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経理部が異世界転生したら無双した件  作者: shiki
国力増強編

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管轄外の業務

翌朝の王宮は、衛兵達に覇気がなかった。


 正確に言えば、立っている衛兵たちの顔が、一様に青ざめていた。城門の衛兵は槍を握りながら目を細め、強い朝の光から顔を庇うように顎を引いていた。回廊に立つ者は、琉架たちが通り過ぎる足音に、わずかに顔を顰めた。石畳を踏む音が、頭の中で何倍にも響いているのだろう。


 昨夜の酒が、今朝の身体を蝕んでいた。


「……みんな、ひどい顔してるっすね。。。おえっっっっ。ちょっとトイレ行っていいっすか」


 トッドが小声で言った。


「トッドもね。そんなになるまで飲むなよ」とキーンが言い、トッドは黙った。


 琉架は廊下を歩きながら、昨夜のライガーの白目を思い出した。あの男がいま前線でどんな顔をして立っているか、想像すると少し気の毒だった。


 レオナールの私室へ通される前に、侍従が一つだけ言った。


「姫がおられます。ご無礼のなきよう」


 琉架は内心で首を傾けた。姫、という言葉が、この状況に素直に結びつかなかった。確かにレオナールは縁談の話があってノルマン王国に行ったわけだから当然いるはずなのだが、皆先の騒動でそれどころではなかった。


 窓際の椅子に腰を据え、中庭へ視線を向けていた。背筋が真っ直ぐ伸び、ただ座っているだけなのに、どこか気品を感じさせる。朝の光が横から差し込み、暗い栗色の髪を縁取っていた。振り返ったとき、その目が一座の面々を順番に見た。静かな目だった。しかしその静けさの奥に、容易には動じないものが潜んでいた。


「イザベラでございます」


 立ち上がり、礼をした。所作に一分の乱れもなかった。


 レオナールが続けた。「ノルマン王国から共に来た。私の妻にあたる」


「昨夜はご挨拶もできず、失礼いたしました。長旅の疲れが残っておりましたもので」


 レオナールが、口元に苦みのようなものを滲ませながら言った。


「本来はノルマンに残っていてもらうつもりだったのだが」


「航路が危険だからと、そうおっしゃいましたね」イザベラが静かに遮った。「存じております。それでも参りました。私はあなたの妻です。あなたが行く所はたとえ死地であっても私はついてまいります」


「なかなか肝が据わっているな」ゴルバが口を挟んだ。


「皆様にも感謝申し上げます。夫の国を守っていただきありがとうございます。これからも夫を支えてくださるかしら」


「イザベラ、我々は少し込み入った話をする。席を外してくれるか」


 レオナールが促すように手を動かした。イザベラが一礼して部屋の外へ出ていった。その一連の所作が美しく、一同が見惚れていた。


 卓に地図と帳簿が広げられた。地図には、この国の地形と近隣諸国が記されている。


「この国をより屈強な国にしたい」


 レオナールが言った。声は昨夜より落ち着いていた。宴の熱気が去り、朝の光の中で、この男の輪郭がより明確になったような気がした。


「そのために、税の配分を見直す必要がある。どこに、どれだけ注ぐか。それをそなたに考えてほしい」


 琉架は地図を見ていた。そしてまとめられた帳簿の数字を見ていた。数字の並びを目で追いながら、頭の中で自然に計算が動き始める。それは止められない習慣のようなものだった。


 しかし。


「……正直に申し上げます」


 琉架が帳簿を見ながら言った。


「それは、私の管轄の外です」


 レオナールが目を上げた。ゴルバの視線が、静かに鋭くなった。


「経理と意思決定は、似て非なるものです」


 琉架は続けた。


「私が得意とするのは、数字を整えることです。過去に何がどう動いたかを記録し、照合し、誤魔化しを見抜く。それはできます。ただ——それはあくまで、過去のことです。未来に税をどう配分すれば国が強くなるか。どこに投じれば十年後に実を結ぶか。そういう判断は、数字の外にある。経済の動き、民の気質、地形と産業の相性、隣国との関係——私はそのどれも、まだまだ素人です」


 言い終えて、琉架は地図に視線を戻した。


 沈黙があった。


 それほど長い沈黙ではなかったが、その間にレオナールは何かを考えていた。


「……随分素直なのだな」


 レオナールが顎を触りながら言った。


 琉架が顔を上げた。


「正直私の判断だけで国の税の使い方を決めるのはやめた方がいいです。特に国のお金の使い方は結果が出るのに数年かかります。その頃には手遅れになっている、ということもあり得るかと」


