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六番街一番勝負  作者: 百助蝶子
二章
12/14

揺藍

眠りから浮かび上がる意識はひどく静かで、何の抵抗もなく現実へと引き上げられていく。


呼吸は整っている。


身体に痛みはない。


ただ、全体に薄く疲労だけが残っていた。


「……」


瞼を開けば、見慣れた天井。

六番街、そして自分の寝床。


それだけで十分だった。


状況を確かめる必要もない。

すべては、いつも通り。


「……」


ゆっくりと身体を起こすと、衣が擦れる乾いた音が、静まり返った空間にわずかに広がる。


やはり、誰もいない。


最初からそうであったかのように、気配は何ひとつ残っていなかった。



寝台の下へと視線を向ければ、揃えられたままの下駄を見つける。


手を伸ばし下駄を履けば、ちりん、と鈴が、小さく鳴る。



立ち上がり、緩やかに体を伸ばせば、身体の奥に鈍い重さが残っていることに気付く。


それは明確な疲労。


だが、理由は思い出せない。

否、思い出す必要がない。


千金楽はそのまま、いつものように机の方へ向かおうとして、ふと足が止まる。


床の上。


寝台のすぐ脇、淡い灯りの届く場所に、小さな飴玉の欠片がいくつか転がっていた。


砕けた破片。


薄く光を返す、薄桃色のかけら。


「……?」


音にもならないほど小さく、疑問の声が漏れた。


視線を落としたまま、じっとそれを見つめる。


見覚えは、ない。


少なくとも、自分の記憶の中にはない。


それでも。


「……飴玉?」


ぽつり、と落ちる。


欠片を見つめたまま、断片的な記憶を探るが、何度辿ってもそこに飴玉の記憶はない。


誰が持ち込んだのか。

なぜこんなところに落ちているのか。


何ひとつ、結びつかない。


「……」


千金楽はわずかに首を傾げる。


だが、それだけだった。


それ以上は追わない。

分からないものは、分からないままでいい。


そう判断するように、視線を外す。


そのまま、何事もなかったかのように歩き出した。


門を抜け外へ出れば六番街の空気は変わらず重く、だがどこか澄んでいた。


夜が来ている。


空を見上げれば、月が静かに浮かんでいた。

鈍い月の光が、六番街を淡く照らしている。


「……」


千金楽が自身で思っているより酷く疲れているのか、歩けば歩くほど身体の重さが徐々に増していく。


からんころん、ちりん。


一歩進むたび、鈴が鳴る。

その音を聞きながら、ぼんやりと思う。


「……甘いものでも、食べに行こうかしら」


床に残っていた飴玉の欠片が、まだ頭の隅に引っかかっている所為か、ただ甘いものが食べたいと、漠然とそう思った。



六番街を抜ける。


境を越えた瞬間、空気がわずかに緩んだ。

月明かりに照らされながら歩く千金楽は五番街、四番街とゆっくりと歩みを進めていく。

重く沈んでいた静寂は薄く引き剥がされるように後ろへ遠ざかり、代わりに微かなざわめきが前方から流れ込んで来る。


足を進めるごとに、その音は形を持ちはじめた。


人の声に笑い声。

呼び込み。

足音。


重なり合ったそれらが、やがて一つの流れとなって耳へと届く。


一番街。


提灯の光が頭上に連なり、昼と夜の境界を曖昧にしたまま、通りを柔らかく照らしている。屋台が並び、湯気と甘い香り、焼けた砂糖の匂いが混ざり合って漂っていた。

夜であるはずなのに、人の流れは途切れない。

肩が触れ合うほどではないが、絶えず誰かが行き交い、視界の端を横切っていく。


「……」


鈴が、ちりん、と鳴る。

その音だけが、わずかに浮いていた。

周囲の喧騒とは馴染まない、細く乾いた音。

それでも、気にすることはない。


面の奥、視線だけで屋台の並びをなぞれば、そこには甘味達が並んでいる。


団子、飴、蜜。


並べられたものを一つずつ見ていく。

どれも同じようで、どれも、違う。


足を止めることはせず、ただ、何かを探していた。

理由は、はっきりしない。

それでも何か、甘いものを。

そう思っている。


「――よ」


軽い声が、横から差し込む。


「鬼ごっこは楽しかったか?」


場違いなほど軽い調子。

冗談めいた声音。


