名君に迫る影
夜明け前から動いていた兵士たちが、ようやく手を止めた。
東の空が白み始めている。昨夜の戦場だった平野は静かになり、魔物の骸を片付ける作業だけが淡々と続いていた。
王が馬に乗った。
「陛下、わざわざ前線に来ていただき、なんとお礼を申したら良いか。ただ、少しはお休みください。王がこの国の未来です。王に何かあったらこの国はどうなるのですか」
ゴルバが馬の傍らから馬上の王を見上げながら言った。
「バカなことを。国とは民の塊だ。お前たち一人一人がこの国の未来なのだ。王など飾りに過ぎん。ゴルバ、貴様もこの国の未来なのだ」
「.......なんともったいないお言葉。陛下、どうか道中もご無事で」
「うむ、農村を見てから戻る。北の村が今年の収穫をどうしているか、気になっていた」
「休むという言葉を知らないようですね——」呆れたようにゴルバは言った。
「休んでいる暇がどこにある」
王は馬首を北へ向けた。振り返らずに言った。
「お前たちも魔物が来ない時は休め。魔法部隊も交代で休ませよ。それと、兵士全員に食料が行き渡るよう手配する。存分に飯を食え」
蹄の音が遠ざかった。ゴルバはしばらくその背中を見ていた。
ライガーが昨日討伐した竜の肉を豪快に噛みちぎりながらゴルバの元へ来た。
「あの方はいつもそうだ」
「偉大なお方だ」ゴルバは目を細めた。
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王宮に戻ったのは昼を過ぎた頃だった。
廊下を歩いていると、奥から走ってくる足音がした。二人の少年が飛び出してきた。
「父上!」
前に飛び出したのは十五になるレオナールだった。まだあどけなさの残る顔つきだが、目に父親と同じ光があり、体格も鍛え上げられている。その後ろからレオナルドが続く。八つになる次男は兄の影に隠れるように立ち、王を見上げた。
「稽古の成果を見ていただきたいのです。今朝も剣を振りました。少しですが、雷を纏うこともできるようになりました」
「あとで見よう。王宮に変わりは無かったか」
レオナールの口が少しまごついた。
「父上、一つ申し上げてもよいでしょうか」
「もちろんだ」
「昨夜、叔父上のところで晩餐があったようです。厨房が遅くまで動いておりまして……レオナルドと一緒に廊下から見ていたのですが、料理が何十皿も運ばれていました」
王はしばらく黙っていた。
「そうか。よく教えてくれた」
それだけ言って、歩き出した。
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エドガーの居室に続く廊下では、給仕たちが忙しなく動いていた。昨夜の宴の後始末だった。空になった皿が積み重なり、食べ残しが山になっている。油と酒の染みが絨毯に広がっていた。
王は立ち止まり、それを見た。
給仕の一人が顔を上げ、王に気づいて体を固まらせた。
扉が開いた。エドガーが出てきた。昼近くになってようやく起きてきたらしく、寝起きの顔をしている。弟は王を見て、顔を強張らせた。
「兄上、お戻りで」
「これは何だ」
王は床に広がる宴の残骸に目を向けた。静かな声だった。しかしその静けさの中に怒りが込み上げていた。
「昨夜は少々英気を養いまして——」
「何もせぬ穀潰しが英気を養ってどうする」
エドガーの顔が固まった。
「英気とは、国のために働いている者が養うものだ。お前は何をした。前線に出たか。民の話を聞いたか。国が豊かになるよう何かしたのか」
「それは……兄上のお役目では」
「お前の役目でもある。王族は民のことを考え、行動すべきだ」
王はエドガーの目を真っ直ぐ見た。
「残飯は自分たちで片付けろ。給仕に任せるな。食料も、必要最低限にしろ。北の農村では今年の不作で民が節制をしている。王族がこの量を食い散らかしていることを民に説明できるのか」
「兄上、それは些か——」
「片付けろ」
王は踵を返した。廊下が静まり返った。エドガーは王の背中が見えなくなるまで、一言も発しなかった。その背中を見る目には憎悪が滲み出ていた。
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石壁近くで、二人の少女が向かい合っていた。
アーシュリが両手に炎を灯している。十二歳の体に、その炎は不釣り合いなほど太く濃い。向かいのミーナは氷を指先に集め、息を整えていた。
「もっと絞れ。広げるな」
ドヴァンが後ろから言った。腕を組み、静かに二人を見ている。
「広げた方が当たりやすくない?」アーシュリが炎を揺らしながら言った。
「当たりやすくて威力が半分になるなら意味がない。魔力を一点に収束させろ。そこから先は自分で考えろ」
「ドヴァン先生、私の場合は」ミーナが聞いた。
「お前は魔力が弱すぎる。絞ったら魔法が瓦解してしまう。もう少し余白を持て。氷は広がる性質を持っている」
ドヴァンは二人が何度も繰り返すのを、黙って見ていた。
アーシュリが炎を一点に凝縮させようとして、制御を失い霧散させた。舌打ちをして、もう一度やり直した。
ミーナが氷の針を広げ、今度は鋭く飛ばした。的の中心を外れたが、以前より速かった。
ドヴァンはそれを見て、わずかに頷いた。
「お前たち二人はいつか、この国を守る力になる」
アーシュリが手を止めて振り返った。
「私そこまで大層な夢は持ってないんだけど。魔法は好きでし、稽古は楽しいからやってるけど」
ドヴァンは表情を変えなかった。「この国には強い戦士と魔法使いが必要だ。民を守るために。力を持ったものには責任が生じる。お前たちにもいずれわかる」
アーシュリはしばらくドヴァンを見ていた。それから鼻を鳴らして前に向き直った。
「……もう一回やる」
ミーナが小さく笑った。
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エドガーの居室では、後始末が続いていた。
エドガーは指図をし、全て給仕に片付けさせた。自分は皿を一枚も触らず椅子に座り、作業が遅い給仕を罵った。
作業を終えた給仕たちが足早に部屋を出ていった。
ソレルが地団駄を踏みながら「本当に腹が立つ」叫んだ。
「父上に片付けをさせようなんて、我々の立場は何だと心得る。王族だぞ」
「少し声を抑えろ。二日酔いに響く」ドルクが静かに言った。
エドガーが窓の外を見たまま口を開いた。
「妬ましい。あの男は民に慕われ、兵に慕われ、何をしても讃えられる……早く、くたばってくれればよいのだが。そうすれば玉座は朕のものに」
「まったくだ。前線で竜に喰われて死ねばいいのだ」ソレルが言った。
「私もそう思います」ドルクがエドガーに同調するように頷いた。
扉を開く音が部屋に響いた。廊下の入口に、一人の若い男が立っていた。新入りの給仕で、目立たない顔つきをしている。表情が顔から全く読み取れなかった。名はクロヴィスという。
「聞こえていたのか」ドルクが目を細めた。
「はい。ご容赦ください。ただ——」
クロヴィスは一歩踏み出した。
「王を亡き者にする算段なら、ご協力できるかもしれません」
居室が静まり返った。
エドガーがゆっくりとクロヴィスの足先から頭の上まで視線を動かした。
24話です。名君の背中と、それに迫る影。過去編はまだ続きます。次回もお楽しみに。




