新世界のアリア ―序説―
作戦前日
夕刻
積まれた荷物と、7台の貨車。
その間を、子供たちやお年寄りまでもが、おぼつかない足取りで往復している。
バンシン地区。
この付近一帯を、そう呼ぶらしい。
バンシン地区を管轄する蒼炎騎士たちの大きな拠点の一つが、アリアという場所にあるそうだ。
渡り商人の提案を端的に言えば、この集落にそのアリアを落とさせることだった。
ラピの姿が見える。
彼は同年代の子より大柄な方だと思う。
それでも、まだ子供だ。
私は手伝おうと思い、何も言わずに近づいた。
荷物に手を伸ばすと、ラピは小さく首を横に振った。
そして、自分の身体ほどもある荷物を抱え、荷台へと運んでいく。
さすが、頭の息子だ。
アリアでは、〝蒼の目〟と呼ばれるワイバーンが飼育されているという。
さらに、蒼炎教の支配を支える蒼の魔石も、大量に保管されているらしい。
この魔石の破壊こそが、今回の襲撃で最も重要な目的であり、同時に最も困難な任務だという。
ただ、その魔石が何なのかは聞かされていない。
なんにせよ、この重要拠点に打撃を与えれば、商人たちも蒼炎教の顔色をうかがわず、私たち――いわばダークサイド側とも、安心して商売ができるようになる。
ワイバーンの監視がなくなれば、食料だって今よりずっと自由に確保できる。
そして、何より。
炎が使える。
つまり、あったかいスープが飲めるということだ。
「そっちの荷台の確認は済んだか?」
冷たい空気に、知っている声が響いた。
いつもより、少しだけ大きい。
ジェドは最後まで作戦に反対だった。
参加はしてくれない。
彼は私に気付いた。
私は彼から目を逸らした。
「早く、帰れ」
無表情にそれだけを言った。
私は頷いた。
ジェドから、実行部隊には既に解散の指示が出ていた。
明日は遠足ではない。
命がかかっている。
そう、命が。
私も明日に備えて、そろそろ戻ろう。
「トワ、あんまり無理しないようにね」
よく知っている、優しい声が響く。
ミカが雪の積もった岩に腰掛け、布で剣を拭っていた。
刃が動くたび、冬の淡い光が反射する。
「ミカも! 私、守るから! みんな!」
言った後に、はっとなった。
調子に乗った。
でも、彼は笑っていた。
彼には、この作戦でも特に重要な役割が与えられている。
なんでも、アリアの砦には竜騎士長アーサーというネームドがいるそうだ。
名前からして強そうだ。
ミカの役目は、魔石の破壊を阻もうとするであろうアーサーを抑えること。
できれば、討つ。
おそらく、彼にしかできないという。
私は、ミカとオニキと共に、アーサーとその側近を抑えるというハードな任務につく。
なんでも、オニキはこの集落で二番目に強いらしい。
正直、雑魚だと思っていた。
私がそんな重要な役割を任されるのは不安だけど、治癒能力に関しては、みんなから信頼されているということなのだろう。
以前、ナラの村で襲ってきた竜騎士は、槍を使っていた。
だけど、アーサー。
武器はやはり、泉に眠るあの聖剣なのだろうか?
立ち去る前に、もう一度ミカを振り返った。
綺麗な蒼い瞳は、静かに剣を見つめていた。
「よっ!ガキ!」
無精髭のタレ目、嫌な声。
オニキだ。
「こんにちは」
「もう夕方だぞ」
「さようなら」
夕方なら、まだ「こんにちは」でいいはずだ。
知らないが、帰ろう。
「おまえ、あんま無理すんなよ」
なんだ? 急に優しいぞ。怖い。
「参加しなくてもいいんだぞ。お前が死んだら、ルビちゃんが悲しむからな」
そうか、ルビさんのことを心配してるのか。
「まぁ、どうせミカ嬢がなんとかするぜ」
そこは自分が、じゃないのが彼らしい。
重要拠点であるアリアは、当然守りが厳しい。
私にだって、かなり難しい作戦だということぐらいわかる。
まぁ、この人にも頑張ってほしいものだ。
「じゃあな」
「はい、さようなら」
◇
ルビさんとの夕食を終えた。
二人ともほとんど言葉を交わさなかった。
いや、どちらかと言えば私が上の空だった。
緊張しているのだろう。
そんなときは、お風呂なのだが。
当然、この寒さだ。ナイトプールは閉鎖中。
この戦いに勝てば、お風呂に入れる。そう思って士気を上げる。
せめて、聖戦に挑むため身を清めよう。
ちなみに、この時代には泡が出て、いい匂いのする謎の植物がある。
私はそれで毎晩身体を拭いている。
だから、臭くはない。清潔だ。
ちなみに、泡はどうするのか?
