第6話 先輩
魔法の練習を始めてから、悠真の生活には一つ新しい日課が増えていた。
大学の講義を受け、空いた時間に清掃のアルバイトをこなし、その合間を縫って凛から魔法を教わる。
決して楽ではなかったが、悠真自身は思っていたほど苦には感じていなかった。
むしろ、今までとは違うことを学んでいるという実感があり、大学の授業が終わると自然と訓練場所へ向かうようになっていた。
「こんにちは、白石先輩」
「……その呼び方、定着したのね」
いつもの公園で待っていた凛が、少し呆れたように悠真を見る。
「だって、俺より年上ですし、魔法のこともいろいろ教えてもらってますから」
「別に先輩じゃなくてもいいと思うけど」
「でも、白石さんって呼ぶより親しみやすいですよ」
「そう?」
凛は少し考えたあと、肩をすくめた。
「まあ、好きにすればいいわ」
「じゃあ、白石先輩で」
「決まりなのね」
そんなやり取りをしてから、凛は持ってきた鞄を開いた。
「今日は四属性を順番に練習するわよ」
「いよいよ全部ですか?」
「全部。ただし、まだ基本だけ。難しいことは期待しないで」
凛は地面へ四つの術式を並べた。
火、水、土、風。
以前、適性を確かめたときに使ったものとは違い、今回は実際に魔法を発動させるための術式だった。
「まず火からいきましょう」
悠真は術式の前に座り、胸の奥へ意識を向ける。
魔力を感じ、それを腕へ流しながら、目の前の術式へ少しずつ送り込んでいく。
赤い光が術式の線に沿って広がり、中央に小さな炎が浮かび上がった。
「昨日より安定してるわね」
「本当ですか?」
「ええ。まだ小さいけど、魔力の流し方は良くなっているわ」
悠真は炎を維持しようと集中する。
しかし、意識した途端に魔力の流れが乱れ、炎が揺れて消えてしまった。
「……また消えました」
「魔法を維持しようと意識しすぎているわね」
「どうすればいいんですか?」
「魔力を押し込むんじゃなくて、一定の流れを保つことを意識して。力を入れるほど強くなるわけではないから」
「分かりました」
悠真はもう一度、術式へ魔力を流した。
今度は炎を大きくしようとせず、ただ一定の量を送り続ける。
小さな炎が現れ、先ほどよりも長く安定して揺れ続けた。
「……できた」
「その感覚を覚えておいて」
「はい」
火属性の練習を終えると、次は水属性だった。
水の術式へ魔力を送り込むと、中央に透明な水滴が浮かび上がる。
だが、火のときとは感覚が違った。
少し魔力を乱しただけで、水滴は形を失い、地面へ落ちてしまう。
「火とは感覚が違いますね」
「当然よ。属性によって魔力の扱い方には違いがあるから」
悠真はもう一度、水の術式へ魔力を送った。
今度は慎重に流れを調整する。
すると、先ほどより大きな水滴が浮かび上がった。
「水は治癒にも使えるから、戦うためだけの魔法じゃないわ」
「それなら、覚えておいたほうがよさそうですね」
「全部覚えるつもりなんでしょう?」
「もちろんです」
悠真が即答すると、凛は小さく笑った。
「じゃあ、土も風もやってみましょう」
土属性の術式へ魔力を流すと、地面から小さな土の塊が盛り上がった。
「これが土ですか」
「ええ。土は防御に向いているわ」
凛が手を動かすと、地面から土がせり上がり、悠真の前に腰ほどの高さの壁ができた。
「こうして壁を作れば、攻撃を防いだり、相手との距離を作ったりできる」
「なるほど……」
悠真は土の壁を見上げた。
火のような派手さはない。
それでも、実際に使ってみると用途がはっきり分かる。
最後は風だった。
風属性は火や土のように目に見える変化が少ない。
術式へ魔力を流しても、周囲の空気がわずかに動くだけだった。
「これ、ちゃんと発動してます?」
「しているわ」
「全然分からないんですけど」
「風は探知に向いているから、目で見る魔法ではないの」
凛の説明に、悠真は少し意識を集中させた。
風の術式へ魔力を送り、その魔力を周囲へ広げていく。
すると、さっきまで何も感じなかった公園の奥に、何かの気配があることに気づいた。
「……誰かいます」
「分かった?」
「はい。向こうの道ですよね」
「正解」
悠真が振り返る。
そこには、公園の外へ続く道を歩いている男性の姿があった。
「これが風の魔法……」
「そう。派手さはないけど、実戦ではかなり便利よ」
四つの属性を一通り試したことで、悠真はそれぞれの違いを少しずつ理解できるようになっていた。
火は攻撃、水は治癒、土は防御、風は探知。それぞれに向いている使い方がある。
「四属性を全部使えるって、こういうことなんですね」
「まだ入口だけどね」
凛はそう言いながら術式を片付け始めた。
「四つ全部を使えることは強みになる。でも、その分だけ覚えることも多いわ」
「……確かに」
火だけでも魔力の流し方を覚えなければならない。
そこへ水、土、風まで加われば、必要な練習量も増えていく。
「私みたいに火を中心に使うなら、一つの属性を深く学べる。でもあなたは四つを並行して覚える必要があるから、成長が遅くなる可能性もあるわ」
「それでも、全部使いたいです」
「本当に欲張りね」
凛は呆れたように言った。
だが、その声には少しだけ楽しそうな響きがあった。
「使い分けができるようになれば、それはあなたの強みになると思うわ」
「じゃあ、頑張ります」
「ええ。頑張りなさい」
その日の練習を終え、二人は公園を出た。
大学生としての生活を続けながら魔法を学ぶ。
簡単ではない。
それでも悠真は、今までとは違う毎日を少し楽しんでいた。
「そういえば、魔法使いって魔法を使って仕事したりするんですか?」
歩きながら悠真が尋ねると、凛が頷いた。
「するわよ。探知を使った調査や、魔法を使った設備の管理、術式の設計や修理なんかもあるわ」
「普通の仕事もあるんですね」
「むしろ、そっちのほうが多いくらいよ」
「魔法って、戦うためだけのものじゃないんですね」
「当たり前でしょう」
凛は少しだけ笑った。
「魔法は道具と同じで、使い方次第なのよ」
「なるほど」
悠真は自分の手を見た。
この手で魔法を使える。
それだけで、昨日までとは世界の見え方が少し違っていた。
だが、その帰り道だった。
凛が突然、足を止めた。
「……白石先輩?」
「少し待って」
凛はスマートフォンを取り出し、画面を確認する。
さっきまでとは明らかに表情が違っていた。
「何かあったんですか?」
「まだ確定じゃないけど、少し気になる情報が入ったわ」
「気になる情報?」
凛はしばらく画面を見つめたあと、悠真へ視線を向けた。
「彼方の会が動いているかもしれない」
その名前を聞いた瞬間、悠真の表情から笑みが消えた。
あの地下室で見た巨大な魔法陣。
黒い霧。
そして、あの異様な気配。
忘れようとしていた記憶が、一気に蘇る。
「また……召喚を?」
「まだ分からない。ただ、前に確認した場所とは別の場所で、魔力の痕跡が見つかったの」
凛はスマートフォンをしまった。
「少し調べてみる必要があるわね」
悠真は何も言わず、凛の横顔を見つめた。
魔法を知ってから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、彼方の会という名前を聞くだけで、胸の奥に嫌な感覚が蘇ってくる。
彼方の会は、まだ終わっていない。
そして悠真は、知らないうちに再び魔法使いの世界へ近づき始めていた。




