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第16話 天国のスパは危険です

 今日も案件の仕分けをしている。


 通常ルートはもちろん、サイコポンプルートも概ねわかってきた。


 もっとも、サイコポンプが現場で対応できず、審査部に差し戻されることもある。


 それは先輩職員が仕分けても同じだ。


 送魂部と審査部の境目は難しいけれど、明らかなイレギュラー案件は見分けられるようになった。


 今では、案件の8割方を自分で仕分けられる。


「もう大丈夫そうだね」


 真紘が目を細めて微笑む。


「……まぁ」


(私も何を真面目にやっとるねん)


 再び手元の案件に視線を戻す。

 一枚の書類を見て手が止まった。


「……これ、何?」


「どうした?」


「死亡予兆、なしって書いてある」 


 真紘の目つきが鋭くなった。


「それ、こっちに回して」


 書類を手渡すと、真紘は統括官室の扉を開いた。


「ちょっといいか?」 


 すぐさま職員が駆け寄ってくる。

 真紘は手際よく指示を出し始めた。


「あ、莉奈。今日はもう上がっていいよ」


「それなら今日ママのとこ行って、ママさんバレー見てこよ」


「明日も仕事だから、あまり遅くならないでね」


「死んでまで門限みたいなこと言われるとは思わんかった」 


 審査部には少し緊迫した空気が漂っていたが、私はそれを横目に部屋を出た。


(私はまだ新人や。私には関係ない)


 更衣室で私服に着替え、領域間連絡門の扉に通行許可証をかざす。


 扉が開き、エレベーターに乗り込む。

 内側の扉にも許可証をかざした。


「天国」

 

 私が行き先を告げると、エレベーターが動き出した。


「これ恥ずかしいな」


 エレベーター内が色とりどりの光に包まれる。


「今度からヘブンにしようかな?

 もっと恥ずいか?」


 そんなことを考えている間に天国に着いた。


 バレーボール会場に向けて歩く。


 会場といっても、屋外に設けられたコートで皆がバレーボールを楽しんでいるだけの場所だった。

 天国には基本的に雨が降らないので、屋根も必要ないらしい。


 そこに母がいた。


「あら、莉奈」


「もう終わったの?」


「今日はみんなでスパに行くのよ。

 莉奈もいらっしゃい」


「スパ!? そんなのあるの?!」


 バレーボール仲間のママさんたちと、スパへ向かう。


「まぁ奥山さん、娘さん?」


「ええ、管理領域で働いているんです」


「まぁ、それは立派ね」 


「莉奈、覚えてる?

 昔近所に住んでた田中さんよ」


「え?」


「奥山さんったら。莉奈ちゃんがまだ三歳くらいの頃じゃない」


「あら、そうだったわね」


「大きくなったわねぇ、莉奈ちゃん」


「は、はい……」


(おばさんってどうしてこうなんだろう。

 死んでまで付き合わされるとは思わんかったな)


「あら、奥山さん、娘さん?」 


(また一人おばさんが増えた!)


「まぁ、美人な娘さんで。鼻が高いでしょう?」


「いえいえ、私に似ただけですから。ホホホ」


(何やねんその会話! これなら審査部に残ってた方が良かったかも)


 スパに着く前から、入浴後の脱力感に似た疲れを感じていた。


 しかし、到着したのは天国には似つかわしくないほど立派な複合型スパ施設だった。


 大きな湯船に浸かると、疲れが和らいだ気がした。


「そもそもこのお湯、どこから引いてるの?」


「阿波岐原(あわぎはら)の神域って書いてあるわよ」


「阿波岐原?」


「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊をされた場所みたいよ」


「え!? 神様の風呂の残り湯!?」 


「違うわよ」


 ママが呆れたように答える。


「神域の霊泉を天国で温めているって、そこに書いてあるわよ」


「へー」


「魂を浄化する効果があるそうよ」


「……成仏した魂、さらに浄化したら消えへん?」


 私は湯船の脇に設置された案内板に目を向けた。


「伊邪那岐命って、アダムとイブの日本版アダムだよね?」


「嫌だわー。莉奈、あなた神様たちと働いてるんでしょう?

 それで大丈夫なの?」


「充分博識やろ」


 お湯に浸かっているうちに、身体からすっかり力が抜けていった。


 翌日。

 私はいつも通り審査部に向かった。


「おはようございます」

 

 部署に入って挨拶すると、職員たちが顔を上げた。


「おはようございます」


 挨拶を返す職員たちを見る限り、昨日の案件を引きずっている様子はなかった。


 統括官室に入ると、真紘も普段通りだった。


「お母さん元気にしてた?」


(出た!

 秘技、お母さん元気? 攻撃)


「それを上司から言われるなんて……」  


「ん?」


「昨日スパ行った。

 天国にスパなんてあるんだね」


「スパ?」


「何か阿波岐原の神域の水を温めたお湯みたいで――」


 真紘の表情が変わった。


「莉奈、通行許可証を」


「え?」


「渡して」 


 真紘が手を差し出した。


 私は不思議に思いながらも、首から石の通行許可証を外し、真紘に渡した。


 真紘は自分の机に戻り、椅子に腰を下ろした。


 石を掌に載せ、もう片方の手を静かにかざす。


 その眼差しは真剣で、いつもの穏やかな雰囲気とは違っていた。


「何しとんねん」


「黙って」


「…………」


(何やねん)


 私は書類の仕分けに戻った。 


 しばらくすると、目の前に通行許可証が差し出された。


 顔を上げると、机の向こうに真紘が立っていた。


「ごめんね。もういいよ」


 私は通行許可証に目を向けた。


 石の中心は深い紺色。そして、その縁は――赤黒かった。


「何やねん!?

 その地獄の石は!?」


「制限と保護を強化しておいたよ」 


「ピンクに戻せ!」


「この方がいいよ」


「私、何気に気に入っとったねん!

 戻せ!!」


「…………」


 真紘は渋々机に戻り、石に手をかざした。


 私も真紘の横に立つ。


 今度は石の縁が緑になった。


「おい! 苔生えたやん!

 戻せ!」


 私は真紘の肩を揺さぶった。


「待って、術式がおかしくなる」 


「お前が始めたんやろ!」


「莉奈が霊水に入ったからだろ」


「何や!? 何があかんねん!?」 


「…………」


 真紘は答えず、再び石に視線を落とした。


「さては、重大な違反をしてる施設なんやな?

 営業停止か!? 営業停止になるんやな!?」


「ならないよ」


「じゃあ何やねん!?

 早よピンクに戻せ!!」


◇


 統括官室から怒声が響いてくる。


「何か揉めてるのか?」


「緊迫してるな」 


 職員の一人がふと振り返ると、そこには監察室の職員が立っていた。


 審査部の職員たちは何事もなかったかのように机に向き直り、黙々と業務を再開した。


(俺たちには関係ない)

お読みいただきありがとうございます。

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