不滅の炎
ガチャ石はこれが最後。
お年玉はとっくに使いきった。
これが魂のラスト十連。
やーーっ!
おっ!
……ん?
いつもより読み込みが長い。
これは……?
きたか?
私は祈るように、ぎゅっと目を閉じた。
お願い。今度こそ。メルル!!!
ゆっくりと目を開けた。
画面いっぱいに、赤茶けた荒野が広がっていた。
そこには、甲冑をまとった騎士たちが並んでいた。
白銀の鎧は傷だらけ。
あれ?
なんだこれ?
流れ始めた演出は、配信者の動画で何度も見たものとは違っていた。
騎士たちの顔や、鎧から覗く腕には、黒い結晶が皮膚を蝕むように広がっている。
映像は、ゆっくりと騎士たちの奥へ進んでいく。
その先には、一人の女の人が立っていた。
黒いドレス。
長い銀髪に、整った顔立ち。
すごく綺麗なキャラクターだ。
間違いなく星5の作り込み。
その人だけは、他の騎士とは違い傷一つなく、まるで別の世界から来たように立っていた。
……ん?
恒常にはこんなキャラはいない。
いや、そもそも――
こんなキャラ、このゲームにいない。
「姫! 既にS4が複製を始めています!」
騎士の一人が叫んだ。
「このままでは、我々は……」
周囲の騎士たちがざわめいた。
誰もが傷つき、疲れ果てている。
なのに、黒いドレスの女の人だけは、少しも驚いていなかった。
「そうですね。報いなのでしょう」
静かな声だった。
「ですが、貴方だけでも生きてください。そうすれば、いつか――」
「私が一人生き延びて、どうなるというのでしょうか?」
そうか、わかった。
これは、夢だ!
それにしても、ずいぶん凝った夢だ。
「それでも、貴方に生き続けてほしい!」
蒼い髪の騎士が叫んだ。
このイケメンも間違いなく星5だ。
だけど、死亡フラグがやばい。
「私は何処までも、この身が朽ちようとお供いたします!」
その声は、今にも泣き出しそうだった。
女の人は何も答えなかった。
ただ、紅みがかった瞳を伏せた。
あれ?
いつの間にか、私はスマホの画面越しではなく、この世界に立っていた。
足元には、ひび割れた大地が広がっている。
見上げれば、空は墨を流したように黒かった。
騎士たちは暗闇の向こうを見つめたまま、誰も動こうとしない。
まるで、もう結末を知っているみたいだった。
やがて、騎士たちが一斉に女の人へ向き直った。
「不死鳥の加護が在らんことを」
幾重もの声が重なった。
女の人は、静かに頷いた。
騎士たちは一斉に剣を抜き、暗闇の向こうへ駆け出していく。
誰かが何かを叫んだ。
その声をかき消すような轟音が鳴り響いた。
女の人の足元から、紅い光が走る。
次の瞬間、炎が世界を呑み込んだ。
◇
充電器につながれたスマホの画面が光っていた。
ガチャのリザルト画面では、既に完凸した恒常キャラが決めポーズをしている。
めちゃくちゃ腹が立つ。
さっき、夢を見ていた気がするけど、ほとんど覚えてない。
やば、何時だ?
時計を見る。
……まずい。
私はベッドから飛び起きた。
急いで洗面台に向かった。
歯ブラシに歯磨き粉を雑につけ、猛スピードで歯を磨いた。
鏡に映る姿は酷かった。
長い黒髪は寝癖でぼさぼさ。
ぱっちりした黒い目は、我ながら結構綺麗だと思う。
なのに、どうしてこうもやる気のなさそうな顔なんだろう。
とにかく寝癖を直し、最低限のメイクを済ませた。
「お父さん、ちゃんと起こしてよ」
「あっ、まだいたのか。ごめんごめん」
「もぉー。行ってきます」
「いってらっしゃい」
◇
二月。
高校生活の二年目がもうすぐ終わる。
通い慣れた坂道を上る。
海から吹く冷たい風が、制服の裾を揺らした。
潮の匂いがする。
振り返れば、冬の海は朝日にきらめいていた。
山の向こうから昇る光が街をゆっくりと照らしていく。私は、この景色が好きだった。
そんないつもの通学路には、マスク姿の人が目立った。
風邪が流行っているのだろう。
まあ、私は元気だった。
いつものように校門をくぐり、八時過ぎに教室へ入った。
そこは、月曜の朝とは思えないほど静かだった。教壇には、マスクをつけた担任が立っており、それ以外、誰もいなかった。
「神代さん……昨晩送ったメッセージ、見ていませんか?
