表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
経理部が異世界転生したら無双した件  作者: shiki
国力増強編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/36

店の奢りと一抹の恋模様

次の会合まで、まだ数日あった。


 琉架は朝から帳簿と向き合っていた。リベルタ王国の税収の全体像を、ベルーナから借り受けた記録と突き合わせながら整理している。農業に回せる予算はどこから捻出するか。訓練所の初期費用、維持費はいくらになるか。数字を並べれば並べるほど、次の問いが生まれる。


 また地獄の決算期のようなことを、と琉架は心の中で小言を言った。かつて何日も終電を逃した経理部時代を琉架は思い出していた。


「琉架さん」


 扉が開いた。トッドだった。


「今日もずっと帳簿見てたんですか」


「........国の王様に見せなきゃならないからな。中途半端なものを作るわけにはいかない」


「根詰めすぎですよ。たまには息抜きしないと。昨日も夜遅くまでやってましたよね」


「まあ、そうなんだが.......」


トッドは少し間を置いた。「今夜、飲みに行きませんか」


 琉架はペンを止めた。


「……どこへ」


「酒場のリュースさんのとこです。最近いい酒が入ったって聞いてて」


 トッドは笑顔だった。いつもの、まっすぐすぎる笑顔だった。


 (まあ、たまに飲むぐらいはいいか)


「一杯だけだぞ」


「もちろんです!」


 返事が、少し早かった。


--------------------------

 夜になって、二人は酒場へ向かった。


 石畳の路地を抜けると、暖かな光が漏れる扉が見えた。中に入ると、厨房から煮込みの匂いが流れてきた。玉ねぎと肉の脂が混ざった、琉架の朝から何も食べていなかった腹に訴えかける匂いだった。


 奥の厨房ではリュースが動き回っていた。大きな鍋をかき混ぜながら、片手で別の鍋の火加減を調整し、同時に何かを刻んでいる。白髪交じりの短髪、厚い手のひら、前掛けに染み込んだ長年の油の香り。店を開いて何十年という空気が、その背中ににじみ出ていた。


 厚い木のカウンター。壁には年季の入った酒瓶が並んでいる。一番上の棚のものは、おそらくもう何年も動いていない。常連が思い思いの席に座り、グラスを傾けている。笑い声が心地よく、店全体に溶けていた。


