連行
夕日が港を赤く染めていた。
琉架を中心に、衛兵が半円を描くように並んでいる。ゴルバが拳を握りしめたまま仁王立ちになっていた。
「帳簿が呪術書だと? ふざけたことを言うな」
低く、押し殺した声だった。ゴルバが怒鳴る時よりも、静かに言う時の方が怖い。それを知っているトッドが、思わずゴルバの腕に手をかける。
「ゴルバさん、落ち着いてください……!」
そのトッドも、顔色は青ざめていた。
「琉架さんは何もしていない。帳簿をつけることの、どこが罪なんですか。ここの港で商いをしている商人は全員、琉架さんのおかげで生活が楽になっているんです。説明を聞いてもらえませんか」
先頭に立つ衛兵隊長が、トッドを睨みつけた。
年は四十前半。鎧の上に隊長を示す肩飾り。日焼けした顔に、感情を読ませない目。名をガルフという。
「我々は王命を執行するのみ。弁明の場は王城にある。ここで問答する気はない」
「話を聞く気もないのか」とゴルバが一歩踏み出した。
「下がれ。それ以上近づけば王命に背いた罪で、お前たちも連行するぞ」
ガルフの声は変わらなかった。
その時、甲板の脇でガイウスがゆっくりと大剣の柄に手をかけた。
「……兄ちゃん一人、渡す気にはなれんな」
静かな声だったが、殺気があった。ガルフの部下たちが反射的に手を剣に走らせる。張り詰めた空気が、船場を包んだ。
「やめろ」
琉架が言った。
全員が止まった。
「ガイウスさん、剣を引いてくれ」
「……琉架」
「お願いします」
ガイウスが、憮然とした顔のまま、しかし静かに手を離した。
「抵抗しないので、周りの人は巻き込まないでください」
琉架はゴルバとトッドを交互に見、ガルフに向けて言った。
「琉架さん!」
「トッド。落ち着いて聞いてくれ」琉架は続けた。「ここで揉めても何も解決しない。俺が抵抗して、お前たちまで捕まったら商売が止まる。それこそゴルバさんが困る」
ゴルバが奥歯を噛んだ。
「……帰ってこれるのか」
「帳簿に罪はない。数字は嘘をつかない。それを説明しに行くだけです」
ゴルバはしばらく琉架を見ていた。何か言いかけて、やめた。
ティスは甲板の柱に背を預けたまま、ただ静かに琉架を見ていた。
港の石畳を、衛兵に囲まれて歩く。
前に四人、後ろに四人。ガルフは琉架の右斜め前を歩いていた。
市場の人々が遠巻きに見ている。噂はすぐ広まる。明日には港中に知れ渡るだろう。
城下町の入口に差し掛かったところで、ガルフが立ち止まった。
「手錠をはめる」
腰の革袋から鉄の手枷を取り出した。
その瞬間。
「それは必要ないと思いますぞ」
おっとりとした声が、後ろから聞こえた。
振り返ると、隊列の最後尾に、一人の老人が追いつくように歩いてくるところだった。
年は六十を超えたころか。白髪交じりの柔らかそうな髪、丸みを帯びた体型、歩くたびにわずかに揺れる腹回り。王宮の役人であることを示す深緑の上着を着ているが、どこかのんびりとした雰囲気がある。目は細く、笑うと目尻に深い皺が刻まれる。
ガルフの顔色が変わった。
「ベルーナ様」
「やあやあ、間に合いましたよ」老人は息を少し弾ませながら言った。「足が遅くてすみませんな」
「約束が違います。同行するだけで、執行には口を出さないと言っていたはずです」
「ええ、そう言いましたよ。ただ手錠まで必要かどうかは、別の話じゃな」
「王命の連行には手錠が規定です」
「この方は逃げようとしたかな? 暴れそうか? 自分の足でここまで歩いてきたんじゃ。規定はあるだろうが、危険がないところに規定を杓子定規に当てはめるの如何じゃろう。相変わらず頭が硬いようじゃな」
ガルフが眉間に皺を寄せた。
「……わかりました。ただし、逃走の気配があれば即座にはめます」