本日から学級閉鎖です。今日はそのまま帰ってください。」
担任の声が静かな教室に響く。
そうか。
私はやらかしたらしい。
完全に無駄足だった。
昨晩はゲームに夢中になって、学校からの連絡を見逃したらしい。
担任に頭を下げ、私は教室を後にしようとした。
その瞬間にはすでに今日の予定が完成していた。
私にはメルルという推しがいる!
あっ、アスネクというゲームの人気キャラだ。
なんと、そのメルルが今日からファミレスとコラボするのだ!
……正確にはアスネクとのコラボだけど。
何故、平日スタートなのか!?
コラボ発表のあの瞬間から、学生への弾圧だと憤怒していた。
だが、しかし!!
――神様がくれたチャンスだ。
「ちょっと待って」
浮き足立つ私を担任が呼び止める。
いきなり計算外のハプニング。
何か長い話なのだろうか?
九時には着きたい。
メルルの人気を、そして転売ヤーの力を侮ってはいけない。
「マスクは? 持ってないの?」
「……メルル?」
担任はきょとんとした顔で、自分の口元を指差した。
そうか。
マスクか。
何で聞き間違えたんだろう。三文字ってこと以外、全然違う。
「あっ、はい! すみません!」
「あまり、寄り道はしないようにね」
そう言って、白い不織布マスクを差し出した。
「ありがとうございます」
袋を破り、髪を耳にかけてマスクをつける。
先生に何かを見抜かれているような気まずさを感じつつも急ぎ足で教室をあとにした。
◇
駅に着いた。
反対側のホームに、学年一のイケメンと言われる隣のクラスの成瀬くんがいる。
その隣には、同じく学年一の美女と言われる高城さん。
もはや誰もが知っている情報だが、二人は付き合っているらしい。
だけど、なんでこんな時間に?
私はバカだからいるのだが。
ホームには、ほかにも学生がちらほらいる。
急遽学級閉鎖になったのだろう。
まあ、どうでもいいか。
ぼーっと眺めていたら、不覚にも成瀬くんと目が合ってしまった。
急いでマスクを鼻まで引き上げた。
一年生のとき、成瀬くんに告白された。
丁重にお断りした。
嫌いだったわけじゃない。
ただ、付き合いたいとも思わなかった。
それ以来、少しだけ彼と顔を合わせるのが苦手になった。
しばらくすると定時どおり電車がホームに滑り込んできた。
◇
最寄駅に着いた。
いつも通ってる予備校を通り過ぎる。
今日はここが目的地ではない。
もうすぐ受験生だ。
成績はそこそこ。でも、進路は決まっていない。
予備校の先生は、今が人生の分岐点だと何度も言う。
でも、私にはその実感がなかった。
私は、それなりに社交的なほうだ。
周りの友達もそろそろ将来のことを真剣に考え始めている。
そんな話になれば、私も適当に話を合わせている。
でも、私にとっては一人でアニメを見たり、ゲームをしたり、絵を描いたりする時間のほうが気楽だった。
独りの時間が好きだった。
急ぎ足で歩いていたせいか、足が少し痛い。
……いや、単なる運動不足かもしれない。
いつの間にか、空を分厚い雲が覆っていた。
白いものが、ひらひらと目の前を横切る。
その向こうに、ファミレスが見えてきた。
時刻は九時十分。
開店からまだ十分。
間に合う。
一人でファミレスに入るなんて、普段なら少し気が引ける。
でも、今日は違う。
メルルのためなら、このくらい余裕だ。
ゴールは目の前だった。
だから、目の前はメルルだった。
その結果、肩に鈍い衝撃が走った。
「あっ、すみません!」
私は全力で謝った。
通りすがりの人にぶつかってしまったのだ。
たぶん、99%私が悪い。
メルルのことばかり考えていて、前を見ていなかった。
心の中で5秒数えたけど、まだ返事がない。
私はありったけの勇気を振り絞って視線を上げて、その姿を見た。
背の高い若い男。
少し青みがかった髪。
整った顔立ちなのに、まるで人形みたいに表情がない。
何かのコスプレ……かな?
