吉野の盟約
ずっと病に伏してた天武天皇が、まるで昔のように起き上がってきた。
「しばらく見ないうちに何て辛気臭く老けてるんだ?」とサーラを見て笑う。
「伊勢の斎王となった娘に皆で会いに行こう!吉野へ下った家族と高市皇子と大津皇子と皆一緒に!」まるで元気な時のままに皆に号令をかける。
伊勢で初の斎王となった姉の娘、大伯皇女と挨拶する天武の背中に最後の挨拶では?とサーラは感じてしまう。
懐かしい吉野宮で皆に円座を組ませて天武天皇が、
「壬申の乱は2度と起こしてはならない!私は何度も戦をしたが、こんな身内の争いで生まれて初めて惨めな戦を知った。
私の死後に絶対身内戦争を起こしてはならない。
ここにいる皇子達、全て私と約束しろ!けっして戦わぬと!」大海人王子は有間皇子の謀反を本当の謀反だと信じて疑っていなかった。
なので親族の戦いが、壬申の乱だけだと思っているのだ!
後ろで聞きながらサーラは涙が止まらない。
本当に最後まで大海人王子は大海人王子なのだ。
皆はけっして天皇になるため、この皇子同士では戦わないと天武天皇に誓った。
「サーラ、これでお前も安心だろ?そんな辛気臭い顔をもうするなよ?笑って送ってくれ。」と豪快に笑った。
その笑顔が最後の笑顔になった。
天武天皇が崩御した日、吉野宮で誓ったはずの大津皇子が謀反を企てた罪で捕まる。
大津皇子は、サーラの姉の子だ。早くに姉が亡くなったのでサーラが我が子として育てた。
伊勢の斎王となった大伯皇女と大津皇子が姉の遺児なのだ。
それまで奔放だったサーラは、この2人を姉に成りかわり育てる為にスーパーナニーとなったのだ。
翌年、我が子草壁皇子も生まれて皆まとめて我が子として育ててきたのだ。
そして、普通の家族のように暮らした吉野で天武天皇が最期の力を振り絞って、けっして戦をするな!と皇子たちに誓わせたのだ。
なのに!
天武天皇が崩御した翌日には、謀反の罪で自害を言い渡された。皆、混乱する。
確か天武天皇の亡き後、大津皇子が天皇になる手筈だったと。天武の生前に皇子たちの順位が発表されてたはずなのだ。
が、その皇太子たる皇子が謀反???
しかし、正式発表では「皇后の実子の草壁皇子が皇太子とされた事に不満を持った大津皇子が謀反を企てたと発表された。」それも大津皇子が自害した後にだ。
大化の改新は、聖徳太子一族・山背大兄王を殺した蘇我入鹿を中大兄皇子が成敗したことに成っている(教科書でも)が、山背大兄王の母は蘇我蝦夷の妹だ。
山背大兄王は蘇我蝦夷入鹿によって皇太子にされていたのだ。
教科書は、そこが消されている。
藤原氏が書き換えたのだ。
そして、また書き換えられたのだ。
が、なぜか太政大臣(今の総理大臣)の高市皇子はそう正式発表した。
伊勢神宮から動いてはいけない斎王・大伯皇女もすぐに戻って来たが、大津皇子は自害した後だった。
有間皇子は数週間処刑までに時間があり、歌を残す猶予もあったが、大津皇子は天武天皇崩御から3日でこの世から消えた。(消された)
日本書紀はサーラと不比等が、後世書かせたものだ。
天武天皇が死んですぐに2人によって日本の歴史は書き始められたのだ。