 空いた席へ向かおうとしたとき、若い女の子が近づいてきた。


「いらっしゃいませ——あ、トッドさん、また来てくれたんですね」


 明るい声だった。栗色の髪を結んだ、愛嬌のある顔立ちの子だった。


「フィアちゃん、今日もかわいいね」


 トッドの声が、少し上ずった。


「また〜、みんなにも同じこと言ってますよね。こちらへどうぞ」


 席へ案内しながら、フィアはにこりと笑った。トッドはその後ろをついていきながら、鼻の下が伸びていた。


 座って向かい合うと、琉架はトッドを見た。


「……なるほど」


「なにがです?」


「何でもない。乾杯しよう」


 グラスが合わさった。


 一杯飲んだあたりで、琉架はトッドを問い詰めた。


「一人で何回来たんだ」


「え?」


「フィアさんに。『また来てくれたんですね』って言ってたぞ」


 トッドが目を泳がせた。


「……三回、ぐらい」


「俺を連れてきた理由、正直に言え」


 しばらくの沈黙があった。


「……一人で何度も来ると、怪しいかなって」


「そういうことか」


「すみません」


 トッドはしゅんとしながらグラスを傾けた。それからすぐに顔を上げ、フィアが別の卓に料理を運んでいるのを目で追った。


 しばらくして、店の混み合いが落ち着いてきた。


 厨房からリュースが出てきた。手で前掛けを拭いながら、琉架の席へ歩いてきた。


「いやあ、ついに来てくれましたな。琉架さん」リュースが腰を落として目の高さを合わせた。「国を救ったお人から金は取れませんよ。今夜はご馳走です」


「そりゃありがたい!」トッドが即座に言った。「じゃあもう一杯——」


「払います」


 琉架が言った。


 トッドが固まった。リュースが目を丸くした。


「いや、そんな遠慮しなくても」


「遠慮じゃないです」琉架はグラスを持ったまま言った。「この店が好きだからちゃんと払います」


「……好きだから、払う?」


「そうです」


 リュースは首を傾けた。トッドも傾けた。


 琉架はグラスを置いた。


「タダにしてもらうのは嬉しい。でもこの店の食材や酒は、タダになっても仕入の費用がかかってますよね」


「まあ、そりゃそうですが」


「ご馳走してくれると、売上が立たない。売上が立たないと、その仕入れ値が原価として計上されるだけです。商品を出してもお金が入ってこないなら、その分は丸ごと損になります。それはこの店の利益が減ることに直結します」


 リュースが少し考えた。


「……そうか」


「俺はこの店に長く続いてほしい。今日の料理もとても美味しかったです。だから、便益を受けた分はちゃんと払います」


 リュースはしばらく琉架を見ていた。それから、ゆっくりと立ち上がった。


「……わかりました。いただきます」


 リュースが厨房へ戻っていくのを見ながら、トッドが小声で言った。


「俺もう一杯頼んでいいですか」


「自分で払えよ」


「えー、奢ってくださいよ」


 三杯目が空いたころ、トッドの目がいい具合に緩んでいた。


 フィアが空いたグラスを下げに来た。


「フィアさんってさ」トッドがグラスを傾けながら言った。「どんな人が好きなの」


 琉架の傾けていたグラスが一瞬止まった。


 フィアは少し考えて、にこりと笑った。「うーん、真面目で誠実な人がいいですね」


「俺、誠実だよ」


 間があった。


 フィアの笑顔が、少しだけ固まった。


「……トッドさんの噂、聞いたことがあって」


「噂?」


「街でいろんな女の人に、手当たり次第声をかけてるって」フィアが申し訳なさそうに言った。「市場でも港でも、けっこう有名で……そういう人は、ちょっとな、って」


 トッドの顔から、血の気が引いた。


「……そんなに知られてるの」


「かなり」


 琉架はグラスを傾けながら言った。


「身から出た錆だ」


「ルカさん、それ今言います?」


「フィアさんの言う通りだ。少しは節操を持て」


 トッドはしばらく卓を見ていた。それからゆっくりと顔を上げ、フィアに向かって言った。


「……俺、これから誠実な男になります。誓います」


「はい」フィアは優しく微笑んだ。「応援してます」


 フィアが離れると、トッドはグラスに口をつけたまま黙っていた。目が、じわりと赤くなっていた。


「泣くなよ。慰めないぞ」


「泣いてないです」


「目が赤い」


「泣いてないです!」


 トッドはグラスを飲み干した。


「俺、本当に変わります。今日から誠実な男に生まれ変わります。絶対」


「そんな簡単に変われるかね〜」


「本当です。……もう一軒行きませんか」


「さっき誓ったばかりだろ」


「誠実さと飲み歩きは関係ないんで」


 琉架はしばらくトッドを見た。


「……まあ、確かにそうか」


-----------------------

 翌朝。


 二人が仕事を始めたのはいつもより二時間遅かった。顔色は石壁と同じくらい白く、足音が自分で頭に響いているのが傍目にもわかった。


 ティスが腕を組んで待っていた。


「いい歳して何やってんだ」


「いや、その」


「二軒目まで行ったのか」


「……三軒」


「三軒!」


 ティスの目が吊り上がる。


「仕事があるんだから加減しろよ」


 ゴルバがお茶を持ってきた。


「まあ、たまにはいいだろう」


 ティスが振り向いた。


「こいつらを庇うんですか」


「若いころにそういうことも経験せんとな。ティス、お前もたまにはハメを外せ。ただ、お前たち」ゴルバはトッドと琉架を順番に見た。「仕事はちゃんとしろよ」


 トッドが力なく頷いた。


 琉架はお茶を受け取り、一口飲んだ。頭の奥がまだじんじんしている。


 悪い夜ではなかった、と思いながら昨日の余韻をお茶と一緒に流し込んだ。

ルカとトッドの飲み歩き回でした。次回もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