数字の向こうにある理由
数日後、オルドとマルセの帳簿が完成した。
トッドはオルドの在庫管理表を丁寧に仕上げた。計算は苦手でも、聞き取りと整理整頓は驚くほど上手かった。オルドも「若いのにしっかりしとる」と言いながら、棚の薬草を一つずつ指差して確認した。
キーンはマルセの仕入れ記録をまとめた。数字の順番を並べる作業は、本人が言っていた通り得意だった。正確で、速かった。
ティスはゴルバの月次帳簿を、一言も余計なことを言わずに黙々と仕上げた。二日で完成させた。
「ティス、早かったな」
「俺は他の奴らと違っておしゃべりしながらやらないからな。余計な会話をしない分速い」
(確かに。経理部時代にもしゃべってばかりで仕事が遅いお局さんがいたっけな)
四人で分担したことで、一週間かかると思っていた作業が三日で片付いた。
帳簿が揃ったのを機に、琉架はゴルバに会合の場を設けるよう頼んだ。場所はゴルバの屋敷。ゴルバ、マルセ、オルド、琉架の四人が顔を揃えた。
ゴルバが上座にどっしりと構え、マルセとオルドが向かいに並んでいる。
「今日お集まりいただいたのは、共同出資についてです。先日、お二人の帳簿も完成しました。それぞれの財務状況を数字で把握した上で、改めてご検討いただきたいと思っています」
琉架は三人の帳簿概要をまとめた羊皮紙を広げた。
オルドは「面白い話だ」と前向きな表情を見せた。この数日で帳簿の価値を実感した老商人は、前向きには話を聞いてくれるようになった。
だがマルセは静かに口を開いた。
「一つ確認させてください。今回ゴルバさんの船が大破した原因は、正確には何ですか」
ゴルバの表情が、わずかに固まった。
「……魔物に襲われた。南方航路での話だ」
「南方航路は比較的安全な航路のはずです。魔物の出現頻度が低い。それにもかかわらず、なぜ大破するほどの被害が出たのでしょうか」
沈黙が生まれた。
琉架は黙って待った。ゴルバが、重い口を開いた。
「……マグナリアを積んでいた」
「マグナリア」
マルセの目が細くなった。
「……あの果実ですか」
「知っているか」
「名前は聞いたことがあります。南方産の希少な果実で、魔物を引き寄せる性質を持つ。通常は厳重に処理した上で運ぶか、そもそも運搬に適していないものです」
ゴルバが続けた。
「量が多かったのが原因かもしれん。普段は出ないような弱い魔物の群れが、大量に船を取り囲んだ。一体一体は大したことはない。だが数が多すぎた。全員が戦闘に回らざるを得なくなった。そのうちに操舵手も魔物に負傷させられた。……誰も舵を取れない状態で、岩礁に突っ込んだ」
「それで、八百枚の損失ですか」
マルセの声は静かだったが、冷たかった。
「ゴルバさん。あなたの商才は認めています。ですが今回の件は危機管理の問題です。危険な性質を持つ貨物を十分な対策なしに積んだ。全員を戦闘に回す事態を招いた。それは責任者の判断の誤りです」
オルドは黙り込んでいる。
「私が共同出資を懸念するのは、経営状況でも実績でもなく、このような判断が再び起きないかどうかです。どれだけ立派な帳簿があっても、積む貨物の判断を誤れば、数字は意味をなさない」
(正論だ)
マルセは感情で言っているのではない。数字で経営する人間が、数字で語っている。リスクが管理されていない相手には出資できない、というシンプルで正確な判断だ。
「……今日のところは持ち帰らせてください」
マルセはそう言って立ち上がった。オルドも続いた。
結論が出ないまま、その日の会合は終わった。
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夜、琉架はゴルバの部屋を訪ねた。
「少し話せますか」
「……入れ」
ゴルバは壁の地図の前に座っていた。北の方角をが見つめていた。
「なぜマグナリアを積んだんですか。本当の理由を教えてください」
ゴルバは長い沈黙の後、ゆっくり口を開いた。
「北の壁の話は知っているか」
「いえ」