 しばらく黙っていたレオナールが、声を立てて笑った。


 突然のことで、琉架は少し面食らった。


「そなたにできないと言うなら、この国に誰もできる者はいない」


 笑いが収まった後、その目は笑っていなかった。


「できないなら、今からできるようになればいい。覚えればいい。そなたはこの国の税の仕組みを、帳簿を、誰より深く知っている。それに、そなたに責任を追わせる気はない。もちろんそなたの意見をもとにベルーナも含め議論を交わすつもりだ。まずはそなたの意見が欲しい。この国以外の知識を持っているそなたの意見を」


「ですが——」


「任せた」


 言い切った。


「一週間後にまた来てくれ。その時に、考えてきたことを聞かせてほしい」


 琉架は返す言葉を探したが、見つからなかった。見つかる前に、謁見は終わっていた。


 帰り道、琉架はほとんど何も喋らなかった。


 商人ギルドの家の自室に戻り、椅子に座った。机の上で、ただ天井を眺めていた。


 (……税の配分を考えろ、と言われても。一介の経理部員の範疇超えてるだろ)


 言葉を頭の中で反芻した。


 経理という仕事は、ある意味でひどく謙虚な仕事だった。事実を記録する。起きたことを数字に置き換える。解釈を加えない。判断を下さない。ただ、あったことを正確に残す。それが仕事の倫理だった。


 未来を設計することは、まったく別の倫理を要求する。正確さではなく、時には大胆さが必要になる。データではなく、賭けが必要になる。自分が一番苦手としているものだった。


 机に肘をついて、額を手のひらに埋めた。


 夜半過ぎ、扉を叩く音がした。


「入るぞ」


 返事を待たずに入ってきた。ランプの光を手に、琉架の机の傍の椅子に座った。


「頭を抱えているところを見るのは初めてだな」


「……そんなに珍しいか」


「珍しい。お前はいつも、困ったことは数字に変えてしまうだろう。そんな顔は初めてだ」


 琉架は返さなかった。


「兄はああ見えて、ずいぶん強引な男なんだ」ティスは言った。「昔からそういう気質だった。こうと決めたら周りを巻き込んで目的に向け、一心不乱に動く人だ」


「ゴルバさんが可愛く見えるぐらいな強引さだな。正直どうしていいかわからない」


「諦めろ」とティスは言った。「お前に向いていないと思うなら、一週間でそれを証明しろ。できないことをできないと示す方法もある。ただ——お前は多分、一週間あれば何か掴めるんじゃないか。兄上が言ったようにお前の意見がそのまま採用されるわけじゃない。俺たちもお前だけの責任には絶対しない。だからできる限りのことをすればいい」


 それだけ言って、ティスは立ち上がった。


「寝ろよ。徹夜すると判断も鈍るぞ」


 扉が閉まった。


 琉架はしばらくそのまま座っていた。それから立ち上がり、棚から羊皮紙を一束取り出した。インクを用意した。


 寝るつもりが、手が動いていた。


 一週間は、あっという間だった。眠る時間を削った夜がいくつかあった。羊皮紙が何枚にもなった。書いては消し、消しては書いた。


 問題は数字そのものではなかった。数字を前にしたとき、琉架の頭はいつも動く。問題は、その数字に何を乗せるか、だった。過去の記録は、未来の設計図にはならない。なぜなら未来は、まだ何も起きていないからだ。起きていないことに対して、人間はどうやって数字を置くのか。


 それを考え続けた一週間だった。


 答えは出なかった。しかし、輪郭のようなものが、手元の羊皮紙の上に少しずつ現れていた。


 七日目の朝、王宮の大広間に、聞き覚えのある顔ぶれが揃っていた。


 ゴルバが腕を組んでいた。ティスが柱に背を預けていた。トッドとキーンが荷物を持ち、アーシュリが眠そうな目をこすっていた。ミーナが隣で姿勢よく立ち、ドヴァンが無言で全体を見渡していた。ベルーナが優しい目で琉架を見ていた。


「全員、揃っているな」


 ゴルバが言った。


 琉架は手元の羊皮紙の束を一度見た。七日かけて書き続けたものを見た。およそ完璧とは言えなかった。しかし、議論を生み出す火種にはなる、と琉架は琉架は自分の背中を自身で押した。


 視線を上げ、広間の扉の方を向いた。


 朝の光が、石畳に長い影を引いていた。

いよいよ国の中枢に入るようになりました。今後リベルタ王国はどう発展していくのか。次回もお楽しみに!

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