そんなことを考えていると、男がゆっくりと口を開いた。
「……いつぶりでしょうか」
男は、確かに私を見ていた。
なのに、何故か私の向こう側を見ているようにも見えた。
「やっと、お会いできました」
一歩。
また一歩。
男はゆっくりと距離を詰める。
「そこに、おられるのですね」
「……姫」
この人が何を言っているのか、一つも分からない。
まずい。
とんでもない人を引いてしまったのかもしれない。
「本当に、ごめんなさい」
さっきまで疎らだった雪はいつの間にか勢いを増し、街を少しずつ白く染めていく。
行き交う人々は、私たちに目もくれず通り過ぎていった。
寒空の下、私はとにかく謝るしかなかった。
マスク越しの声は、自分でも少しくぐもって聞こえた。
車の音も、人の声も、風の音も、遠くへ消えていく。
白に変わっていく街の中で、蒼い髪の彼だけが切り取られたように見えた。
その瞬間、頬に熱が走った。
気付けば、口元を覆っていたマスクがなくなっていた。
夢でも見ているのだろうか?
いや、頬に残る熱の上に積もっていく雪の冷たさが、あまりに生々しく、これが現実なのだと突きつけてくる。
それでも、私の目に映ったゲームのような光景は、どうしても現実だとは思えなかった。
男が胸の前に掲げた右手。
その掌の上で、野球ボールほどの蒼い炎のようなものが静かに揺らめいている。
そして、その蒼い揺らめきの向こうから、男の鋭い目が私をじっと見つめていた。
彼の表情は不思議だった。
怒っているようにも見える。
それ以上に、今にも泣き出しそうにも見えた。
次の瞬間、その蒼い炎が視界を包む。
再び頬を掠めた熱。
それが、胸へ。
腹へ。
全身へと広がっていく。
呼吸をするたび、身体の内側で炎が燃え上がるように感じる。
そして、信号も、アスファルトも、過ぎゆく人の顔も、全部が蒼に変わっていく。
燃えている。
世界なのか、それとも、私自身なのか。
炎の揺らぐ音だけが、世界との唯一の繋がりのように感じた。
私はこの瞬間をまるで永遠のように感じていた。
いつの間にか、私は目を閉じていた。
ふと、炎の音が変わった。
ゆっくりと目を開く。
蒼く染まっていた世界は、消えていた。
私を包んでいたのは、紅い炎だった。
私の意識はその紅い炎にゆっくりと溶けていった。
◇◇◇
「ダン! まずい! 蒼炎騎士に囲まれた!」
遠くから、金属がぶつかるような、音が聞こえた。
「巫女を、奪わせるな!」
次に飛び込んできたのは、聞き覚えのない声をした二人の男の会話だった。
それは知らない言葉だった。
なのに、意味だけは、はっきりと分かった。
身体が動かない。
目も開けられない。
まるで何かに閉じ込められているようだった。
微かに身体が揺れている。
その揺れが、不意に止まる。
ミシッ――。
突然、何かが軋む音が耳元で鳴る。
「結晶が!」
男の叫びと同時に、硬い殻が砕け散るような甲高い音が世界に響いた。
お尻に衝撃が走る。
続いて背中に何か硬いものが当たった。
私は天を仰いでいた。
視界いっぱいに木々と、その隙間から青空が広がっていた。
「お尻、痛……」
呟きながら身体を起こす。
ゆっくりと立ち上がり、辺りを見回した。
少し頭がぼんやりしていた。
……ここは、どこなんだろう。
どこかの森のような場所だ。
でも――
「巫女様がお目覚めになったぞ、これで――」
私の思考を遮るように、低い男の声が響く。
やはり、知らない言葉のはずなのに、何故か意味だけは分かった。
二人とも、ぼろ布と革鎧を身につけている。
アスネクのレジスタンスのような格好だった。
一人は私のそばに膝をつき、もう一人は剣を抜いて明らかに何かを警戒していた。
私は恐る恐る口を開いた。
