航路の影と、王命の足音
南方取引が軌道に乗ってから、三ヶ月が経った。
利益は確実に積み上がり、琉架たちの商人ギルドは今や港で知らぬ者のいない存在になっていた。
「琉架さん、今月の収支をまとめました」
トッドが折りたたんだ羊皮紙を差し出す。琉架はそれを受け取り、数字を眺めた。
「……順調すぎて怖いな。何か起きなきゃいいが」
「不吉なこと言うな。せっかく上手くいってるんだから」
ティスが口を尖らせる。
「いや、上手くいってる時こそリスクを考えるんだ。儲かってる時に次の手を打つのが商売の基本だぞ」
「サンタ・マリア号と新たに購入したセレスタ号の二隻体制でございます」とキーンが帳簿に書き込みながら続けた。「積載量の面では問題ございませんが、マグナリアの輸送に関しましては、琉架さんのご指示通り各船に半量ずつ分散しております」
「それでいい」
琉架は窓の外を眺めた。港に並ぶ二隻の船が朝日を浴びて輝いている。
マグナリアは一隻に集中させると、沈没や略奪の際に全損するリスクがある。半量ずつに分けることで、最悪の事態でも五割は手元に残る計算だ。半分は最悪海に捨てても多少損失は出るが、他でじゅうぶん賄える額だ。
さらに、各船には通常の乗組員に加えて戦闘員を余分に配置している。人手が足りない航路では、傭兵を雇い入れる方針も取った。
帳簿の費目には「護衛費」という勘定科目が新たに加わっていた。
その日の午後、琉架たちはセレスタ号の甲板に乗っていた。マグナリアを積んだ船は、南方の産地からリベルタ王国の港へと向かう航路を進んでいる。
潮風が心地よく、波も穏やかだった。
「兄ちゃんたち、若いが、ずいぶん頼もしいじゃないか」
そう言って豪快に笑ったのは、今航路で雇い入れた傭兵、ガイウスだった。年は四十路を過ぎたころか。傷だらけの腕、日に焼けた顔、腰に下げた大剣。二十年以上前線で戦ってきた、本物の戦士だった。
ゴルバの顔を見るなり、皺だらけの目を細める。
「……しかしゴルバ、久しぶりだな。元気そうじゃないか」
「お前もな。まだ現役でやってたのか」
「俺を誰だと思ってる。にしても、まさかお前が商人やってるとはな」
ゴルバは苦笑しながら木箱に腰を下ろした。「色々あってな。今は商人ギルドの長だ。まあ、ほとんどあいつのおかげだがな」
「帳簿屋か」
「そうだ。あいつのおかげでうちの商いはずいぶん変わった」
ガイウスは顎を掻いた。「そういや、マグナリア積むようになってから俺たちも助かってるぞ。負傷者が減った。あの果実、筋力増強に加えて、傷の回復に効くんだろ?」
「ああ。値は張るが、確かに効く」
「戦闘前に食わせてやれるだけで、仲間を死なせる数がぐっと減った。ありがたい話だ」
ガイウスの声に、珍しく柔らかい色が混じった。
しかし、その表情はすぐに曇る。
「……ただな」
「どうした」
「俺ら戦士だけじゃ、限界があるんだよ」
ゴルバが顔を上げる。ガイウスは目を細め、北の方角を見やった。
「本来なら、王都の魔法使いどもがもう少し前線に出てくれれば、話がちがう。遠距離魔法で片がつく場面を、俺たちは剣と体で何十人もかけてなんとかしてる。わかるか? あいつらが一人いるだけで、俺の仲間が数十人助かるんだ」
「……それは」
「わかってる。王命だ。王都防衛最優先、前線には出すな。皆そのことは知ってる」
ガイウスの声に怒りはなかった。ただ、長い年月をかけて積み重なった疲弊が、静かに滲んでいた。
「おかしな話だよな。国の前線ではなく、まだ戦闘が起こっていない王都を一番手厚く守るなんてな。あんな王宮の連中を守るために命を削ってるとは反吐が出るぜ」
