を、黒い影が駆け抜ける。

鈍い衝突音が響いた。

振り向く。


カイが岩肌へ叩きつけられていた。


目の前では、全身を黒い鱗に覆われた、先ほどの魔物よりも二回り大きなトカゲの魔物が、巨大な戦斧を振り上げていた。


「……トワ、逃げろ……」


カイの掠れた声が響いた。

魔物は瓦礫を踏み砕き、ゆっくりと私の前へ近づいてくる。

一歩ごとに、地面が鈍く揺れた。


私は、その巨体を見上げることしかできなかった。

足が動かない。


魔物は巨大な戦斧を、私へ向けて振り上げた。

そして、確かに、その斧は振り下ろされた。


――パリン。


紅い光が弾けた。

何かが砕け散る音が響く。


次の瞬間。


私の身体は、凄まじい衝撃で叩き飛ばされていた。


……生きている。

何が起こったのかは分からない。


私は瓦礫の中で、なんとか身を起こした。


視線の先では、カイが剣を杖代わりに立ち上がり、私を庇うように前へ出ていた。


魔物はゆっくりとこちらへ歩み寄る。

そして再び、巨大な戦斧を振り上げた。


カイは剣を構えた。

だが、その足は震え、一歩も前へ出なかった。


斧が振り下ろされる。


私のために、この人が死んでしまう。


私は――


何もできない。

それでも、目の前でこの人が死ぬのを、ただ見ていたくなかった。


そう思った瞬間だった。


時が、ゆっくりと。

ゆっくりと流れていく。


どこからともなく、声が響く。


「――不滅の炎。

私の還る場所。」


長い、長い眠りの中で聞いた、悲しげな声。


「左の翼、永劫の炎。盟なき者を焼き尽くす。」


誰なの?

貴方が私をこの時間へ連れてきたの?


「右の翼、永遠の炎。契りし者の命を繋ぐ。」


何も返ってこない。


ただ、一つの言葉が胸に残った。


――永遠の炎。


私は自然とその言葉を、なぞるように口にしていた。


その瞬間。

右手が、熱を帯びる。

まるで眠り続けていた炎が、静かに目を覚ますように。


私は右手をカイの背へ向ける。

そして、左手でその手首をそっと支えた。


右手のひらから、白紅の炎が放たれる。

炎は音もなくカイを包み込んだ。


彼の傷が、ゆっくりと塞がっていく。

時そのものが、静かに巻き戻っていくようだった。


やがて、白紅の炎が消えていく。


ゆっくりと流れていた世界が、本来の速さを取り戻した。


炎の一部がカイの右腕を伝い、握られた剣を紅く染めていた。


カイが紅く染まった剣を振り抜いた。

鋭い金属音が響く。

巨大な戦斧が砕け、魔物の身体を紅い斬撃が走った。

気づけば、カイは魔物の背後に立っていた

右手に握る剣には、紅い炎が静かに揺らめいている。

やがて、巨大な魔物がゆっくりと崩れ落ちた。


「紅き炎……不死鳥の伝説は、本当だったのか……」


カイはそう呟くと、一瞬だけ私を振り返った。


「トワ、地上へ急ぐぞ!」


カイは駆け出した。

私はその背を追う。


積み上げられた石段を駆け上がり、地上へ飛び出した。


傾き始めた陽の冷たい光が世界を照らしていた。


そこに広がっていたのは、見たこともないほど巨大な廃墟。

崩れた高架。

木々に呑まれた鉄骨。

遠くに聳える山と潮風だけが、どこか懐かしかった。


黒いドレスをまとった、あの女性の姿が脳裏をよぎった。

族長の言葉が、ようやく胸の奥に落ちてきた。

――ここは、千年後の世界なのだと。


あの街へ帰りたい。

みんなの所へ帰りたい。

目の奥が熱くなる。

それでも、溢れ出しそうな気持ちに、そっと蓋をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。