「リベルタ王国の北側には、高い石壁がずっと続いている。その向こうには強力な魔物がうじゃうじゃいる。壁のすぐ内側に戦士の村があって、常に駐留して魔物を討伐し続けている。そいつらがいるおかげで、この街は今日も平和でいられる」
「……知らなかったです」
「最近、魔物の動きが活性化している。戦士の村から聞こえてくる話によると、かつてないほど負傷兵が増えている。このままでは壁を守り切れなくなるかもしれないと言う者もいる」
ゴルバの声は、琉架がこれまで聞いたことのない重さだった。商人ではなく、一国民として国の平和を願う姿がそこにはあった。
「マグナリアは食べると魔力と筋力が一時的に大幅に向上する。南方の国でも貴重なもので、自然の中に採りに行くには戦士の護衛が必要なほど危険な場所に生えている。市場にほとんど出回らない代物だ。それを戦士たちに届けたかった」
「……だから南方まで取りに行ったんですね」
「王国が潰れたら商売もできない。俺は商人としてできる限りの手助けを戦士のみんなにしたかった」
琉架はしばらく黙って聞いた。
(この人は利益じゃなく、人のために動いていた)
「マルセさんの言っていることは正しい。リスク管理が甘かった。でも、あなたがやろうとしていたことは間違ってないと思います」
ゴルバが琉架を見た。
「マルセさんをもう一度説得させてください」
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翌朝、琉架はトッド、ティス、キーンを連れてマルセの店に向かった。
「昨日の今日でまた来るとは思わなかった」
マルセは驚いた様子だったが、黙って四人を通した。
「昨夜、ゴルバさんから話を聞きました。なぜマグナリアを積んだのか、その本当の理由を」
琉架は北の壁のこと、戦士の村のこと、魔物の活性化、マグナリアが持つ力、そしてゴルバの意図を、そのまま伝えた。
マルセは表情を変えずに聞いていた。
「……それが本当だとしても、リスク管理の問題は変わらない」
「おっしゃる通りです」
琉架は頭を下げた。トッドも、キーンも、続いて深く頭を下げた。ティスは一拍遅れて、静かに頭を下げた。
「私が今後、ゴルバさんの全ての航海計画に関わります。貨物の選定、航路の安全確認、危機管理の数値化。全部、帳簿と一緒に管理します。もし私の目の届かない判断が行われたとき、それを理由に契約を解除できる条件を書面に追記してください」
マルセが少し目を細めた。
「……随分と思い切ったことを言う」
「ゴルバさんは船が欲しいんじゃない。この国の未来をよくしたいんです。そのための手段として船がいる。ゴルバさんをもう一度信用してください」
しばらく沈黙が続いた。マルセは窓の外を見た。
「……条件を一つ追加しろ。今後の航海計画は、事前に私にも書面で報告すること。貨物の内容と危機管理の評価を含めて」
「了解しました。書面に加えます」
マルセが静かに、しかし確かな声で言った。
「……わかった。共同出資の件は前向きに検討させてもらう」
部屋に静かな空気が流れた。トッドが小さく息を吐いた。キーンは唇をぎゅっと結んで、目が赤くなっていた。ティスは無言のまま、ただ前を向いていた。
「ありがとうございます。でもなぜ?」
琉架が聞いた。
「私もそれなりに長く生きた。その中で色んな人を見てきたが、部下から心底慕われているやつは信頼できる。下の人間は上の人間をよく見ているものだ。私は君たち商人ギルドに賭けてみることにした。大いに博打かもしれんがな」
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
琉架は深くお辞儀をした。自然と視界がぼやけた。
数字が人を動かす。でも最後に人を動かすのは、数字の向こうにある理由だ。
今日、またそれを学んだ気がした。
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