甲板の隅で、ティスがその会話を聞いていた。
彼の顔が、憤怒の念で固まっている。唇を真一文字に結び、視線を船縁の先、遠い海へと落としていた。
琉架は黙ってそれを見ていた。何かを聞こうとして、やめた。
異変が起きたのは、その三十分後だった。
「来ます! 左舷、水面下に反応!」
見張りの叫び声と同時に、船体が揺れた。
水面がぼこぼこと盛り上がり、そこから這い出てきたのは、全長一メートルほどの細長い魔物の群れだった。灰色の鱗に覆われた胴体、ぎょろりとした黄色い眼。鋭い爪で甲板を引っかき、でたらめに噛みついてくる――スクランだ。一匹一匹は大したことはないが、群れで動く習性がある。
「ガハハ! ちょうどいい、運動になる!」
ガイウスが大剣を抜き放つ。踏み込みは重く、しかし速い。一歩で二体の間合いを詰め、横薙ぎの一振りで三匹まとめて甲板の外へ叩き飛ばした。水しぶきが上がる。
「ゴルバさん、右!」
トッドの声に、ゴルバが振り返る。スクランが一匹、マグナリアの入った木箱を爪で引っかこうとしていた。
「させるか!」
ゴルバが腰の短刀を抜き、迷わず踏み込む。刃先がスクランの首元を捉え、ずたりと一閃。
「っ……」
ガイウスがその動きをちらりと見て、口の端を歪めた。
「……変わってないな、その踏み込み」
ゴルバは答えなかった。
「トッド、後ろ!」
「はい!」
トッドは振り向きざまに魔力を練り上げ、追いすがる二匹に衝撃波を叩き込んだ。魔法使いとしての格は高くないが、正確性は確かだ。スクランが吹き飛び、マストに激突して動かなくなる。
「残りは俺が!雷光斬!」
ティスが甲板を駆けた。纏った魔力が淡く光り、水面から這い上がろうとするスクランを次々と薙ぎ倒していく。波紋が広がり、魔物たちが浮かび上がって動かなくなった。
「っ、気持ちいい動きしやがる」
ガイウスが感心したように笑った。
「全部で二十二体。追加の反応は?」と乗組員に確認する。
「なし! 退いていきます!」
「よし、終わり」
琉架は静かに息を吐いた。甲板に返り血の一滴もない。乗組員の負傷者もなし。完璧な対処だった。
夕暮れ時、港が見えてきた。
橙色に染まる水面を割りながら、セレスタ号がゆっくりと接岸する。綱が岸壁に結ばれ、慣れた手つきで積み荷を下ろし始める。
「今回も無事に終わったな」
琉架が伸びをしたその時だった。
岸壁に、人影が集まっているのが見えた。
鎧を着た衛兵が、十人以上。横一列に並び、タラップの正面を塞ぐように立っている。ただの出迎えにしてはあまりに仰々しかった。
「……なんだ?」
先頭の衛兵が一歩進み出た。声は、妙に硬かった。
「商人ギルドの琉架殿はおられるか」
「俺ですが」
琉架が答えると、衛兵は羊皮紙を取り出した。王家の紋章が押された封蝋が、夕日に光る。
「リベルタ王国国王陛下の御命令である。――謎の呪術書を民間に流布し、王国の秩序を乱した疑いにより、琉架を王城に連行する。抵抗すれば力をもって排除する」
甲板が静まり返った。
ゴルバが息を呑む。ガイウスが大剣の柄に手をかける。トッドの顔から血の気が引いた。
ティスだけが、まるで予想していたかのように、目を閉じた。
琉架は衛兵を見渡し、短く息を吐いた。
「…………呪術書ね」
いつの時代も新しい知識、技術が生まれるたびに人は恐れて来たことを琉架は身を持って知った。
順調に回っていた商いに、ついに王権が動き出しました。ガイウス、今後も活躍予定のキャラなのでどうぞよろしく。
ゴルバの踏み込みを見て何かを知っていそうなガイウス。……次回、連行シーンです。




