消えゆく灯り②
燭台の火が、静かに揺れていた。
エドモン王は、もう起き上がれなかった。
周りには、レオナール。レオナルド。ベルーナ。ゴルバ。ライガー。ドヴァン。
「来てくれたか」
エドモンの声はか細くなっていた。その変化を全員が重く受け止めていた。
ライガーが腕を組んだまま、壁際に立っていた。「いきなり全員呼び集めて。縁起でもない」
「ライガー」ゴルバが短く言った。ライガーは黙ったが、視線を床に落としたまま動かなかった。
エドモン王は小さく笑った。
「この国を、頼みたい」
誰も声を出さなかった。
「本当は、レオナールに継がせたい。レオナールには王の器がある。だが今年でまだ16歳だ。戴冠は18歳になるまでできぬ」
レオナールは唇を結んだ。何か言いたそうな顔をして、しかし黙っていた。
「弟のエドガーに、しばらく任せるしかない。だがあいつは……わかっているだろう。暴走しそうになったら、周りが止めてくれ。レオナールが育つまでの、いっときのことだ」
ベルーナが袖で目元を拭いた。
「縁起でもないって言ってるだろ」
ライガーが今度は怒鳴るように言った。部屋の空気が揺れた。「死ぬ気でいるから死ぬんだ。そういうもんだ。だからそういうことを言うな。王よ。また共に戦場を駆け抜けよう」
王宮医師が進み出た。
「陛下、お薬をお持ちしました。滋養を補うものでございます。ないよりはましかと」
白い粉末を溶かした椀を差し出す。エドモン王は素直にそれを受け取り、一口飲んだ。
「ありがとう」
誰も疑わなかった。
床に置いてある鞄に薬を片付けている王宮医師の口元がわずかに緩んでいた。
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エドモン王が息を引き取ったのは、それから三日後の夜明け前だった。
侍女が気づいたとき、王はすでに眠るように逝っていた。苦しんだ形跡はなかった。穏やかな顔のまま、目を閉じていた。
葬儀は王都の大聖堂で執り行われた。
石畳の広場を埋めた民が、誰一人声を出さずに棺を見送った。老人が俯いていた。子供が母親の袖を掴んでいた。前線から駆けつけた兵士が、兜を脱いで胸に当てていた。名君と呼ばれた男の死を、王都は静かに悼んだ。
棺の前でレオナルドが泣いた。声を押し殺して、肩を震わせて泣いた。レオナールはその隣に立ち、ただ正面を向いていた。目が充血で血走っていた。
ゴルバは列の端に立ち、最後まで棺から目を離さなかった。
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王宮の奥の部屋では、別の空気が流れていた。
エドガーは椅子の背もたれに深く身を預け、口の端を上げていた。杯を持ち上げ、誰にでもなく掲げる。
「ようやくだ」
「お声を落としてください」
クロヴィスが静かに言った。
「今日ばかりはいいだろう。朕の宿願が叶ったのだ」
「しばらくの間は先王の死を悼んでいるように周りに見せる必要がございます。万全を期しておりますが、ご理解ください」
エドガーは鼻を鳴らした。部屋の隅ではエドガーの長男ドルクが、壁に寄りかかって腕を組んでいた。
「偉そうに言うな」ドルクが冷めた目でクロヴィスを見た。「お前は家臣だろう」
「そうだ。お前は時々偉そうで鼻につく。優秀なことは認めるが、家臣であることは忘れるな」ソレルがけらけらと笑った。
クロヴィスは深く頭を下げた。
「申し訳ございません」
しかしその顔に、謝罪の色はなかった。
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葬儀の夜が更けると、クロヴィスは人気のない廊下を歩いた。
辿り着いたのはドルクの部屋の前だった。扉を叩く。中から返事はなく、代わりに足音がして、扉が内側から開いた。
王宮医師の顔が現れた。
部屋の主はいない。入るとクロヴィスは扉を閉め、椅子に座り、足の踵が机の縁に引っかかるように乗せた。
