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経理部が異世界転生したら無双した件  作者: shiki


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27/30

消えゆく灯り①

石壁の北側は、常に風が吹いていた。


昼夜問わず、北の山稜から吹き下ろしてくる風は、夏でも肌を刺す。石壁の上に立つ兵士たちは、皆屈強な体でその風に耐え抜いている。


ゴルバは外壁に背をつけ、腕を組んでいた。


「……五ヶ月だ」


「なんだ、いきなり」とライガーがあくびをしながら答える。


「陛下の体調が落ち始めてから、五ヶ月経つ」


「医者は過労だって言ってたんだろ。あの王はそう簡単には死なんだろ」


「俺はその診断を信じていない」


ゴルバは空を見上げた。分厚い雲が北から流れてきている。


少し離れた場所で大剣の手入れをしていたガイウスが、顔を上げた。


「俺も同じ気持ちだ」


低い声だった。布で刃を拭く手は止めない。


「俺が親衛隊に入って、もう十五年になる。陛下が体調を崩されたことは今まで一度もなかった。飯の量が急に落ちたのもおかしい。あれほど大食いだった方だぞ」


「過労で説明のつく話じゃない、と」


「ああ」


ガイウスは大剣を鞘に収め、立ち上がった。


「おかしいんだよ。どこかが。何かが起きてる。俺にはそれしかわからないが」


「だが、あの王宮医師は先代の頃から仕えている方だぞ。先王は幾度となく命を救われたと聞く。誤診なんて事があり得るのか」とライガー。


三人の間に、風が吹き抜けた。


「俺たちは俺たちの役目を果たすだけだ。お前らに医者の代わりができるのか?俺らは拳しか脳がない戦士だ。前線を守る事が使命だ。その使命を全うするのみだ」


ライガーが壁の向こうを見ながら言った。その目は笑っていなかった。


「それもそうだな」


ゴルバが短く言った。


警報が鳴ったのは、その直後だった。


壁の上の見張りが叫ぶ。「北西、森から出ました! 二体、いや三体!」


ガイウスが大剣の柄に手をかけながら、口の端を上げた。


「ちょうどいい。嫌なことは体を動かして忘れろ、が俺の流儀だ」


三人が壁の外に出た瞬間、地響きが足元から伝わってきた。


森の縁から姿を現したのは、黒い体毛に覆われた巨大な獣だった。肩の高さが人間の頭を超え、六本の脚が地面を蹴るたびに雪が舞い上がる。口から漏れる唸り声が、空気を震わせた。


「俺が正面を引きつける。ガイウスは左、ゴルバは右だ」


ライガーが低く言いながら、短剣を抜いた。


「いつも通りだな、お前は」


「うるせえ」


ガイウスが地を蹴った。正面の獣が咆哮を上げ、六本の脚で突進してくる。大剣が弧を描き、前脚二本を真横に薙ぐ。獣が体勢を崩した瞬間、追撃を入れようとしたガイウスの背後から別の一体が飛びかかる。


「右!」


ライガーの声と同時に、ゴルバが動いた。


右の獣に向かって踏み込む。短刀二本を逆手に持ち、一方で牽制し、もう一方を喉元へ叩き込む。甲高い鳴き声が上がった。ライガーが残る一体の後ろに回り、首の付け根に跳び乗る。そのまま体重をかけて地面に押さえ込んだ。


