簿記勉強会、開幕
数字を並べながら、琉架は気づいた。
「これ、一人じゃ無理だ」
目の前の机に広がる羊皮紙は三枚。ゴルバの月次帳簿、オルドの在庫管理表、マルセの売上記録。どれも途中だ。一人の人間がこれを全部こなしながら、毎日市場にも顔を出して、ゴルバへの報告もこなして……経理部時代の月次決算より忙しい。
(電帳法対応した時を思い出すな〜。あの時は終電なくなってタクシーでよく帰ったな)
「助けが必要なら言ってくださいよ」
振り返るとトッドが立っていた。
「聞こえてたのか」
「「無理だ」って独り言してましたよ」
「すまない。正直一人でやるには限界があって」
「俺は琉架さんみたいに帳簿?のことよくわかりませんが、俺でもできることがあればなんでもいってほしいっす」
そこで琉架は一ついい案を閃いた。
「ありがとう。……じゃあティスとキーンも呼んでくれ。今夜、勉強会をやるのはどうかな。そうすれば四人で分担して作業することができる」
「わかりました!」
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夜、ゴルバの屋敷の一室にランタンを置き、四人が囲んで座った。
ティスは相変わらず腕を組んでいる。キーンは「勉強会ってなんっすか!!」と既に興奮している。トッドは羊皮紙とペンを用意して待っている。
「みんなこんな遅くに申し訳ない。実は帳簿作成をみんなにも手伝って欲しいんだ。俺一人だとどうしても限界がある」
「もちろん。俺たち仲間じゃないっすか」
トッドが屈託のない笑顔で琉架の肩を手をおいた。
「俺はあんたのためじゃなく、ゴルバさんのためにやるんだからな。勘違いするなよ。あの人には恩がある。あの人が船を買うためにあんたの知識を利用させてもらう」
ティスが琉架を鋭い目で睨みながら言った。
「わかってる。じゃあ早速始める」
琉架は羊皮紙に大きく書いた。
【勘定科目】
「帳簿に取引を記録するとき、内容を一言で表す言葉が必要になる。それが勘定科目だ。今日覚えてほしいのはこれだ」
現預金 ……手元の金貨・銀行に預けているお金
売掛金 ……商品を売ったが、まだ代金をもらっていないもの
買掛金 ……商品を仕入れたが、まだ代金を払っていないもの
借入金 ……誰かから借りているお金
貸付金 ……誰かに貸しているお金
商 品 ……販売用に持っている在庫
売上高 ……商品を売って得た収入
仕入高 ……商品を仕入れるために使ったお金
「売掛金って、ツケで売ったやつのことですよね」キーンが言った。
「そうだ。商品を渡したが代金は後払い、という場面はこの街でもよくあるだろ。その時点で売掛金が発生する。お金はまだ来ていないが、受け取る権利が生まれている」
「じゃあ仕入れて後払いにしてもらったのが買掛金ってことですか」トッドが続けた。
「正解。払う義務が生まれている。これを負債と呼ぶ」
「負債は、借金と同じことか」ティスが口を開いた。
「借入金も負債の一つだ。買掛金も負債に含まれる。将来お金を払わなければならない義務を持つものは全部、負債に分類される」
ティスが短く頷いた。
「次に、これを見てくれ」
琉架は羊皮紙を縦に二分割した。
【貸借対照表 BS】
資産の部 | 負債の部
現預金 ○○枚 | 買掛金 ○○枚
売掛金 ○○枚 | 借入金 ○○枚
商品 ○○枚 |
船舶 ○○枚 | 純資産の部
| 資本金 ○○枚
| 利益剰余金 ○○枚
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合計 ○○枚 | 合計 ○○枚
「BSというのは、ある時点での店の全財産と全借金を一枚にまとめた表だ。左側に資産、右側に負債と純資産が並ぶ。左右の合計は必ず一致する」
「純資産ってなんですか」キーンが首を傾げた。
「資産から負債を全部引いた残りだ。それが店の本当の価値になる」
純資産 = 資産合計 - 負債合計
「たとえばロンドさんの店。現預金三十枚、商品在庫五十枚で資産合計が八十枚。借入金の残りが三百万枚。引き算すると――」