「ご苦労だった」
「いえ、クロヴィス様のおかげで案外簡単でした」
「医師の役目はここで終わりだ」
王宮医師の顔をした人物が、静かに頷いた。
「次の標的を伝える」クロヴィスは言った。「ドルクだ」
一瞬の間があった。
「……ドルクを」
「殺して、擬態しろ。あいつの外見と声と記憶を、完全に引き継げ」
「理由を聞いても」
「今のままでは私はエドガーの家臣に過ぎない。しかしお前がドルクになれば、進言する形でよりこの国の統治がやりやすくなる。私が直接動かなくても、あいつの顔と声で何でもできる。それに、さすがに、あいつらの態度に腹が立ってきた。このままでは、どうせいつか殺してしまいそうだからな。バカな弟がやりすぎな時はドルクに擬態したお前が止めろ」
「わかりました。いつまでに」
「急ぐことはない。が、油断しているうちにやってしまおう」
クロヴィスは扉を開けた。
「医師の顔は、捨てることになる。突然消える形となるが、王の病を治せなかった罪の意識で王宮を離れたことにする」
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戴冠式は葬儀から五日後に行われた。
玉座にエドガーが座った。
長い式典の後、王の命令は絶対である旨をエドガーは宣言した。
広間に満ちたざわつきを、エドガーは一切無視した。
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式典が終わった後、ライガーだけが別室に呼ばれた。室内にはレオナール、レオナルドも並んでいた。
「今日から朕に護衛をつける」
エドガーが言った。部屋には護衛が三人、扉の外にも数人いる。
「なぜだ」
「朕に何かあってからでは困る。当然の措置だ」
ライガーは部屋を見回した。
「王宮に危険があるか?」
「万が一のことがある」
ライガーは少し笑った。飄々とした、いつもの笑い方だった。
「先王をずっと守ってきたのは俺たちだ。だが、あくまで戦場での話だ。そもそも王宮にしかいないエドガー様を守る必要がどこにある」
「言葉を慎め」
「いや、感心してるんだ」ライガーは続けた。「即位した日に、まず親衛隊の隊長を囲もうとする。なるほど、先王が心配されていた意味がよくわかった」
エドガーの顔が変わった。
「朕を愚弄するのか。此奴を捕らえろ」
部屋の三人が動いた。ライガーが一歩踏み出した瞬間、扉が開き、衛兵がライガーを取り囲んだ。
弦を引き絞る音がした。
クロヴィスが廊下から弓を構えていた。矢先はライガーではなく、奥にいるレオナールに向いていた。
ライガーの目が、矢先を追った。
「……」
「ライガー殿、賢明な判断を」とクロヴィスが言った。
ライガーは両手を開いた。
そのまま、壁際の護衛に腕を掴まれた。引きずられながら、連れて行かれた。ライガーはレオナールを見た。何かを言いたそうな顔をして、しかし何も言わなかった。
「地下牢へ入れろ。頭が冷えるまで出てくるな」
扉が閉まった。ライガーが歩く足音が、遠ざかっていった。
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その夜、エドガーの部屋では宴が開かれていた。
ドルクとソレルが酒を飲んでいる。エドガーが上機嫌で笑っている。クロヴィスは端に立ち、杯を持っていたが飲んでいなかった。
「今日はいい働きだった」エドガーがクロヴィスに向かって言った。「で、次はどうする」
「レオナール様についてです」クロヴィスは静かに言った。「陛下のご治世が続く上で、レオナール様が一番厄介な存在です。民の支持も高い。いずれ内乱を引き起こす災いの種です。このままでは、いずれ王権が移る可能性がございます」
エドガーの顔から笑いが消えた。
「それを黙って見ていろと言うのか」