「あの……ここは、どこですか?」
「ミノア近郊のマヤ森林です。巫女様、お身体の具合は?」
何故か、私の言葉も通じている。
やっと、意識がはっきりしてきた。
そこは薄暗い森だった。
辺りを見渡すと、錆びた鉄板が半ば土に埋もれている。
振り返る。
木だと思っていたものの一つが、蔦に覆われた崩れかけのコンクリートの柱だった。
何だろう、この場所。
森なのに、所々に朽ちた人工物があった。
私はメルルのためにファミレスへ向かっていたはずだった。
その途中で、あのコスプレみたいな格好をした男と出会って――。
現実感がなかった。
まだ夢の続きを見ているようだった。
「蒼炎騎士が包囲を狭めています。急ぎましょう」
男は急かすようにそう言うと駆け出した。
状況は何一つ理解できない。
それでも、「蒼炎」という言葉を聞いた瞬間、胸の奥に恐怖が走った。
私は二人について行こうと、一歩踏み出した。
――パリン。
何かが砕け散るような音が響く。
足元を見ると、赤いルビーのような結晶の破片が無数に散らばっていた。
その赤い輝きが、さっきまで私を包んでいた炎を思い出させる。
その瞬間だった。
「巫女が目覚めているぞ! 捕らえろ!」
怒号とともに、蒼いマントを翻した騎士たちが一斉に木々を飛び越えてきた。
幾つもの剣が鞘を滑る音が、森に響いた。
「なんとしても、巫女様だけは逃がせ」
ダンと、まだ名も知らない男が叫び、騎士たちと斬り結ぶ。
十人はいる。
数が多すぎた。
私は、守ろうとしてくれる二人から引き離される。
そして、一瞬の出来事だった。
騎士が私の懐へ踏み込んだ。
銀の刃が、私の胸を貫いた。
「巫女様ッ!!」
さっき出会ったばかりの男の叫びが響く。
その叫びも、剣の音も、水の底から聞こえるみたいに遠かった。
知らない場所で、今度こそ死ぬのだろうか。
胸からは血が吹き出している。
目に映る紅も、銀の刃も、誰かの声も、すべてが遥か遠くに感じる。
こんなに近くにあるはずの死が、私には届かない場所にあるようだった。
痛みがない。
何かが燃えるような音が聞こえる。
何かが焦げたような匂いがする。
音と匂いの元を探すように、ゆっくりと視線を落とす。
胸を貫いていた剣が赤熱し、音を立てて溶け落ちていく。
目の前で起きていることなのに、何がそうさせているのか分からない。
飛び散った私の血が、何かが羽ばたくように揺らぎ、やがて火の粉となって空へ溶けていく。
それを見て、やっと分かった。
血。
いや、違う。
私の身体から溢れていた紅は、炎だった。
炎は胸を貫く剣を伝い、そのまま騎士へと燃え移る。
「忌まわしき炎め……」
赤熱した兜の隙間から、騎士が私を見ていた。
その目にあったのは、怒りではない。
穢れを見るような嫌悪だけだった。
次の瞬間、騎士は糸が切れたように倒れた。
炎は止まらない。
騎士を焼き、その勢いのまま森へと燃え広がっていく。
これが私の中から現れた力なのだと、ぼんやりと気づいた。
だけど、この燃える森も、あの目も、どこか他人事みたいだった。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
炎の向こうに、冬の海が見えた気がした。
その景色だけが、どこか懐かしかった。
⸻
私はまだ、何も知らなかった。
神代トワとして生きた世界が、時の彼方へ消えてしまっていることを。
そして、この不滅なる炎の、本当の意味を。
生きる意味を自分の中に見つけられなかった少女が、永い時を生き、誰かが見た光を追いかけながら、自分なりの幸福を見つけていくお話です。
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