第8話 自分の意思
悠真は、窓の外を見つめていた。
夜の街は静かだった。車のライトが道路を流れ、遠くの建物にはいくつもの明かりが灯っている。いつもと変わらない夜。
けれど、悠真には分かっていた。
この街のどこかで魔法使いたちが動いており、その中には凛もいる。
「……行く」
悠真は小さく呟いた。
凛からは来るなと言われている。それでも、自分の意思で行くことを決めた。
ただ、無謀に飛び込むつもりはなかった。
机の上に広げた地図を見る。以前、凛が見せてくれたものだ。彼方の会が召喚の準備をしている可能性がある、街の外れの古い倉庫。
「ここ……」
悠真は場所を確認し、スマートフォンで交通手段を調べた。
準備したのは、魔法の練習に使っている道具と普段の鞄だけ。特別な武器など持っていない。
今の自分にできるのは、まだ練習中の魔法を使うことだけだった。
「……本当に大丈夫なのか?」
自分自身に問いかける。怖くないわけではない。
前に見た魔法使いたちの戦いを思い出せば、なおさらだった。それでも、悠真は玄関へ向かった。
靴を履きドアノブへ手をかけた瞬間、スマートフォンが震えた。
「……!」
画面を見ると、凛からメッセージが届いていた。
『今から向かう』
短い文章の直後、もう一つ届く。
『絶対に来ないで』
悠真はしばらく画面を見つめた。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
「でも、行きます」
ドアを開ける。
夜の冷たい空気が頬を撫でた。
悠真は歩き出した。
――自分の意思で。
目的地へ向かう途中、悠真は風属性の訓練で凛から教わった方法を思い出し、周囲の空気に意識を集中させて魔力の流れを探った。最初は何も感じ取れなかったが、しばらく続けるうちに、遠くに微かな違和感のある魔力の流れを捉えた。
「……あった」
空気そのものが変わっているわけではない。
それでも、魔力の流れだけが周囲から浮いているように感じられる。
凛から教えられた場所とも一致していた。
「こっちだ」
悠真は歩みを速めた。
街の明かりが少なくなり、古い建物が並ぶ地域の奥に、目的の倉庫が見えてきた。外から見る限り明かりはなく、入口も閉じられている。
しかし悠真には、中に強い魔力があることがはっきりと分かった。
「……いる」
建物の影に身を隠し、周囲を確認する。
正面から入るのは危険だった。倉庫の横に小さな扉があり、近づくと鍵はかかっていなかった。
「……不用心すぎないか?」
思わず呟く。
だが、すぐに考え直した。わざと開けている可能性があり、罠かもしれない。
悠真は風属性の魔力で周囲を探ると、倉庫内に複数の人間の気配があることが分かった。
「少なくとも五人……」
それ以上いる可能性もあるが、自分一人でどうにかできる人数ではなかった。
来るべきではなかったという考えがよぎったが、その瞬間、倉庫の奥から強い魔力が流れた。
「……!」
空気が震える。
建物の中から、黒い霧のようなものがわずかに漏れ出してきた。
「召喚が始まってる……」
悠真は息を呑んだ。時間がない。
凛はすでに中にいるはずだと考えながら、悠真は小さな扉へ近づき、耳を澄ませた。中からは何かを唱える声がかすかに聞こえていた。
「……凛?」
凛の声だった。
戦っていると悟った瞬間、悠真は扉へ手をかけた。
ガンッ!
「っ!」
扉が内側から弾けるように開き、黒い服の男が飛び出してきた。
悠真は反射的に後ろへ下がり、咄嗟に手を前へ出した。
「土!」
魔力を流す。
足元の地面が盛り上がり、男の進路を塞いだ。
「何だ!」
男が体勢を崩す。
悠真はその隙に横を抜け、倉庫の中へ走り込んだ。
「……今の、使えた」
土属性。
まだ小さな術式しか使えないが、それでも咄嗟に発動できたことに悠真自身が驚く。
そのまま倉庫へ踏み込んだ瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。
「……すごい」
床一面には、前に見たものとは比べものにならない規模の巨大な魔法陣が描かれていた。何重にも重なる円と複雑な線が組み合わされ、その周囲には無数の術式が配置されている。中心からは黒い霧が絶え間なく立ち上り、空間そのものを侵食しているようだった。
「悠真!」
声がした。
振り向くと、凛がいた。服の一部は破れ、頬には小さな傷があるが、それでもしっかりと立っていた。
「どうして来たの!」
「……すみません」
「来るなって言ったでしょう!」
「はい」
「だったら――」
凛はそこで言葉を止めた。
悠真の目を見る。
そこには恐怖があった。
けれど、それだけではない。
「……自分で決めたの?」
凛の問いに、悠真は頷いた。
「はい。俺が来ることを決めました」
「……」
「まだ弱いです。先輩みたいには戦えません」
「分かってるわ」
「でも、俺にもできることがあると思ったんです」
凛はしばらく悠真を見つめたあと、小さく息を吐いた。
「……本当に無茶をするわね」
「すみません」
「謝るのは後。もう始まってる」
凛が魔法陣へ視線を戻す。
「今回は前より規模が大きいわ」
「見れば分かります」
悠真も魔法陣を見る。
複雑な構造だった。
だが、まったく理解できないわけではない。
術式。
魔力。
魔法陣。
これまで凛から教わってきた知識が、頭の中で少しずつつながっていく。
「……これ」
「どうしたの?」
悠真は魔法陣の端を指差した。
「魔力の流れが、いくつかに分かれてます」
「え?」
「中心に全部流れてるわけじゃない」
凛が目を細める。
「よく見て」
「はい」
悠真は風属性の魔力を使い、周囲の魔力の流れを探った。複雑に入り組んでいたが、その中に一定の流れが見えた。
「ここから……ここ」
悠真が指を動かす。
「この線が、中心の術式につながってる」
凛が魔法陣を確認する。
「……本当だ」
「ここを崩せば?」
「召喚の流れを弱められる可能性があるわ」
「じゃあ――」
「でも、そこまで近づくには敵を突破しないといけない」
悠真は周囲を見渡した。黒服の魔法使いたちが複数おり、数は多い。自分一人では到底対処できないと理解しながらも、悠真は凛へ視線を向けた。
「先輩」
「何?」
「俺が道を作ります」
「できる?」
「やります」
凛は悠真を見つめた。
そして、短く頷く。
「分かった」
その瞬間だった。
魔法陣の中心から、巨大な黒い影が浮かび上がった。
「召喚が進んでる!」
凛が叫ぶ。
悠真は魔力を集中させた。
火。
水。
土。
風。
四つの属性。
まだ未熟な魔法しか使えない。
それでも――。
「やります!」
悠真は敵へ向かって走り出した。
自分で決めた。
だから、もう逃げない。
巨大な魔法陣の中心で、黒い霧がさらに膨らんでいく。
召喚は、最終段階へ近づいていた。