千金楽は、足を止めた。

ゆっくりと超えの方へと視線を向けると、そこにいたのは篁鈴だった。


人の流れの中に溶け込むように立ちながら、気楽な様子で手をひらひらと振っている。


千金楽は、その言葉をなぞる。


鬼ごっこ。

意味は分かる、だが、それが今と繋がらない。


「……何を言っているの?」


首を傾げることも無く、淡々と返す。

それに感情の揺れはない。

ただの疑問だった。


「……は?」


篁鈴の眉が、わずかに動く。

その反応を見て、千金楽は首をかしげる。


「……?」


本当に、分かっていない。

感情の機微が些かも生まれていないのが、二面性が出ていない千金楽を見れば明白だった。


「……」


何かを測るように探るように、篁鈴の視線が一瞬鋭くなる。


「あー……。いや、こっちの話」


だがすぐに、元の軽薄そうな笑顔へと戻った。


「で?何してんの」


「……甘いものを探しているの」


素直な答えだった。


「へえ」


篁鈴は、わずかに口角を上げる。


「似合わねえな」


「そうかしら」


否定も肯定もしない、自身のことなのにまるで興味のない返事を返す。


「じゃあさ」


篁鈴はくるりと背を向けた。


「いいとこ知ってる」


そしてついて来いとでも言うように軽く後手に手を振る。


「来るか?」

そうちらりと一度だけ振り返ると篁鈴ほそのまま歩き出した。

まるで、ついて来ることが分かっているかのように。

千金楽はその背中を見る。

不思議なことに警戒も、疑念もなかった。


「……行くわ」


篁鈴には届いてないだろう小さな声でぽつりと言い、後を追う。


鈴が鳴る。


人の流れの中に、その音が静かに混ざっていく。


――夜は、まだ続いていた。



人の流れを抜け、通りを少し外れる。

喧騒は完全には消えない。

だが、背後へ押しやられるように遠のき、代わりに落ち着いたざわめきだけが残る。


少し歩いた先、篁鈴がぴたりと止まればそれにつられ千金楽も視線をついと上げた。白い暖簾に団子の絵が描いてある。


外からでも分かるほど、灯りはやわらかく、湯気と甘い香りがゆるやかに滲み出ていた。


「ここ」


篁鈴は軽く顎で示し、そのまま躊躇なく中へ入れば、千金楽それに続く。

引き戸が、かすかに音を立てて閉じた。


店内は提灯の光が低く落ち、木の机や床を淡く照らしていた。


人はいるが騒がしくはない。

会話は小さく、笑い声も抑えられていて、全体がゆるやかにまとまっている。


「いらっしゃい」


声をかけた店の者に、篁鈴は軽く手を上げるだけで応じ、そのまま奥の席へと進む。


篁鈴が席に座れば木が、わずかに軋む。

千金楽も向かいに腰を下ろした。


「いつも通り適当に見繕ってくれ」


篁鈴がそれだけ言うと、店の者は頷き、奥へと引く。


「……」


千金楽は、店内を一瞥する。 


壁。

灯り。

他の客。


だがすぐに興味を失い、視線は手元へ落ちた。


「……」


篁鈴は、頬杖をつきながらその視線は千金楽へと向けられている。


「……なあ。さっきの、ほんとに覚えてねえの?」 


千金楽はゆるりと顔を上げた。


「……何の話?」


先とたがわず迷いのない返答に、篁鈴は大きな溜息を一つ吐いたあと、くつりと小さく笑う。


「……」


千金楽は怪訝そうに、じっと篁鈴を見ていた。

何故笑われているのか、不愉快で仕方なかった。


「……?」


千金楽は自身が不愉快だと感じたことに、違和感を感じた。

不愉快だと感じたことが、あっただろうか。


「どうした?」


ぴたりと固まっている千金楽に声を掛ける。


「……なんでもないわ」


じわりと心に違和感を残したまま、何事も無かったように返事を返せば、ちょうどそのとき甘味が乗った皿が運ばれてくる。

皿の上には、小さく切り分けられた団子と蜜。

そして、飴玉がいくつか、添えられていた。


千金楽の視線が、そこへ落ちる。


だがそれもつかの間についと視線は逸れ、そのまま団子へと手を伸ばした。


口へ運ぶ。

もぐりと噛み、飲み込む。


「……どうだ?」


「……甘いわ」


「そらそうだ」


篁鈴は笑い、千金楽を観察するかのように頬杖をついたまま彼女を見ていた。


面から下、僅かに見える口元だけが彼女が咀嚼していることを示している。


