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第四話:最初の犠牲者

 どこへ向かうのか、何が目的なのか。何も言わないハンナにミラは苛立っていた。


「ねぇ、どこに行くの?」


 ハンナは窓の外に向けていた視線をミラへ移すと真っすぐにミラを見つめる。そのいつもとは明らかに様子の違うハンナにミラは僅かに怯んだ。


 だが、ハンナの目的が何なのか見当もつかないが、ミラにとってハンナとは物静かでいつもナタリーとニコルのあとをついていくことしかできない能無し、という総評であった。


 きっと特に意味はないのだろうと、とりあえずハンナの言葉を待ったがそれが間違いであったと気づくことになるのは少し先である。


「ねぇミラ、知ってる? 私とナタリーが従姉妹ってこと」


「……え?」


「ふふ、知らないよね。だってデラータ家はつい最近侯爵家になったばかりの新参者。伯爵位以上の御家事情には疎いものね」


「……何が言いたいのよハンナ」


 突然の嫌味と小馬鹿にしたような笑いにミラは我慢ならなかった。だが自分はナタリーを陥れようとしているのだ。まだ下手なことはできないとその怒りをグッと我慢する。


「私ね、嬉しいの。だってミラ、あなたのことずっと目障りだったんだもん」


「はぁ?」


 馬車の揺れる音が酷く大きく聞こえた。


「私の母はエイラート公爵様の妹なの。そしてオーエス侯爵家に嫁いだ。でもね、私の母は知らない男に襲われて私ができたの」


「……!?」


 突然の告白に思わず開いた口が塞がらなかった。しかし、ハンナは続ける。


「本当なら私はこの世に存在しちゃいけないの。でも父は渋々私を母と自分の子として本籍に入れはしたわ。けど、大事にされた記憶はない。そして母はあっさり死んじゃった」


 侯爵家に居場所なんてなかった。後妻が来た後なんて特に。ただエイラート公爵家と仲違いしないように置かれていただけ。


「ずーっと寂しかった。だって家ではみんな私をいない者として扱うんだもん。でもね、そんな可哀想な私を助けてくれたのがナタリーお姉様だったの」


 それはナタリーの五つの誕生会が開かれた公爵家での出来事である。


 イーサンの妹の子であるハンナを連れて行かないわけにはいかなかった父に連れられた、自分には似つかわしくない華やかな場所だった。


 その華やかな場所に馴染めずハンナは会場の隅にいた。気配を消してまるで幽霊の様に。それがハンナにとっての普通だったから。


「そんな隅でどうしたんですの?」



 太陽だ。



 そう、あれは突然現れた私だけの太陽。


 キラキラと輝くこの場の主役にハンナは思わず眩しさから体を固まらせた。動かなくなったハンナにナタリーは嫌な顔をするどころか、楽しそうにくすくすと笑ったのだ。


「あなた、ハンナでしょう? ハンナ・オーエス侯爵令嬢。そうでしょう?」


 ハンナはその問いに小さく頷くことしかできなかった。だがナタリーはますます嬉しそうに顔を明るくさせる。


「初めまして、ハンナ。わたくしはナタリー・エイラート、あなたの従姉妹ですわ」


「……え?」


 初めて血の繋がりのある人物に心躍るという体験をした。ハンナがやっとナタリーに興味を示したことが伝わると、ナタリーはまた嬉しそうに花が綻ぶ様に笑った。


「わたくしの方が三か月早いんですって! だからハンナはわたくしの妹ね」


「……いもうと……」


「そうですのよ! もし何か困ったことがあったらいつでもお姉様を呼んでちょうだい。わたくしがどんな時もハンナのもとへ飛んでいきますわ」


 キラキラと輝く太陽はその後、ハンナが呼べば本当に飛んできてくれた。きっとハンナの境遇に心を痛めてくれていたのだろう。


「ナタリーお姉様が婚約したのはその次の年だったわ。でも、変わらず私のために飛んできてくれた。そんな優しいお姉様の心をズタズタに引き裂いたあの男とあの女……そしてミラ、あんたのことを許さない」


 明確な殺意が込められた冷たい瞳を向けてくるハンナに、ミラの全身が恐怖から総毛立った。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 何で私まで……」


