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不滅の炎

二月。

高校生活の二年目がもうすぐ終わる。


通い慣れた坂道を上る。

海から吹く冷たい風が、制服の裾を揺らした。

潮の匂いがする。

振り返れば、冬の海が朝日にきらめいていた。山の向こうから昇る光が街をゆっくりと照らしていく。

私は、この景色が好きだった。


いつものように校門をくぐり、八時過ぎに教室へ入った。


そこは、月曜の朝とは思えないほど静かだった。

教壇には、マスクをつけた担任が立っている。

それ以外、誰もいなかった。


「神代さん……昨日の連絡、見ていませんか?

本日から学級閉鎖です。今日はそのまま帰ってください。」


担任の声が静かな教室に響く。


そうか。

私はやらかしたらしい。

完全に無駄足だった。


先週末は、ずっと遊んでいるゲームのアスネクの大型アップデートがあった。


なのに、高二の冬は忙しかった。

土日は予備校。

ようやく自由になって、そのままゲームに熱中し、寝落ちした。


その結果が今だった。


……ちなみに、推しの新キャラはすり抜けた。


「すみません」


担任に頭を下げ、私は教室を後にしようとした。


その瞬間にはすでに私の再演算は終わっていた。

今日はファミレスとのコラボ初日だ。

学生じゃ絶対に無理だと思っていた。

推しのメルルのアクリルスタンドを手に入れられる。


――神様がくれたチャンスかもしれない。


「ちょっと待って」


浮き足立つ私を担任が呼び止める。

いきなり計算外のハプニング。

何か長い話なのだろうか?

9時には着きたい。

メルルの人気を、侮ってはいけない。


「マスクは? 持ってないの?」


「……メルル?」


担任はきょとんとした顔で、自分の口元を指差した。


そうか。

マスクか。

何で聞き間違えたんだろう。三文字ってこと以外、全然違う。


「あっ、はい! すみません!」


「貴方はいつも元気ですけど、マナーでもありますよ」


そう言って、白い不織布マスクを差し出した。


「ありがとうございます」


袋を破り、髪を耳にかけてマスクをつける。

そして、急足で教室をあとにした。



ガチャ計画は、立ててある。

すり抜けたから、次の★5は確定だ。

周年イベントは石も大量に配られる。

メルルはお迎えできる。

……たぶん。


周年で、ヒーラーで、あのビジュ。

メルルは人権だ。


できれば、モチーフ武器まで引きたい。

たけど、私の財布はいつも何故か寂しい。


そんなことを考えているうちに、ファミレスが見えてきた。

時刻は九時十分。

開店からまだ十分。

間に合う。


一人でファミレスに入るなんて、普段なら少し気が引ける。

でも、今日は違う。

メルルのためなら、このくらい余裕だ。


ゴールは目の前だった。

だから、目の前はメルルだった。


その結果、肩に鈍い衝撃が走った。


「あっ、すみません!」


私は全力で謝った。

通りすがりの人にぶつかってしまったのだ。

たぶん、99%私が悪い。

メルルのことばかり考えていて、前を見ていなかった。


心の中で10秒数えたけど、まだ返事がない。

私はありったけの勇気を振り絞って視線を上げて、その姿を見た。


背の高い若い男。

少し青みがかった髪。

整った顔立ちなのに、まるで人形みたいに表情がない。


何かのコスプレ……かな?

