兄弟の策略④
港の火災未遂事件の夜、王宮にてクロヴィスはソレルとドルクに謁見した。
「失敗しました」
クロヴィスが言った。
ソレルが立ち上がった。
「失敗だと」
「港の人間に気づかれました。実行役は我々に依頼されたことを吐く前に口を封じましたが、帳簿の抹消はできていません」
「なぜだ」ソレルの声が上がった。「なぜそんな簡単なことが——。帳簿が表に出たら我々はどうなる。数字を見た民が——」
「ソレル様」
クロヴィスが静かに言った。
ソレルが止まった。
「落ち着いてください。まだ手はあります」
ドルクはずっと黙っていた。腕を組んで、床を見ている。
ソレルは息を吐いた。椅子に座り、こめかみを押さえた。
「帳簿を作成していることは確かなのだろうな。クロヴィス」
ドルクが静かに問い詰めた。
「帳簿があることは明白です」
「ならば王権で正面から家の中を改めればいい。堂々と」
「ですが、兄上。見つからなかった場合は」
「我々で用意したものを、ゴルバの家にあったことにする」
ソレルが顔を上げた。
「……なるほど」
ソレルは窓の外を見た。自身が統治している国の広さを確かめるように遠くの港を司会に収めた。
「明朝、兵を連れて港へ行くぞ」
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朝の港に、足音が響いた。
十数人の兵士が商会を囲んだ。隊列を組み、槍を持ち、整然と立っている。その中央をドルクとソレルが歩いてくる。荷運びの男たちが手を止め、遠巻きに見ていた。誰も声を出さなかった。
ゴルバが扉の前に立っていた。ティスとトッドがその後ろに続く。
「商人ギルド、ゴルバよ。王権による捜索命令を下す。逆らえば即斬首とする」
ドルクが前に出た。声が港に響いた。「帳簿に関わる証拠の押収を命ずる。中を全て改める」
「道理が通っていない。帳簿の罪は今琉架が償い、地下の牢獄に繋がれているのでは」ゴルバが言った。
「さらに国民を騙すために国全体の帳簿を作成していると報告があった。これは国家転覆をも企む重罪だ。あいつの首一つで済む域を超えている」
ドルクが顎で合図した。
兵士が三人、前に出た。ゴルバは退かなかった。最初の一人が腕を掴もうとした瞬間、ゴルバはその腕ごと引き込んだ。引っ張られた兵士が体勢を崩し、膝をついた。しかし次の二人が左右から来た。さらにもう一人が背後に回った。三人がかりで壁際まで押しつけられた。ゴルバが足を踏ん張る。
「やめろっ」
トッドが叫んだ。
右手を突き出した。指先に薄い膜を纏い、一瞬だけ白く膨らんで——弾けた。衝撃波が扇形に広がり、ゴルバを押さえていた兵士の二人が吹き飛んだ。一人は石畳を二転三転し、もう一人は積み上げた木箱に激突してそのまま崩れ落ちた。
続いてティスが動いた。
腰を落として重心を下げたまま、石畳を蹴った。兵士が気づく前に間合いに入る。正面の兵士が槍を構えようとしたが、それより先にティスが懐に入っていた。胸倉を両手でつかみ、腰を軸にして一気に投げた。兵士が宙を舞い、背中から石畳に叩きつけられた。鈍い音がして、そのまま動かなくなった。
もう一人が横から来た。ティスは流れるように向き直り、伸びてきた腕を外側から弾いて脇腹に肘を入れた。くぐもった声がして、兵士が膝をついた。
次の瞬間ドルクが動いた。
気づいたとき、ティスの背中が石壁にめり込んでいた。後頭部がじんと痺れた。何が起きたかわからなかった。ただ肺の空気が全部抜けて、石壁を背にずるずると崩れ落ちそうになった。
いつ動いたのか、まったく見えなかった。あの大きな体が音もなく移動して、いつの間にかそこにいた。ティスの正面に立っていた。腕一本でティスを壁に叩きつけたのだ。それだけのことだった。それだけのことで、ティスは立っていられなかった。
横を見ると、トッドが片膝をついていた。手首を逆に極められ、顔を歪めている。ドルクの片手がトッドの腕を掴んでいた。ドルクはティスを見ながら、片手でトッドの動きを封じていた。
港の人間が誰も声を出せなかった。ロンドが拳を握りしめていた。
「まだやるか」
ドルクが言った。まるで赤子に対して諭すように、港の人間に向けて放った。力の差は歴然であった。
ティスは歯を食いしばり、壁に手をついて立ち上がろうとした。膝が震えた。それでも足に力を込めた。
ドルクの手がティスの肩に乗った。
最初は軽かった。次の瞬間、じわりと体重が乗ってきた。肩の骨が軋んだ。膝が崩れ、手をついた。それでも顔だけは、上げていた。
ドルクを見上げた。ドルクはティスを見下ろしていた。
「やめろ」
ゴルバの声だった。
低く、静かだった。
ティスを見た。それからトッドを見た。二人の顔を順番に見て、何かを決めたように一度だけ目を閉じた。
「……もういい。やめろ」
ドルクが手をどけた。トッドがその場に崩れ落ち、手首を胸に抱えて荒い息をついた。ティスは手をついたまま、石畳を見ていた。立てなかった。立とうとしたが、体が言うことをきかない。
兵士たちがゴルバの家の中になだれ込んだ。棚が開く音。引き出しが引き抜かれる音。羊皮紙がめくられる音。しばらくして、一人が出てきた。
「ありました」
帳簿の束を両手で抱えていた。
ドルクがそれを受け取り、ソレルに渡した。ソレルは内容を確認し、静かにうなずいた。
「ゴルバを連行しろ」
「っ——」
トッドが手首を庇いながら立ち上がろうとした。
ゴルバが二人を制すように手を挙げた。
トッドとティスが拳を握りしめながらゴルバを見ていた。
「お前たちは動くな。俺は大丈夫だ」
ゴルバはそれだけ言った。
兵士に両腕を挟まれた。大きな体が、されるがままになっていた。歩き出す前に一度だけ振り返った。ティスを見た。トッドを見た。そしてマルセを見た。それから港の方へ、ほんの一瞬だけ目を向けた。
そのまま歩き出した。大きな背中が兵士に挟まれて、王宮の方向へ遠ざかっていく。足音が石畳に響き、やがて聞こえなくなった。
波が石壁を打っていた。トッドが悔しさのあまり唇を噛み締めた。トッドの唇を通って血が地面に落ちた。