「もがくな。一瞬で楽にしてやる」


ライガーが穏やかに言いながら、拳を叩きつけた。


最後の一体がガイウスの一撃で沈む。地面に転がった三体を見回し、ガイウスが大きく息をついた。


「……三体で二十秒か。まあまあだな」


「十分だろ」とライガーが言いながら、のんびり立ち上がった。


ゴルバは短刀の血を拭いながら、王都の方角を仰ぎ見た。


-------------------------

王宮の寝室は、いつもより静かだった。


エドモン王はベッドの上に横になっていた。顔色は三ヶ月前と比べると、さらに血色を失っている。


レオナールは部屋の端に立ったまま、じっと父を見ていた。


レオナルドは父の枕元の椅子に座り、毛布の端を両手で握っていた。目が赤かった。


王宮医師が聴診を終え、立ち上がった。


「どうだ」


エドモン王が、しゃがれた声で聞いた。明らかに声に正気が感じられない。


「……経過を診ております。今しばらくお時間をいただければ」


「そうか」


王は目を閉じた。それから、かすかに笑った。


「お前たち、そんな顔をするな。父は少し疲れているだけだ。すぐに良くなる」


レオナルドが「うん」と言った。声が揺れていた。


レオナールは何も言わなかった。


廊下に出ると、医師が足早に歩こうとした。レオナールがその背中に向かって言った。


「先生」


医師が振り返った。


「父の様子を、正直に教えていただけますか」


「……今は経過観察が最善かと存じます。お体を温め、滋養のあるものを」


「それ以外には」


「今の私には、それ以上のことは申し上げられません」


医師は一礼し、廊下の角を曲がって消えた。


レオナルドが兄の袖を引いた。


「良くなるよね」


「……ああ」


レオナールはそう答えたが、廊下の角を見つめたまま、動かなかった。


「なあ、レオナルド。あの先生、最近少し変じゃないか」


「え?」


「言葉数が減った。以前はもっと丁寧に話してくれた。治療の説明も細かくしてくれた。それが最近は、短い言葉で済ませることが多い」


レオナルドは首を傾けた。


「俺は先生と話したことがないから.....」


「.......そうか」


レオナールは目を細め、もう一度廊下の角を見た。


「……俺の気のせいかもしれない」


---------------------


王宮の裏手、使われていない渡り廊下があった。


日当たりが悪く、石造りの壁に苔が浮いている。昼でも薄暗い。人が来ることはほとんどない。


クロヴィスはそこで待っていた。


やがて足音が聞こえ、王宮医師の姿をした人物が現れた。老人の顔、老人の歩き方、老人の声。だがクロヴィスは一礼せず、まるで部下に対して問うように静かに口を開いた。


「順調か」


「問題ありません」


医師の声で、しかし老人らしくない口調で答えた。


「体力の低下は予定通り進んでいます。今月中には、おそらく」


「疑われる可能性は」


「ないかと。病状は王宮中に知れ渡っています。過労と老衰が重なったと見られるでしょう。もしくは新種の流行病と。毒が原因と疑う者はいないよう万全の準備をいたします」


「そうか」


クロヴィスはしばらく黙った。渡り廊下の奥から、冷えた風が吹いてくる。


「アルバンは用済みだ」


「わかりました」


「痕跡は残すな。野盗に襲われたと見せかけるよう、殺した後金品を奪え」


「わかっています」


足音が遠ざかり、渡り廊下に静寂が戻った。


--------------------

夜が更けていた。


アルバンは布団の上で目を開けたまま、天井を見ていた。眠れない夜にもずいぶん慣れた。眠れないというより、眠ることが怖かった。夢の中でまた、あの声を聞く気がした。「ありがとう、アルバン」と言う、あの声を。


父の部屋から、かすかな寝息が聞こえた。隣の小部屋では娘が眠っている。


扉が鳴ったのは、真夜中を過ぎたころだった。


低く、三回。


アルバンは体を起こした。


「誰だ」


返事はなかった。


風の音だったかと思い、横になろうとした瞬間、もう一度鳴った。今度は強く。


アルバンは立ち上がり、扉に近づいた。


「誰かいるか」


沈黙が流れた。


その沈黙が、背筋を粟立てた。説明できない感覚だった。理由もなく、足が止まる。声も出なくなる。


次の瞬間、扉が、内側に向かって吹き飛んだ。


蝶番が外れ、木材が砕けて床に転がる。舞い上がった埃の向こうに、人影があった。女だった。手には、すでに抜かれた短剣があった。


一瞬だった。


女がアルバンの喉仏を切り裂いた。大量の血が地面に広がる。その後、女は寝室の父親の元へ向かった。


(やめろ――)


血が吹き出す喉でアルバンはなんとか声を絞り出そうとした。声が出るより早く、奥の部屋で短い音がした。


アルバンがなんとか寝室にたどり着いた時、父はすでに布団の上で動かなくなっていた。苦しんだ気配もなかった。


アルバンは膝から崩れ落ちた。床に手をついた。視界がぼやけてくる。

振り返る力もなかった。ただ倒れながら、アルバンは壁際の小部屋の扉を見た。


(逃げろ)


声は出なかった。口が動いただけだった。


(逃げ....ろ)


小さな扉が、内側から開いた。娘が異変に気づき部屋から出てきた。父の姿を見た瞬間、口を押さえた。声を出そうとして、出せなかった。


女が娘の目の前で足を止めた。短剣を持つ手が、動こうとした。


が、止まった。女は娘の顔を凝視し、固まった。


唇を震わせながら、それでも逃げようとせずに父の顔を見ている――その姿が女の過去の断片に重なった。


女はその場に一秒、立ち止まった。


遠くで、声がした。


「なんの音だ」「隣から聞こえたぞ」「起きろ、起きろ」


女が踵を返した。扉の残骸を踏み越え、夜の中に消えた。


娘は呆然と死に絶えた父親の顔を眺めていた。

27話です。次回もお楽しみに。お気に入り登録していただけると励みになります!

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