そんなことを考えていると、男がゆっくりと口を開いた。


「……いつぶりでしょうか」


男は、確かに私を見ていた。

なのに、何故か私の向こう側を見ているようにも見えた。


「やっと、お会いできました。」


一歩。

また一歩。

男はゆっくりと距離を詰める。


「そこに、おられるのですね。」

「……姫」


この人が何を言っているのか、一つも分からない。


まずい。


とんでもない人を引いてしまったのかもしれない。


「本当に、ごめんなさい」


通行人達は厄介ごとを避けるように通り過ぎていった。

寒空の下、私はとにかく謝るしかなかった。

マスク越しの声は、自分でも少しくぐもって聞こえた。


車の音も、人の声も、風の音も、遠くへ消えていく。


次の瞬間、頬に熱が走った。

気付けば、口元を覆っていたマスクがなくなっていた。


私の目に映る光景は、ただの女子高生には現実として理解できなかった。

ゲームでしか見たことのない光景。


男自身の胸の前に掲げられた右手。

その掌の上で、野球ボールほどの蒼い炎のようなものが静かに揺らめいている。


そして、その蒼い揺らめきの向こうから、男の鋭い目が私をじっと見つめていた。


彼の表情は不思議だった。

怒っているようにも見える。

それ以上に、今にも泣き出しそうにも見えた。


次の瞬間、その蒼い炎が視界を包む。


最初は、頬を掠めた熱だった。

それが、胸へ。

腹へ。

全身へと広がっていく。


呼吸をするたび、身体の内側で炎が燃え上がるように感じる。


そして、信号も、アスファルトも、過ぎゆく人の顔も、全部が蒼に変わっていく。


燃えている。

世界なのか、それとも、私自身なのか。


これは、夢なのかもしれない。

私の知っている現実と違いすぎた。

恐怖すら沈んでいく。

そして、そっと目を閉じた。


炎の揺らぐ音だけが、世界との唯一の繋がりのように感じた。

私はこの瞬間をまるで永遠のように感じていた。


ふと、音が変わっていることに気づいた。

ゆっくりと目を開く。

いつの間にか蒼に染まる世界が消えていた。

私を包むように燃える紅い炎だけが映った。


理由は分からない。

でも、私はその紅い炎を知っていた。


ああ……


ごめん、メルル。

結局、お迎えできなかった。

そんなことを考えながら、私は瞼を閉じた。


意識は炎に溶けていった。


◇◇◇


どうしてここにいるのかも、ここがどこなのかもわからない。

大きな窓のある無機質な白い部屋。

窓の向こうに広がる空は、どこまでも暗い。

巨大な機械と、魔物のような異形が戦っている。

まるで、アニメの最終決戦みたいな光景だった。


窓辺には、一人の女性が立っていた。

腰まで届く銀色の髪が、夜風もない部屋で静かに揺れている。

漆黒のドレスには、燃えかけた羽を思わせる紅が溶け込んでいた。

その鮮やかな紅だけが、滅びゆく世界の中でまだ生きているように見えた。


この人を、私は知っている気がした。


「こうして、終わっていったのです」


突然、その声が静かに響いた。


「誰……?」


ドレスの女性は窓の外を見つめたまま、何も答えなかった。


「トワ」

「貴方は、これから一人だけ時間に置いていかれます」

「望んでも」

「望まなくても」


女性は、ゆっくりと私を見た。

銀色の瞳だけが、悲しいほど綺麗だった。


「私を――」


どこからともなく、炎が燃える音が聞こえた。

その音が、彼女の最後の言葉を飲み込んだ。


白い部屋が燃える。

黒い空が燃える。

彼女の姿まで炎に溶けていく。


その時、一枚の紅い羽が、私の目の前をゆっくりと落ちていった気がした。


◇◇◇


「ダン! まずい! 蒼炎騎士に囲まれた!」


「巫女を、奪わせるな!」


次に飛び込んできたのは、聞き覚えのない声をした二人の男の会話だった。


それは知らない言葉だった。

なのに、意味だけは、はっきりと分かった。


身体が動かない。

目も開けられない。

まるで何かに閉じ込められているようだった。


微かに身体が揺れている。


その揺れが、不意に止まる。


ミシッ――。

突然、何かが軋む音が耳元で鳴る。


「結晶が!」


男の叫びと同時に、硬い殻が砕け散るような甲高い音が世界に響いた。


お尻に衝撃が走る。