「なあ、それ取らねえの?」


自身が持つ団子で千金楽の面をすっと指差せば、咀嚼し終わった千金楽が面に手を当てた。


「取らないわ」


「なんで?」


「皆、怖がるでしょう?」


淡々とした、けれど、酷く優しい声だった。


「……あー、その痣か」


その声色に、篁鈴は目を細める。


「りんってさ」


そう言って、少し間が空いた。


「……人のこと、好きなのか?」


そして、確信をもって聞いた。


皿の上の飴玉へと向かおうとしていた千金楽の指先がぴたりと止まる。


「……可笑しな事を聞くのねえ?」


けたりけたりと、笑う。


「そうねえ、好きかと聞かれればそれは少し違うわ」


自然な動きだった。

理由もなく選ぶように、飴玉を一つ指先で転がす。

ころころ、と小さな音が卓の上で跳ね、それをそのまま摘み上げると、迷いもなく口へ運んだ。


灯りが揺れる。

提灯の淡い光が、面の下にわずかに覗く口元を掠める。


「けれど、……壊してはいけないわ」


ガリ、と。

乾いた音が、やけに鮮明に響いた。

周囲のざわめきの隙間に、それだけが異物のように混ざる。


「……それやめろ」


篁鈴の声が落ちる。

先ほどまでの軽さを残したまま、だが、ほんのわずかに声音が低く変わっていた。


ガリ、ガリ。


「なあに?」


飴玉を噛み砕きながら、千金楽は笑う。

面の奥、見えないはずの表情が、どこか歪んでいるように感じられた。


「行ったり来たり、分かってやってんの?」


「だぁーから、なにを」


「りん」


その一言で、空気がわずかに沈む。


篁鈴の手が、すっと伸びた。

触れる寸前で、ほんの僅かに躊躇いが混じる。

だが次の瞬間には、千金楽の顎を軽く引き上げていた。


強引ではない、逃がさない程度の力で。


ぐらり、と。

揺れていた視線が、持ち上がる。

だが焦点はまだ定まっていない。

ゆらゆらと、揺れている。


「戻って来い」


押し付けるでも、命じるでもない。

ただ、そこに“在れ”と示すような声。


一瞬。

ほんの一瞬だけ、千金楽の動きが止まった。


未だ、店内はこちらを気にすることなくざわめいている。


蛇尾の言葉が、篁鈴の脳裏をかすめた。


――揺らすな。


「……違えだろ」


小さく、吐く。 

それは誰に向けたものでもなく、独り言に近いものだった。


「逃げんな、りん」


その声は、先ほどよりも少しだけ強い。


ゆらいでいた視線が、ほんのわずかに収束する。


焦点が、合う。


「……」


かちり、と。

何かが嵌まるように。


「りん」


もう一度、呼ぶ。

今度は、柔らかく。


「……」


千金楽の瞳が、篁鈴を捉えた。

ゆるりと、だが、確かに。


「ほら、戻ってこれんじゃねえか」


篁鈴は笑った。

だが、その笑みの中にはどこか安堵が混じっているように感じた。


「……痛いわ」


遅れて、言葉が返る。


「おっ、悪い悪い」


そう手を離すと、するり、そのまま流れるように面へと手を伸ばし、外した。


「……返しなさいよ」


声が落ちる。

先ほどまでとは違う、少しだけ芯のある声が。


「嫌なこった」


篁鈴は肩を竦めながら、ひらひらと面を軽く振る。


「こんなもん付けてっから、ウジウジ、グダグダ考えんだよ」


店内の灯りが、むき出しになった顔を照らす。


呪詛の痕。

黒く、絡みつくそれが、はっきりと浮かび上がる。


近くの客が、ほんのわずかに息を呑む。

だが、誰も声にはしなかった。


「……」


千金楽は何も言わずただ、篁鈴を見る。

顔が露わになった所為で、彼女の感情の有無が浮き彫りになっていた。


「これから俺と居るときは、このうさぎは没収な」


冗談のように、だが本気であろうことは明白で。


「……勝手ね」 


僅かに千金楽の目元が和らいだ気がした。


肯定するように篁鈴が笑えば、千金楽は外のざわめきが静かに戻って来たような気がした。


器の音。

人の声。

甘い匂い。


すべてが、何事もなかったかのように流れ続けている。


ただ。


本人たちが気づくことのないまま、ほんのわずかにだけ、二人のあいだの空気は静かに変わっていた。


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