「マイナス百四十枚……」トッドが呟いた。
「そうだ。純資産がマイナスということは、今すぐ店を畳んでも借金が残る状態だということだ」
室内が少し静かになった。
「ロンドさん、大変だったんですね……」キーンが神妙な顔で言った。
「だから帳簿をつけて、借金の返済を最優先にした。今は少しずつ純資産がプラスに向かっている。それが経営を立て直すということだ」
「プラスになったら、どういう状態なんですか」トッドが聞いた。
「店の価値が生まれた、ということだ。自分の本当の財産が増えていく」
ティスが静かに言った。「……商売の目的は純資産を増やすことにあるのか」
「そうだな」
「次がPL、損益計算書だ」
今度は縦に書く。
【損益計算書 PL】
売上高 450枚
- 売上原価(仕入高) 180枚
━━━
売上総利益 270枚
- 販売費・一般管理費 170枚
営業外収益
営業外費用
特別利益
特別損失 ━━━
利 益 100枚
「PLは一定期間の儲けを計算する表だ。上から順に、売り上げたお金が入ってきて、そこから仕入れのコストと経費を差し引いていく。最後に残ったのが利益だ」
「売上原価って、仕入れた値段のことですよね」トッドが確認する。
「そうだ。百枚で仕入れた商品を百五十枚で売ったら、売上高が百五十枚、売上原価が百枚、売上総利益が五十枚になる」
「ゴルバさんの港への費用や人件費も、経費に入るんですよね」キーンが指を折りながら言った。
「その通りだ。港湾使用料も、ゴルバさんが払っている利子も、全部この経費の中に入る。だから年間四百枚超は深刻だったんだ。売上総利益をごっそり削って、最終利益を圧迫していた」
「一つ聞いていいか」
ティスが口を開いた。
「PLの利益と、さっきのBSの純資産はどう繋がるんだ」
(おっ、いい質問だ)
「PLで出た利益は、そのままBSの純資産に積み上がっていく。儲けが出れば純資産が増える。損が出れば純資産が減る。この二つは別の表じゃなくて二つで一個の表になるんだ」
ティスが少し目を細めた。口元はまだ固いが、さっきよりわずかにほぐれている気がした。
「最後に純資産の話だ」
琉架は羊皮紙の端にSSと書いた。
「純資産は二つの部分から成り立っている。店を始めるときに元手として出したお金、これを資本という。それに毎年のPLで出た利益が積み重なっていく。これを利益剰余金と呼ぶ」
純資産 = 資本 + 利益剰余金(利益の積み上げ)
「商売を続けて利益が出るたびに、この純資産が育っていく。逆に赤字が続けば純資産が削れる。最終的にゼロを下回ったとき、店は終わりだ」
「じゃあ純資産を増やすことが、商売の本当の目的なんですね」トッドが言った。
「そうだ。売上を上げることが目的じゃない。純資産を育てることが、経営の本当のゴールだ。PLで利益を出して、それをBSの純資産に積み上げていく。この流れが止まったとき、商売は死ぬ」
「……国家でも、同じ構造が使えるか」
ティスが低い声で呟いた。誰への問いかけでもないような言い方だった。
「使える。またいつかその話をする機会があると思う」
キーンが「うおーー!!疲れたけどなんかめちゃくちゃ面白かったっす!!」と叫びながら立ち上がった。
「明日から三人それぞれ担当の帳簿を持ってもらう。トッドはオルドの在庫管理。キーンはマルセの仕入れ記録。ティスはゴルバさんの月次帳簿だ」
「俺が月次を?」ティスがわずかに眉を上げた。
「細かな作業が求められる帳簿作成の仕事はティスに適任だと思うんだ。一番難しい仕事になるだろうが、わからなければ聞いてくれ」
ティスは少し間を置いてから、短く言った。
「……わかった」
(やっぱりこの人は、ゴルバのことが大事なんだ。高飛車な性格のティスがこれほど恩を感じるとは。二人の間に何があったんだろうか)
琉架はランタンの火を少し絞りながら思った。
数字だけじゃわからないものが、この世界にはある。
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