続いて背中に何か硬いものが当たった。


私は天を仰いでいた。

視界いっぱいに木々と、その隙間から青空が広がっていた。


「お尻、痛……」


呟きながら身体を起こす。

ゆっくりと立ち上がり、辺りを見回した。


少し頭がぼんやりしていた。

……ここは、どこなんだろう。


どこかの森のような場所だ。

でも――


「巫女が覚醒されたぞ、これで」


私の思考を遮るように、低い男の声が響く。

やはり、知らない言葉のはずなのに、何故か意味だけは分かった。


二人とも背に剣を負い、ぼろ布と革鎧を身につけている。

アスネクに出てきそうなレジスタンスそのものだった。


私は恐る恐る口を開いた。


「あの……ここは、どこですか?」


「ミノア近郊のマヤ森林です。巫女様、お身体の具合は?」


私の言葉も通じている。

確かに、互いに知らないはずの言葉なのに、不思議と意味だけは伝わっている。


やっと、意識がはっきりしてきた。


そこは薄暗い森だった。


辺りを見渡すと、錆びた鉄板が半ば土に埋もれている。

振り返る。

木だと思っていたものの一つが、蔦に覆われた崩れかけのコンクリートの柱だった。


何だろう、この場所。

森なのに、どこか人工物の名残を感じる。


私はメルルのためにファミレスへ向かっていたはずだった。

その途中で、あのコスプレみたいな格好をした男と出会って――。


現実感がなかった。

まだ夢の続きを見ているようだった。


「蒼炎騎士が迫っています。拠点まで、我々が命に代えても巫女様をお守りします。急ぎましょう」


男は急かすようにそう言うと駆け出した。

状況は何一つ理解できない。

それでも、「蒼炎」という言葉を聞いた瞬間、胸の奥に恐怖が走った。

私は二人について行こうと、一歩踏み出した。


――パリン。 


何かが砕け散るような音が響く。

足元を見ると、赤いルビーのような結晶の破片が無数に散らばっていた。


その赤い輝きが、さっきまで私を包んでいた炎を思い出させる。


その瞬間だった。


「巫女が目覚めているぞ! 捕らえろ!」


怒号とともに、蒼いマントを翻した騎士たちが一斉に木々を飛び越えてきた。


剣を抜く無機質な音が森に響く。


「なんとしても、巫女様だけは逃がせ」


ダンと、まだ名も知らない男が叫び、騎士たちと斬り結ぶ。


十人はいる。

数が多すぎた。


私は、なぜか私を守ろうとしてくれる二人から引き離される。


そして、一瞬の出来事だった。

騎士が懐深くへ踏み込む。

銀の刃が、私の胸を貫いた。


「巫女様ッ!!」


さっき出会ったばかりの男の叫びが響く。

その叫びも、剣の音も、水の底から聞こえるみたいに遠かった。

知らない場所で、今度こそ死ぬのだろうか。

胸からは血が吹き出している。


でも、何故だろう。

私だけが、死から取り残されていく気がした。


痛みがない。


何かが燃えるような音が聞こえる。

何かが焦げたような匂いがする。

音と匂いの元を探すように、ゆっくりと視線を落とした。


胸を貫いていた剣が赤熱し、音を立てて溶け落ちていく。


紅が宙へ舞い上がる。


飛び散ったそれは、一瞬だけ何かが羽ばたいたように揺らぎ、やがて火の粉となって空へ溶けていく。

その光景は、美しいという言葉だけでは足りなかった。


それを見て気づいた。

血だと思っていた。

でも違った。

私の身体から溢れていた紅は、炎だった。


炎は胸を貫く剣を伝い、騎士を焼く。

その勢いのまま、森へと燃え広がっていった。


「忌まわしき炎め……」


赤熱した兜の隙間から、騎士が私を見ていた。その目にあったのは、怒りではない。

穢れを見るような嫌悪だけだった。

次の瞬間、騎士は糸が切れたように倒れた。


これが私の中から現れた力なのだと、ぼんやりと気づいた。

だけど、この燃える森も、あの目も、どこか他人事みたいだった。


意識が、ゆっくりと遠のいていく。

炎の向こう。

山並みの切れ間から、冬の海が見えた。

その景色だけが、どこか懐かしかった。



私はまだ、何も知らなかった。

神代トワとして生きた世界が、時の彼方へ消えてしまっていることを。

そして、この不滅なる炎の、本当の意味を。

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