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 最小限に灯の絞られた回廊は月に照らされて青白く光っている。真っ黒な湖に浮かぶその様はとても幻想的だ。追加のお酒を手に、今夜も無理そうだなぁと諦めのため息を吐いて扉を開いた。


「おいユイネ」

「はい」

「あまり慣れん事をしようとするなよ」


 僕は半分開いた扉を、そうっと閉じた。ちょっとだけ開けたままにしておいて様子をうかがう。覗き見は良くないけどさ。


「え?」


 ユイネが隣に座るタロちゃんを見上げた。


「お前は阿呆のくせに、自分の器以上の事をしたがるからな」


 ああタロちゃんの馬鹿。そんな言い方じゃあユイネにちゃんと伝わらないじゃないか。それじゃ嫌味だよ。

 そう思ったけれど、僕の予想に反してユイネはとても嬉しそうに、恥ずかしそうにはにかんだ。


「……はい。大丈夫です。ありがとうございます」


 そうか……。僕が心配する必要もないみたいだ。

 僕は扉の隙間から二人を見つめて微笑んだ。タロちゃんはあんな事を言いながらとっても優しい表情をしていた。ユイネにはちゃんと、言葉の裏にあるタロちゃんの思いが伝わっているんだ。


「あの……タロさん」

「なんだ」

「あ、あの……」

「だからなんだ。さっさと言え」


 ユイネはごにょりと何かを呟いて、俯いた。


「ん、おい。もう少し声を……」

「あのっ。タ、タロさんは私のどこが、その、好きなんでしょうかっ!」


 俯いたまま、ユイネは大きな声を出して一気に言い切った。多分恥ずかしくて顔を上げられないんだろう。そんな彼女を驚いた表情で見下ろしていたタロちゃんが、ごそりと居住まいを正し、ごほんと咳払いをして言った。


「魂だ」


 ああ馬鹿。その言い方だとユイネじゃなくて、ユイネの魂が好きみたいに聞こえちゃうだろ。いや、間違ってないけど、それじゃあユイネには分かりづらいし……ああ難しいな。


「……あ、そうですか……。そうですよね、やっぱり……」


 心なしかしょぼくれたユイネの声。ふぬ、とタロちゃんが鼻から息を吐いた。


「全く、くだらん事を聞く奴だな」

「はい……。すみません」

「馬鹿者っ」

「うっ。ごめんなさい」

「そんなもの、お前だからに決まってる!」


 腕を組んで夜空に顔を向けたままのタロちゃんを、ぼんやりとユイネが見上げる。


「お前のどこが、なんてそんなものではないっ。……お、俺はだな、ユイネ。お前がお前だから、好きなんだ! お前の美しい魂もあたたかな気も、気弱なくせに変に頑固な性格も、地味なくせに味のあるその顔もだな、くそっ!」


 恥ずかしまぎれに悪態をついて、タロちゃんはまた大きく息を吸った。


「とにかくだ、ユイネ! お前だから、良いんだ。お前以外にはあり得ない! お前でなければ意味を為さないっ。お前だから、俺は生きていけるんだ! お前が、俺の全てだっ!! ……ど、どうだっ。これで分かったか!」


 僕は絶句した。どうしてこいつは、もっとスマートな言い方が出来ないんだろう。なんて乱暴で強烈で、熱烈な告白なんだろう……。だけどそれで僕は分かった。

 同じ理由で、ユイネもサーシャの質問に答えられなかったんだ。

 そのユイネは今や両手で顔を覆って俯いていた。


「……おい。人が必死に答えているのにお前は何をしている」

「も、十分です。あの……う、嬉しすぎて……。その、絶対変な顔してます……私」

「元々変な顔だろう。どれ、見せてみろ。笑ってやる」


 ぐ、とタロちゃんがユイネの手首を掴んだ。無理矢理その手を引きはがして顔を上げさせようとする。


「い、いいですっ! ちょっ、やめっ……」


 ユイネを見て、はっとしたようにタロちゃんの動きが止まった。二人の視線が絡み合い、時が止まってしまったみたいな静寂がおとずれた。魅入られたようにお互いを見つめる。

 愛おしさに、心が震えた。


 月の光に照らされた二人は、それからゆっくりと近づいていった。

 僕はそろそろと扉を閉めてその場を離れた。全身がふわりと優しいぬくもりに癒されていく。胸がどきどきして苦しくて、なのにとっても幸せで、嬉しくて嬉しくて仕方ない。じんわりと力が満ちていく。


