王と給仕と毒
灯りは一本だけだった。
燭台の炎が揺れるたびに、男の影が壁を這う。クローヴィスは卓の端に薄い布袋をひとつ置き、そこから視線を上げた。
「半年、いただきます」
抑揚のないクロヴィスの声からは全く感情を読み取れなない。
「ドルメの根を粉末したものにヴェルト草の粉を混ぜます。どちらも単体では体に何の害もない。食事に加え続ければ、三ヶ月目あたりから食欲が落ち六ヶ月で、体力・免疫力が低下し、他の病気も併発するようになります」
「毒として検出される可能性は?医者どもに気づかれそうだが」
「ありません。死因は老衰か過労、あるいは病気の悪化と診断されるでしょう。疑う者はおりません。この製法は遠い北の地で開発されたものです。そもそも石壁を超えねば手に入らない代物です。この国に知るものはおりません」
炎が揺れ、室内に落ちた影も揺らめいている。
「配膳を担当する給仕を一人、押さえてあります。家族に重度の病人がおり、金に困っております。家族の命か王の命を選ばせましょう」
「その給仕が王に告げ口したらどうする。あの王は民から好かれている。そんなことが本当に可能なのか」
「断れば一家もろとも皆殺しにすると脅します。実際私なら可能です。家族への想いが強い者です。おそらく従うかと。従わない場合その場で殺します。遺体は石壁の外へ投げてしまえば、魔物に食われて証拠は残りません」
布袋を手に取り、クロヴィスは静かに頭を下げた。
「皆様にも危険が伴います。途中で誰かに露見すれば間違いなく死刑でしょう。ですが、今の生活に満足しておられますか。この際申し上げますが、あの王がいる限り皆さんの暮らしは決して良くなりません。自らの手で未来を切り開く覚悟はおありでしょうか」
「生意気な。だが、確かにそうだ。このまま豚の餌を毎日食していては気が狂いそうだ」ドルクが腕を組みながら天井を仰ぎ見た。
「うむ、クロヴィスよ。準備を進めよ。ソレル、ドルク、こやつを使って王を殺す算段を立てよ。決してばれるなよ」
「仰せのままに」下を向いたクロヴィスの表情には笑みが溢れていた。
-------------------------
翌朝の訓練場に、陽が満ちていた。
剣が鳴った。地を蹴る音がして、レオナールが踏み込む。だがライガーの体はすでに半歩ずれていて、少年の刃はただの空気を切り裂いた。
「遅いですぞ、レオナール様」
ライガーが言いながら木剣を下ろす。息ひとつ乱れていない。
「まだまだ!」
レオナール声には、怒りが籠っていた。
十五歳の王子は構えを取り直し、今度はゆっくりと間合いを詰めた。
来る。
踏み込みと同時に剣を流そうとしたライガーの手首が、半拍だけ遅れた。木剣が弾かれ、乾いた音が訓練場に響く。
「――っ、入った!」
レオナールが叫んだ。そのまま飛び跳ねそうな勢いで、しかし辛うじて王子らしく踏みとどまっている。ライガーは手首を回しながら、くっと喉の奥で笑った。
「今のは本当に良かった。強くなりましたな。レオナール様」
「父上、見ておられましたか」
「まあ待て。俺も少し本気を出しましょう」ライガーは木剣で素振りを始めた。振るたびとてつもない轟音があたりに響いた。
少し離れた石段に腰を下ろしていたエドモン王は、その様子を笑いながら眺めていた。
「もう三本取ったら、石壁の前線に連れて行ってやろう」
「三本!? 父上は俺を連れて行く気はないのですね」
「一本は入れたじゃないか。やる前から弱腰か」
王は笑っていた。息子の輝かしい成長ぶりに嬉しくて仕方ない。そして同時に、その先が戦場だということが、胸の奥でどこか痛い。
エドモンはそう思いながら、また石段に腰を下ろした。
訓練場に剣の音が戻る。レオナールが吠えるように踏み込んで、ライガーが流して、また仕切り直す。その繰り返しが夕暮れまで続いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
夕食の時間。その時間はエドモン王にとって家族と過ごす尊い、貴重な時間だった。
「今日、ライガーから一本取ったんだ」
「ほんとうに?」
「うそをついてどうする」
レオナールが少し胸を張り、レオナルドが目を丸くする。食卓の灯りが三人の顔を柔らかく照らし、窓の外には夕焼けの名残がある。食器が触れ合う音が静かに続いた。
その部屋の少し手前、厨房の隅でアルバンは震える手を押さえていた。
懐に入れた小瓶の重さが、重力の二倍に感じられた。たった数グラムの白い粉末。それをスープに混ぜるだけでいい、とあの男は言った。気づかれることはないと。
弟の借金は二百枚を超えている。父親と娘は床に伏せて動けない。
王宮に仕えて三年。王のことは心から尊敬していたが、肉親・自分の命と天秤にかけ、アルバンは取引に応じた。小瓶の蓋を外し、ごく少量の粉末がスープに入る。食卓では笑い声が続いている。レオナルドが興味深そうに父の話を食い入るように聞く。
レオナールが憧れの戦場がどんなものかエドモンに尋ねる。レオナルドが弟らしく「なになに」と目をキラキラさせてエドモン王の話を聞いている。何気ない夕べの光景だった。王侯貴族の食卓ではなく、どこにでもある家族の、何でもない夜に見えた。
アルバンは一秒だけ目を閉じた。
それから、スープの椀を持ち上げた。
「失礼いたします。スープをお持ちしました」
声は、思ったよりずっと平らに出た。自分でも驚くほど、普通の声だった。
粉末の跡形はスープに溶けて消えてしまっている。
「――ありがとう、アルバン」
エドモン王が顔を上げた。
「今日のスープは、いつもより香りがいいな」
アルバンは深々と頭を下げた。下げたまま、もう一度だけ目を閉じた。
窓の外で夕陽が落ちていく。食卓では家族が笑っている。
王に忍び寄る刺客に誰も気づくことはなかった。
25話です。クロヴィスは一体何者なのか。。。次回もお楽しみに。お気に入り登録していただけると励みになります!