実は、泡を吸う謎の植物まであるのだ。
気になりすぎて調べてみたら、なんか、これで受粉し合っているらしい。
よく分からないが、これを発見した人は偉大すぎる。
千年前に逆輸入したら売れそうだ。
余談だけど、この植物たちもカードにしてみた。
しかし、子供たちの間では雑魚カード認定されている。
たしかに、私も欲しくない。
やっぱりダメだ。
何を考えても、落ち着かない。
◇
ぼちぼち寝る準備を始めた。
静かになったからこそ、余計に分かった。
明日が近づくにつれて、心臓の鼓動が更に速くなっている。
私は、自分が不死だとほとんど確信している。
それなのに、何が怖いのか、何が不安なのか、自分でもわからない。
「トワ、ちょっといい?」
テントの仕切りの向こうから、ルビさんの声が聞こえた。
「うん」
「あなたには、ここに残って待っててほしいの。頭が決心してくれたのは、あなたのおかげだから。もう無理に危険な場所へ行かなくても……」
仕切り布越しに届いたのは、優しい言葉だった。
それなのに、一気に目頭が熱くなる。
何かが込み上げてくる。
「なんで、そんなこと言うの?」
自分でも、どうしてこんなことを言ったのか分からなかった。
「私じゃ役に立たないの?」
鼻をすする。
「頭が決心してくれたら、私はもういらないの?」
どこから出てきたのかはわからない。
それでも自分のどこかにあった言葉なのだろう。
しばらく、私のすすり泣く声だけが響いていた。
元の世界でも、誰かの役に立った覚えなんてない。
それに、私は蛇の魔物の死体に睨まれて、腰を抜かしてしまうぐらいだ。
役に立つわけがない。
「ごめんね、トワ。あなたを巻き込んで」
再び、布越しに声が響いた。
ちがうんだ。
その言葉が優しいほど、私の胸に深く刺さる。
『これから一人だけ時間に置いていかれます』
忘れかけていた、あの銀色の瞳が脳裏をよぎる。
人の温もりを感じるほど。
戦いが近づくほど。
あの言葉が、少しずつ近づいてくる気がしていた。
どれほど期待されているのかはわからない。
でも、応える自信がない。
あの炎の力だって、ほとんどわかっていない。
この集落がすきになっていた。
ここだけが、私の居場所だ。
また独りになってしまう。
また、あんな思いをすることになる。
あの銀色の瞳には、鏡のように映っていた。
時間に捨てられ、千年後の世界に独り残された私が。
「ルビさん。お願い。私を独りにしないで」
しばらく返事はなかった。
「誰かは死ぬわ。もしかしたら、みんな」
私のすすり泣く声だけが、二人の間に残った。
「それでも、生きていてほしい人がいるから。私は戦うことを選んだ」
その声には、迷いがなかった。
「トワ、自分で決めなさい。私はあなたの味方だから」
「おやすみ、トワ」
私は何も答えられなかった。
◇
疲れていたからか、それとも泣いてしまったからなのか。昨夜はすぐに眠れた。
目が覚めると、外は既に明るかった。
私はベッドに腰掛け、布団を肩まで引き寄せた。
仕切り布の向こうからガサガサと音が聞こえる。
ルビさんが出る準備をしているのだろう。
やがて静かになった。
何も言わずに出たのだろう。
私は、ベッドの横の棚に置かれた短剣を見る。
柄の中央には、赤い魔石が埋め込まれている。
掛けられた黒いローブが目に映る。
渡り商人からルビさんが買ってくれた。
火に強く、耐久性にも優れているらしい。
商人がその性能を説明している間、ルビさんは真剣な表情で耳を傾けていた。
私は、あまり興味もなく聞いていた。
ものすごく高かったのも知っている。
それなのに、ルビさんは迷わず代価を払った。
申し訳なかった。
たぶん、最初は私も戦いに行くと思っていたんだろう。
そんなことは、私だってわかっていた。
もしかしたら、少しぐらい頼りにしていてくれたのかもしれない。
何か決定的なきっかけがあったわけではない。
何もできないかもしれない。
それでも。
私はベッドから立ち上がった。
急がないと遅刻してしまう。
急いで着替え、試着以来初めて黒いローブを羽織った。
そして、短剣を腰に差した。
テントを出た。
冷たい風が頬を掠める。
走った。
すぐに、走竜と貨車、その周りに集まる人たちが見えてきた。
見知った顔がある。
頭、ミカ、オニキ。それから、他にも。
私は探した。
そして、深い赤のマントを見つけた。
ルビさん。
私に気づいた彼女は、一瞬不安そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「似合ってるじゃん」
彼女は近づいてきて、ローブを整えてくれる。
私が使っている泡と、同じいい匂いがした。
「うん、ルビさんが選んでくれたから」
私は笑った。
何故か、みんなが私を囲んだ。
誰も、何も言わない。
ただ、笑っていた。
「不死鳥の加護があらんことを」
頭の声が響いた。
それに続いて、いくつもの声が重なった。
私は願った。
みんなで、もう一度この場所に帰って来られることを。




