第5話 術式
翌日の夕方、悠真は大学の講義を終えると、そのまま凛との待ち合わせ場所へ向かった。
魔法の練習を始めてから、大学で授業を受けている間にも、ふと自分の身体の中にある魔力を意識することが増えていた。
以前なら気にも留めなかった感覚だったが、一度存在を知ってしまうと、どうしても気になってしまう。
「遅くなりました」
「時間通りよ。まだ始めるには早いくらいだわ」
公園で待っていた凛は、そう言いながら小さな鞄を開いた。
中から取り出したのは、何枚かの紙と一本の細いチョークだった。
「今日は術式について詳しく教えるわ」
「術式って、昨日使ったやつですよね?」
「ええ。ただ、実際に使ってみたからこそ、今なら説明したほうが理解しやすいでしょうね」
凛は近くの地面へしゃがみ込み、チョークで小さな円を描き始めた。
円の中へいくつかの線を加え、最後に中央へ短い記号を書き込む。
「魔法を使うときに必要なのは、魔力だけじゃないの」
「術式が必要なんですか?」
「そう。魔法は魔力を用いて操作するものだけど、何も考えずに魔力を放っただけでは、狙った現象を安定して起こすのは難しいわ」
凛は描き終えた術式を指差した。
「そこで術式を使う。術式には、魔力をどう動かして、どんな魔法として扱うのかという仕組みが組み込まれているの」
「つまり、魔力をそのまま使うんじゃなくて、術式を通して魔法にするんですか?」
「そう考えると分かりやすいわね」
悠真は地面に描かれた術式を見つめた。
以前はただの複雑な模様にしか見えなかったが、こうして仕組みを聞くと少し違って見えてくる。
「じゃあ、この前みたいに魔力を術式へ流せば……」
「発動する」
「なるほど」
凛は頷きながら、もう一つ円を描いた。
「そして、この術式を実際に使うために必要になるのが魔法陣よ」
「術式と魔法陣は違うんですか?」
「完全に同じものではないわ。術式は魔法をどう扱うかという仕組みで、魔法陣はその術式を物理的に描いたものと考えればいい」
悠真は少し考え込んだ。
「じゃあ、術式そのものが魔法陣というわけじゃない?」
「ええ。術式を魔法陣として描くことで、魔力を送り込んだときに安定して魔法を発動させやすくするの」
「だから、前の魔法陣も……」
悠真はそこで言葉を止めた。
脳裏に、地下室で見た巨大な魔法陣が浮かぶ。
あのとき自分は、凛に言われるままモップで床の線を消した。
そして、魔法陣は崩れた。
「線を消したら召喚が止まったんですね」
「そういうこと」
凛は悠真の言葉を肯定した。
「魔法陣は描かれた線そのものにも意味があるから、一部を消したり壊したりすれば、術式が正常に働かなくなる場合があるの」
「なるほど……」
悠真は改めて自分がやったことを思い返した。
あのときは、ただ言われた通りにモップを動かしただけだった。
魔法陣を壊すことが、召喚を止めることにつながるなんて考えてもいなかった。
「じゃあ、魔法陣を壊せば、どんな魔法でも止められるんですか?」
「そこは注意して」
凛の声が少しだけ厳しくなる。
「全部が簡単に止まるわけじゃないわ」
「そうなんですか?」
「魔法陣の規模や術式の構造によって違うし、描かれた線を消されても魔力を送り続けられるように組まれているものもある。戦闘中に相手の魔法陣を見つけても、簡単に壊せるとは限らないわ」
「じゃあ、魔法陣を守ることも大事なんですね」
「その通りよ」
凛はチョークを置いた。
「魔法を使う側からすれば、自分の術式を守りながら魔力を送り続ける必要があるし、相手からすれば、その術式を妨害することが重要になる。だから、魔法陣を見つけたら壊すという単純な話ではなく、相手がどんな術式を使っているのかを判断する必要があるの」
悠真は頷きながら、地面に描かれた術式を見つめた。