「ふふっ」


 スキップしそうなくらい上機嫌で回廊を歩いていた時、突然タロちゃんの声が響いた。


──おい、テル。何をしている。さっさと酒を持って来い──


 ……え。キスだけ? そんな……。


「もうっ! タロちゃんの意気地なしっ」


 仕方なく引き返そうとした時、回廊の先に人影を見つけた。どうしたんだろう……こんな時間に。


「フェンナ?」


 声をかけると大きな影がびくりと震えて、おそるおそるこちらを振り返った。


「あ……テ、テル様」

「どうしたのさ。こんな時間に」


 フェンナはしょぼしょぼとまばたきをして、腰を折って頭を下げた。


「申し訳ございません。お茶を淹れる練習をしてまして、そ、それから少しお掃除もしておこうと思って……」


 顔を上げずに慌てて説明を始める彼女に近づきながら続きを促す。

 

「え? こんな時間までかい? 誰かに言われて?」

「いいえ! わ、私が勝手に……。その、いつも失敗ばかりして、あの、ご迷惑をおかけしているので少しでもと思いましてっ。そ、それで自分の部屋に帰ろうとして……」

「ああ……」


 僕はくすりと笑った。手に雑巾を握り締めて、ひっつめたお団子の髪をところどころほつれさせている彼女を、どうして怒る事が出来るだろう。


「また迷っちゃったんだね」

「……はい。申し訳ございません……」

「良いよ。フティには内緒にしといてあげる。僕が連れてってあげよう。さ、顔を上げて」


 フェンナのちっちゃな両目には涙が溜まっていた。その瞳が、びっくりしたように見開かれる。


「テッ、テル様っ!?」

「うん?」


 そこで気がついた。背の高いはずの彼女と、僕の目線とが同じ位置にある。僕は自分の身体を見下ろして、ああ、とため息をついた。


「元に戻っちゃった」


 手も足も伸びて、決して子供には見えない容姿。本来の僕の姿。満たされた力のおかげで、僕は青年の姿に戻ってしまっていた。


「まあいいや。おいで、こっちだよ」

「は、はいぃっ」


 一気に緊張が増して真っ赤な顔をしたフェンナを連れて、回廊を歩き始める。


「……ねえフェンナ」

「は、はいっ」

「どうしてお茶を淹れる練習なんかしてたの?」

「あ……。あの、ユイネ様が」

「うん?」

「ユイネ様が、いつも私の淹れるお茶が美味しいと言ってくださいます。いつも私の顔を見て、言ってくださいます」

「ああ、うん」

「……ユイネ様はお優しい方です」


 ぴたりとフェンナの足が止まったので、後ろを振り返った。フェンナは両手で雑巾を握り締め、真っ直ぐに立っていた。ぎゅっと結ばれた口元がぶるぶると震え始める。


「……わ、わだすっ。ユイネ様の笑ったお顔が好きなんだず! だがら少しでもお役に立ちたいて、思ってんだずっ。一日でも早く仕事に慣れでっ、立派な女官になりたいんだず!」


 僕は呆気にとられてぼんやりとフェンナを見つめた。


「……えーと。すっごいなまっちゃってるけど」

「あ! も、申し訳、ございませんっ」

「あははっ」


 フェンナ……。君は知っているんだね。

 異世界からやって来て『漆黒』の守り人の半身になったユイネに対して、反発している民達がいる事を。ユイネはとびきりの美人でもないし、人を威圧するような迫力もない。優しくて穏やかなユイネは、敵意を持つ者から見ればすぐになめられてしまう。

 だけどそんな事、僕もタロちゃんも決して許さない。


「ふふ……。ありがとう。ユイネは僕の大事な人だから、よろしくね」

「はいっ!」


 真っ直ぐなフェンナの気持ちが、とても嬉しい。僕は闇に溶ける湖に視線を向けた。湖面がきらりと月に輝いている。


 世界はこんなにあたたかいものだなんて、この数百年、ずっと気付かなかった。


「……ねえだけどさ、焦らなくて良いんだ。フェンナ、君は君のやり方で、進んだら良いんだよ。君にしか出来ない事が必ずあるんだから」


 そうだ。焦る必要なんかなかった。急ぐ必要もない。

 そうでしょ? 唯音。


 少しずつでもちょっとずつでも、進んでいけば良いんだ。自分のやり方で、自分の速度で。それが正解だ。

 焦らなくて良い。誰かと比べて自信をなくす時もあるし、進んでいたのにまた後退してしまう時だってある。評価されない時もあるし上手くいかなくて悔しい時もある。だけど結局は、自分らしく進むしかないんだ。自分の速度で、少しでも前へ進もうと決めて。


 フェンナは今にも泣きだしてしまいそうな顔で、けれど強い光を宿した瞳で、僕を見ていた。


「テル様……あ、ありがどうございます。わだす……一生懸命、頑張ります」

「うん。頼もしいね」


 大丈夫。これからだ。


 僕らの時は、今、これからなんだ。

 

 





(完)

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