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経理部が異世界転生したら無双した件  作者: shiki


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26/30

アルバンの葛藤

最初の粉末を溶かしてから、3ヶ月が過ぎていた。


王は今日も食卓についている。アルバンは厨房の入口から、その横顔をそっと盗み見た。灯りの下で、エドモン王の顔はいつもより白く見えた。頬の肉が薄くなっている。目の下に、うっすらと影ができている。


「アルバン、スープを」


料理長の声で、我に返った。


「はい、今すぐ」


震えそうになる手を、意志の力だけで押さえる。椀を持ち上ると同時に、懐の中の小瓶がひどく重く感じる。


------------------

食事が終わると、王宮医師が呼ばれた。


アルバンは廊下の端で、その様子を遠巻きに見ていた。親衛隊の屈強な男二人が、廊下の前後に立っている。奥の扉が開き、腰の低い老人が出てきた。


「滋養のあるものをお取りいただき、ご休息を。今のところ、これといったご病状は見受けられません。疲れが溜まっているのでしょう」


廊下の端に立っていたアルバンは耳を凝らし、親衛隊と老人の会話を聞いていた。


胸に何かが刺さったいる感覚がずっと続いている。自分の身のために、家族のために、偉大な王を殺す手伝いをしていることが、アルバンの胸を苦しめた。


医師が帰っていく後ろ姿を見送りながら、アルバンは壁に背をつけた。


------------------------

眠れない夜が続き、アルバンは天井を仰ぎ見ていた。目を閉じると、その瞬間王の顔が浮かぶ。「今日のスープは香りがいい」と言ったあの顔が。温かく、真っすぐな目が。


何度も何度も、蘇ってくる。


寝返りを打つたびに、布団の中で体を縮める。胸の中に石でも詰まっているように、息が浅い。暗い部屋の中で、自分の呼吸だけが聞こえた。


今日もスープを運ぶと、王は「ありがとう」と言った。


その「ありがとう」が、アルバンの心に深くのしかかる。


もう終わりにしよう。


そう決めたのは、天井を仰ぎながらアルバンは決心をする。明日こそ伝えよう。今度こそは。


----------------------

王宮の西側、クロヴィスに指定された使われていない物置の裏。


松明の届かない暗がりに、クロヴィスは立っていた。その男表情はいつも通り全く感情がわからなかった。アルバンは乾いた喉に唾を飲み込み、なんとか言葉を発した。


「もうやめたい」


「そうですか。わかりました」


あまりにあっさりした返事だった。


拍子抜けして、それで終わりかと思ったとき、クロヴィスが続けた。


「少しだけ、お待ちください」


暗がりの奥で、足音がした。


二つ、三つ。引きずるような、重い足音だった。


松明の灯りの端に、二人の人影が現れた。


アルバンの父親は、肩をクロヴィスに掴まれて立っていた。床に伏せているはずだった父が、足を引きずりながらそこにいた。顔は下を向き、その隣に娘がいた。


七歳になったばかりの娘が、父親の袖を両手で掴んで、体を縮めていた。目が合った瞬間、娘は唇を震わせた。声を出してはいけないと言われたのだろう。まだ小さな娘が必死に泣くのを堪えていた。


「......お父さん」


娘が悲痛な声を漏らした。


「あなたが続けてくださる間は」クロヴィスが言った。声に起伏がない。「このお二人は、幸せに暮らせます。それにあなたはこの件の深く関わっている。あなただけ無罪になることなどもうできませんよ。その際、ご家族がどうなるのか、ちゃんと考えた方がよろしいかと」


「やめてくれ。俺は、もう――」


「決めるのはあなた自身です。私はあなた自身の口から続けるという意思が聞きたい」


クロヴィスが父の手を取った。


指を一本、持ち上げ、爪と皮膚の間をゆっくりと引き裂いていく。


乾いた音が、暗がりに響いた。


父親の口から激痛に堪える音がした。低い声が物置に響いた。隣の娘が叫びそうになるのをクロヴィスは手で口を押さえた。娘の肩が細かく揺れ、目から涙が溢れていた。


アルバンの視界が、じわりと歪んだ。


「あと九本あります」


「それが終わったら、今度は娘さんにしましょう。あなたがどこまで耐えられるか、楽しみです」


「もうやめろ」アルバンがクロヴィスに飛びかかった。その刹那、みぞおちに固い衝撃がめりこみ、アルバンが膝から崩れ落ちた。


石畳の冷たさが、膝から伝わってくる。見上げるとクロヴィスがアルバンを見下ろしていた。その瞳をみて、アルバンは悟った。この男には感情がなく、慈悲の言葉など全く無意味であることを。


「……続ける」


声は掠れていた。


「続けるから、もうやめてくれ」


クロヴィスが笑顔で、「ありがとうございます。ではこのお二人は私が責任を持って家までお戻しいたします」と業務連絡のように伝えた。


父と娘が、また暗がりの奥へ消えていく。アルバンは立ち上がれなかった。冷たい石畳の上で、夜風が頬を撫でた。

26話です。過去編、もう少しだけおつきあいください。次回もお楽しみに。お気に入り登録していただけると励みになります!

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