魔法は炎や風を出すだけのものだと思っていた。
けれど実際には、魔力をどう使うのかを考え、そのための術式を理解し、必要なら魔法陣を守りながら戦う必要がある。
「……思っていたより難しいですね」
「魔法は便利だけど、簡単なものではないわ」
凛はそう答えながら、新しい術式を地面へ描いた。
「じゃあ、実際にやってみましょう」
「はい」
悠真は術式の前に座り、胸の奥へ意識を向けた。
魔力を感じる。
それを右手へ流し、さらに術式へ送り込んでいく。
「焦らず、一定の量を意識して」
凛の声を聞きながら、悠真は魔力を流し続けた。
術式が淡く光る。
しかし、少し力を入れすぎた瞬間、光が一気に強くなって消えた。
「……失敗しました」
「魔力を一度に流しすぎたわね」
「加減が難しいです」
「だから練習するのよ」
凛は苦笑しながら別の術式を描いた。
「次は、もっと簡単なものにしましょう」
悠真は再び魔力を集めた。
今度は先ほどよりも慎重に、少しずつ術式へ送り込んでいく。
淡い光が線に沿って広がり、術式全体がゆっくりと輝き始めた。
「そのまま」
「……はい」
悠真は集中しながら魔力を送り続けた。
すると術式の中央に小さな光が集まり、やがて手のひらほどの炎が現れた。
「……出た」
悠真は目を見開いた。
目の前に、小さな炎が浮かんでいる。
数日前までなら信じられなかった光景だった。
「これが……魔法」
悠真は炎を見つめた。
大きさは小さい。
すぐにでも消えてしまいそうなほど弱々しい炎だったが、それでも確かに自分の魔力によって生まれたものだった。
「維持してみて」
「はい」
悠真は炎を保とうとする。
しかし、数秒後には魔力が乱れ、炎は小さく揺れて消えてしまった。
「……消えました」
「今はそれで十分よ」
凛はそう言って、悠真の肩を軽く叩いた。
「魔法を発動できたんだから、次はそれを安定させればいい」
「はい」
悠真は消えた炎の跡を見ながら頷いた。
自分の魔力を使って、実際に魔法を生み出した。
その事実が、少しずつ現実味を持ってくる。
「ところで、彼方の会が使っていた召喚魔法も、同じ仕組みなんですか?」
「ええ」
凛は答えながら、先ほど描いた術式を消した。
「悪魔召喚だからといって、特別な魔法の仕組みがあるわけじゃないわ」
「じゃあ、あれも魔力を使って?」
「術式へ魔力を送り込んで発動させている。複数の術式や魔法陣を組み合わせて、普通の魔法よりも複雑なことをしているだけよ」
「つまり、召喚魔法も魔法の一つなんですね」
「そう。ただし、扱うためには高度な知識が必要になるし、失敗したときの危険も大きいから、普通の魔法使いが簡単に扱えるものではないわ」
悠真は頷いた。
彼方の会がなぜあれほど大きな魔法陣を必要としていたのか、ようやく少し理解できた気がする。
あれは単純な一つの術式ではなく、複雑な術式を組み合わせたものだったのだ。
「魔法って、思っていたよりずっと奥が深いんですね」
「今からその基礎を覚えるのよ」
凛は新しいチョークを悠真へ渡した。
「これから本格的に魔法を教えるわ」
悠真は受け取ったチョークを見つめ、それから地面に残った術式へ視線を戻した。
昨日までは意味の分からなかった線が、今では少しだけ違って見える。
魔力を使って魔法を操作し、術式へ魔力を送り込むことで魔法を発動させる。
その仕組みを理解したことで、魔法というものが単なる不思議な現象ではなく、自分が学んで身につけられる技術なのだと実感できた。
「よろしくお願いします、白石さん」
「こちらこそ。まずは四属性の基本から覚えていきましょう」
悠真は頷き、手にしたチョークを握り直した。
大学生活とアルバイトに加えて、魔法の勉強まで始まる。
忙しくなることは分かっていたが、それでも今は不思議と楽しみな気持ちのほうが強かった。