「いいえ。北方にノルマン王国という国があります。北海の先、難路を越えなければたどり着けない国です。その国の姫との縁談が、今、どの国にも断られ続けています。航路の危険ゆえに」
「……それがどうした」
「レオナール様を、その縁談に出してはいかがでしょう。断れば国交の妨げとなったと罪を被せる。受ければ、おそらく、航路の途中で命を落とすかと」
部屋に沈黙が落ちた。
ドルクが口の端を上げた。
「どちらに転んでも、都合がいい」
「はい」
エドガーはしばらく宙を見ていた。それから、また笑った。
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翌朝、王の間にレオナールとレオナルドが呼ばれた。
「レオナールよ、そなたに縁談の話がある」
エドガーが玉座から言った。「ノルマン王国の姫、エルナ殿だ。北海の先の国だ。レオナール、お前に行ってもらう」
「なぜ私なのでしょうか。断ります」
間もなく返ってきた。
「北氷海の航路は死の道と呼ばれている。どの国も消極的な縁談を、なぜ私が引き受けなければならないのですか」
「今後の航路開拓として、ノルマン王国との航路を増やす算段である。そのためにそなたに尽力していただきたいのだ」
「見え透いた嘘を。王として恥ずかしくないのですか」
エドガーは答えず、手を挙げた。
壁際から兵士たちが前に出た。二十人以上、すでに半包囲の形で二人を囲んでいる。レオナルドが息を呑み、兄の袖を掴んだ。
「断れば、斬首だ」
レオナールは動かなかった。囲んでいる兵士の顔を見た。次に、レオナルドを見た。
レオナルドが声もなく、唇だけが動いていた。
「……わかった。行く」
声は静かだった。湧き上がる怒りが込み上げていた。ただ、ここで爆発させても何も変わらないことを、理解していた。
「条件がある。レオナルドを王宮の外に出せ。好きに生きさせろ。お前たちのそばに置いていたら何をされるかわからん。自由に生きさせてやってほしい」
エドガーは一拍考えた。
「わかった。検討しよう」
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知らせはすぐにゴルバの耳に入った。
廊下で聞いた瞬間、ゴルバの顔から全ての色が消えた。踵を返し、王の間の扉を勢いよく開け放つ。
「何を考えているのだ、エドガー王」
まだ王の間に残っていたエドガーが、顔を上げた。
「レオナール様の縁談を取り消せ。あの航路がどれだけ危険か、わかった上で言ってるのか」
「わかった上で言っている」
「ならば――」
「ゴルバ」とエドガーが静かに言った。「お前が何を言おうと、朕の決定は変わらない。わかったら下がれ」
「......王の恐れていたことになったな。王よ。あなたは国に災いをなす害悪だ」
ゴルバが一歩踏み出し、短剣に手をかけた。
次の瞬間、乾いた音がした。
肩に何かが刺さった感覚があり、次の瞬間には腕が動かなくなっていた。振り向く前に右腕から短刀がはじき飛ばされ、後ろから複数の腕に体を押さえ込まれた。
毒の矢だった。
クロヴィスが弓を下ろしながら、部屋の端から歩いてきていた。ドルクが短刀を拾い上げ、無表情のまま自分の帯に差した。衛兵がゴルバの両腕を後ろで固定する。
ゴルバは毒が回っているのか、腕に力が入らない。
「……お前たちは」
声が、低く掠れた。
「離れろ」
部屋の奥から、別の声がした。
ドヴァンが衛兵の間をゆっくりと割って入り、ゴルバの前に立った。
「ゴルバ」低く言った。
「このままでは本当に処刑される。頭を冷やせ」
ゴルバは答えなかった。
「聞こえているか」
「……ああ」
「なら、これ以上罪を重ねるな。お前はこの国に必要だ。ここで命を落とすな」
ドヴァンはゴルバを一度だけ見て、玉座のエドガーに向き直った。
「陛下」
「何だ」
「条件を、申し上げたい」
「......聞こう」
「私をレオナール様の護衛として、航路に同行させてください。生きて届ける責任を、私が負います」