「もちろん」
ベルーナと呼ばれた老人は、にこりと笑った。それからゆっくりと琉架の隣に並んだ。
「嫌でなければ、隣を歩かせていただけますか。足がいたいもので、話し相手がいると気がまぎれる」
琉架は少し面食らいながら頷いた。
馬車への道を歩きながら、ベルーナは特に何も問いかけず、しばらくは町並みを眺めていた。
沈黙を割ったのも、ベルーナの方だった。
「帳簿、というものを作っているそうじゃな」
「……ええ」
「どんなものですか。噂では、魔法の書物だとか、悪魔の言葉が書いてあるとか、物騒な話ばかり聞こえてくるものだから、ぜひ本人に聞いてみたかったんですよ」
琉架は少し考えてから、率直に答えた。
「ただの記録です。いつ、いくら入ってきて、いくら出ていったか。それを書き留めるだけです」
「ほう」
「商品を買ったら借方に商品名と金額を書く。売ったら売上を記録する。全部書き出せば、今手元にいくら残っているか、借金があといくらあるか、一目でわかる。それだけのものです」
ベルーナは少し目を細めた。
「それだけ、ですか」
「それだけです」
「しかし」ベルーナはゆっくりと言った。「商人たちがそれを持ったら、どうなりますか」
「自分の商売の状態が見えるようになります。儲かっているのか、損しているのか。借金を返せるのか、返せないのか。そこから次の判断ができる」
「なるほど」
老人はしばらく石畳を見ながら歩いた。
「では、もし王宮にそれがあったら、どうなりますか」
琉架は横目でベルーナを見た。
老人の顔は穏やかだった。だが目の奥には、穏やかとは少し違う何かがあった。
「……国の収入と支出が全部見えるようになります」
「税収がどこから来て、どこへ消えているか。王宮が何に金を使っっているのかもわかるのかね」
「そうです」
ベルーナは深く頷いた。
「私はね、三十年王宮の財務を見てきました。最初は小さな役人でしたが、少しずつ仕事を覚えて、今は王室財務顧問という肩書を頂いています。ただ」
老人の声が、わずかに低くなった。
「近ごろは、私のところに数字が来なくなってきましてね。何を聞いても、それは別の部署が管理していると言われる。何を見せてほしいと頼んでも、確認中と言われたまま、いつまでも待たされる。四十年仕えてきた役人が、自分の国の支出も把握できない」
琉架は黙って聞いた。
「あなたの帳簿の話を聞いた時、正直なところ、羨ましかった。数字を正直に並べて、誰でも読める形にする。当たり前のことのようですが、この王宮では、その当たり前ができていない」
城の門が見えてきた。石造りの重い扉が、ゆっくりと開いていく。
ベルーナは琉架に向かって、静かに言った。
「今夜は取調べがあるでしょう。つらいこともあると思いますが、少なくとも私はあなたの話を最後まで聞くつもりですよ」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。ただ」老人は前を向いたまま、ぽつりと言った。「できれば、その帳簿の作り方、後で教えてもらえますか。この国の、本当の数字を取り戻したい」
琉架は門をくぐりながら、ベルナンの横顔を見た。
穏やかな老人だったが、言葉にはどこか重みがあった。
重い鉄の扉が閉まり、琉架は馬車に揺られ王宮へ向けて出発する馬車から静かに港を眺めていた。
13話です。琉架がついに王城へ。連行の場面でゴルバとトッドが怒り、ガイウスが剣を抜きかけるシーン、緊張感出せたでしょうか。
そしてベルーナ老人の登場。王室財務顧問という立場でありながら、自分の国の帳簿を見せてもらえないという状況。この国の闇の深さが少しずつ見えてきましたね。今後の重要人物です、どうぞよろしく。




