アルバンの葛藤
最初の粉末を溶かしてから、3ヶ月が過ぎていた。
王は今日も食卓についている。アルバンは厨房の入口から、その横顔をそっと盗み見た。灯りの下で、エドモン王の顔はいつもより白く見えた。頬の肉が薄くなっている。目の下に、うっすらと影ができている。
「アルバン、スープを」
料理長の声で、我に返った。
「はい、今すぐ」
震えそうになる手を、意志の力だけで押さえる。椀を持ち上ると同時に、懐の中の小瓶がひどく重く感じる。
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食事が終わると、王宮医師が呼ばれた。
アルバンは廊下の端で、その様子を遠巻きに見ていた。親衛隊の屈強な男二人が、廊下の前後に立っている。奥の扉が開き、腰の低い老人が出てきた。
「滋養のあるものをお取りいただき、ご休息を。今のところ、これといったご病状は見受けられません。疲れが溜まっているのでしょう」
廊下の端に立っていたアルバンは耳を凝らし、親衛隊と老人の会話を聞いていた。
胸に何かが刺さったいる感覚がずっと続いている。自分の身のために、家族のために、偉大な王を殺す手伝いをしていることが、アルバンの胸を苦しめた。
医師が帰っていく後ろ姿を見送りながら、アルバンは壁に背をつけた。
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眠れない夜が続き、アルバンは天井を仰ぎ見ていた。目を閉じると、その瞬間王の顔が浮かぶ。「今日のスープは香りがいい」と言ったあの顔が。温かく、真っすぐな目が。
何度も何度も、蘇ってくる。
寝返りを打つたびに、布団の中で体を縮める。胸の中に石でも詰まっているように、息が浅い。暗い部屋の中で、自分の呼吸だけが聞こえた。
今日もスープを運ぶと、王は「ありがとう」と言った。
その「ありがとう」が、アルバンの心に深くのしかかる。
もう終わりにしよう。
そう決めたのは、天井を仰ぎながらアルバンは決心をする。明日こそ伝えよう。今度こそは。
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王宮の西側、クロヴィスに指定された使われていない物置の裏。
松明の届かない暗がりに、クロヴィスは立っていた。その男表情はいつも通り全く感情がわからなかった。アルバンは乾いた喉に唾を飲み込み、なんとか言葉を発した。
「もうやめたい」
「そうですか。わかりました」
あまりにあっさりした返事だった。
拍子抜けして、それで終わりかと思ったとき、クロヴィスが続けた。
「少しだけ、お待ちください」
暗がりの奥で、足音がした。
二つ、三つ。引きずるような、重い足音だった。
松明の灯りの端に、二人の人影が現れた。
アルバンの父親は、肩をクロヴィスに掴まれて立っていた。床に伏せているはずだった父が、足を引きずりながらそこにいた。顔は下を向き、その隣に娘がいた。
七歳になったばかりの娘が、父親の袖を両手で掴んで、体を縮めていた。目が合った瞬間、娘は唇を震わせた。声を出してはいけないと言われたのだろう。まだ小さな娘が必死に泣くのを堪えていた。
「......お父さん」
娘が悲痛な声を漏らした。
「あなたが続けてくださる間は」クロヴィスが言った。声に起伏がない。「このお二人は、幸せに暮らせます。それにあなたはこの件の深く関わっている。あなただけ無罪になることなどもうできませんよ。その際、ご家族がどうなるのか、ちゃんと考えた方がよろしいかと」
「やめてくれ。俺は、もう――」
「決めるのはあなた自身です。私はあなた自身の口から続けるという意思が聞きたい」
クロヴィスが父の手を取った。
指を一本、持ち上げ、爪と皮膚の間をゆっくりと引き裂いていく。
乾いた音が、暗がりに響いた。
父親の口から激痛に堪える音がした。低い声が物置に響いた。隣の娘が叫びそうになるのをクロヴィスは手で口を押さえた。娘の肩が細かく揺れ、目から涙が溢れていた。
アルバンの視界が、じわりと歪んだ。
「あと九本あります」
「それが終わったら、今度は娘さんにしましょう。あなたがどこまで耐えられるか、楽しみです」
「もうやめろ」アルバンがクロヴィスに飛びかかった。その刹那、みぞおちに固い衝撃がめりこみ、アルバンが膝から崩れ落ちた。
石畳の冷たさが、膝から伝わってくる。見上げるとクロヴィスがアルバンを見下ろしていた。その瞳をみて、アルバンは悟った。この男には感情がなく、慈悲の言葉など全く無意味であることを。
「……続ける」
声は掠れていた。
「続けるから、もうやめてくれ」
クロヴィスが笑顔で、「ありがとうございます。ではこのお二人は私が責任を持って家までお戻しいたします」と業務連絡のように伝えた。
父と娘が、また暗がりの奥へ消えていく。アルバンは立ち上がれなかった。冷たい石畳の上で、夜風が頬を撫でた。
26話です。過去編、もう少しだけおつきあいください。次回もお楽しみに。お気に入り登録していただけると励みになります!