エドガーはドヴァンを見た。ドヴァンは視線を外さなかった。
エドガーは少し考えた。玉座の肘掛けを指で叩いた。
「……いいだろう。だが、お前の部下達がこの国を出ることは許さん。あいつらはこの国を守る魔法使いだ。そして、お前は二度と朕の前に姿を表すな」
ドヴァンは一礼した。
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出航の日は、曇っていた。
港には風が吹き、船の帆が大きく膨らみ、波が岸壁を叩いている。レオナールが船に乗る前に、ゴルバが近づいた。
「どうかご無事で」
「私は必ずこの国に帰ってくる。約束だ」
「..........はい」ゴルバは何もできない自分を責め、拳を強く握った。
ドヴァンはしばらくゴルバを見ていた。
港の入口から、駆けてくる足音がした。
ミーナだった。
ミーナが息を切らして駆け寄ってきた。
「ミーナ、この国を頼む」
「……はい」
「次の隊長はアーシュリとする。皆にはお前から伝えよ」
ミーナの顔が、止まった。
「アーシュリはまだ.......」
「わかっている。だからお前が支えてやってくれ。この国はこれから長らく暗闇を彷徨うことになる。だが、決して腐るな。自分達ができることに集中しろ。腕を磨き続けろ。いずれこの国のために、お前達の力は必ず必要となる」
「わかりました。アーシュリには私から伝えます」
ミーナは目の端が赤くなっていた。唇を結んで、何かをこらえていた。
「ミーナ。すまんな。辛い役回りをさせる」
「........わかっています」
レオナールが岸壁でレオナルドと向き合っていた。
「王宮を出ろ。どこへでも行け」
「……どこに行けばいいの?一人で生きるなんて無理だよ。一緒に連れていってよ」
「それはできぬ。この国でできることをするんだ。俺は必ずいつか戻る」
「いつ戻るの?」
「わからない。だが必ず戻る」
レオナルドは下を向いた。返事をしようとして、声が出なかった。
レオナールがその頭に手を乗せた。一秒だけ。それだけで、また離した。
タラップを上がり、甲板に出て、一度だけ振り返った。
「お前たち全員に言う」
岸壁に残った者たちが、顔を上げた。
「必ず戻る。それまで、この国を任せたぞ」
船が動き出した。
ゴルバは岸壁に立ったまま、船が水平線に消えるまで、動かなかった。
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その夜、ドルクの部屋に一人の人物が入ってきた。
ドルクは机に向かって書き物をしていた。入ってきた気配に気づき、顔を上げる前に、弓弦の音が連続して鳴った。
反射的に立ち上がり、手元の剣で矢を二本弾いた。三本目が脇腹をかすり、四本目が左肩に深く刺さった。
「――っ」
壁際に背をつけた。左腕が上がらない。剣を右手に持ち直しながら、部屋の入口を見た。
クロヴィスが弓を下ろしていた。
その隣から、女が歩いてくる。手に短剣を持っていた。
「誰だ」
女が踏み込んできた。ドルクは右手一本で剣を振った。金属音が響き、二本の刃が絡み、交錯する中で毒が確実にドルクの体を蝕んでいた。
剣が、弾かれた。
首筋に入った剣を伝って地面へ血が落ちていく。
頸動脈を抑えながらドルクは床に崩れた。
部屋が静かになった。
クロヴィスは歩いてきて、女の前に立った。女の顔が、ゆっくりと変わり始めた。骨格が動き、背丈が変わり、色が変わる。やがてそこに立っていたのは、ドルクだった。
「お前は今日から、ドルクだ」
女の声が消え、ドルクの声が答えた。
「わかりました」
クロヴィスは部屋を見回した。
「痕跡を消せ。死体は俺が片付ける」
それだけ言って、死体を抱えたまま、窓から隣の屋根へ飛び乗った。
28話です。次回から現代編に戻ります。次回もお楽しみに。
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