「何もしていないとは言わせないわ。本当バカな女、あの試食会の噂にありもしない事を付け足して吹聴したのあんたでしょ。ミラ・デラータ侯爵令嬢はアデラ男爵令嬢を庇うためにナタリーを連れ出したなんて自分に都合の良い事。疑ってくださいって言ってるようなものじゃない」


 ハンナの放つ剣呑な空気にミラは何とか対抗する。


「そんなの、私達の仲を拗らせようとしているだけよ。騙されないで」


「はっ! 白々しい。私、言ったでしょ? ずっとあんたのこと目障りだったって。あんたの汚らわしい魂胆なんて見え見えよ。侯爵家になったことで周りを固めるために、公爵家であり王太子の婚約者でもあるナタリーお姉様にくっついておこぼれにあずかってる薄汚い女、それがあんたよ」


 カッとミラの顔が瞬時に熱くなった。屈辱と怒り、そして図星からハンナの頬に手を上げようとしたが、まるでそれを遮るように馬車が大きく揺れてピタリとその動きを止めた。


「ずっとあんたを監視してた。あんたがナタリーお姉様に近づいてきたその時から」


「な……っ!?」


 ニヤリと笑うハンナにミラの顔からサァッと血の気が引いていった。


「もちろんお姉様も知ってるわ。最初っからね……。でも優しいお姉様は貴族にはよくある事だからってあんたのこと庇ってた。残念ねぇ、そんなお姉様の優しさを自分から突き放すなんて」


 ミラがハンナから逃れるため後ずさるように扉に近づくが、自分から出る前にハンナに突き飛ばされ、その弾みで開いた扉から転がり落ちた。


「いっ……た!」


 高い馬車から落ちた衝撃と痛みでその場に蹲るミラに影がかかった。その影の正体を見てミラの体が恐怖で飛び上がりそうになる。


「ナ、ナタリ……っ! ちがっ! 違うの、これは……!」


 ナタリーは転がっているミラを見下ろしたまま悪い笑みを浮かべる。その顔に以前の優しさが皆無であることに、ミラはようやく自分のしでかした事の重大さに気がついた。


「ごめ、ごめんなさ……! 羨ましかったの! ナタリーのこと……! ただ、っ……ただうらやましくて……!」


 学園の噂如きでナタリーの身分も地位も揺るがない。だったら、その間だけ肩身の狭い思いをしてほしかった。ただ、それだけだった。


「な……でも、持ってる、あなっ……たが……うらやま……くて……っ!」


 涙ながらに本音を吐きだすがナタリーは変わらない。そして顎で先を見るよう無言で促された。その視線の先にますます恐怖が湧き上がり、全身が震えた。


 そこにはミラが使っている馬車に乗せられ震えている一人の美丈夫がいた。その男はエイラート公爵家の騎士に逃げられないように剣を突き付けられている。


 ナタリーは再度ミラを見下ろした。


「ハンナが教えてくれましたの。あなたが夜遊びを繰り返していたことも、あの子が大のお気に入りだってことも」


「あっ、ぁ、ナタ……!」


 ミラを立ち上がらせたナタリーはその体を同じく馬車に詰め込んだ。ミラは考え直してほしくて力の限り叫ぶ。


「待って!! 待ってナタリー!!! ごめんなさい!!! ごめんなさい!!!」


 可哀想なくらい震えて涙で顔をぐしゃぐしゃにさせる哀れなミラの両頬をナタリーはそっと両の掌で包み込むと、子どもに言い聞かせるように囁いた。


「ミラ、あなたは今からこの男と一緒に崖から落ちて事故に遭うの」


「嫌!! ナタ……!!!」


 ミラが喚く前に突き飛ばして馬車の扉を固く閉ざした。中から二人分の暴れる音がするが、この馬車はミラが夜遊びのために用意させたカモフラージュ用であり、防犯に特化した特注であることも調べ済みである。


「行ってちょうだい。ちゃぁんと死を確認することを忘れませんよう、お願いいたしますわ」


 騎士達はナタリーの命令に頷くと馬車を指定の場所まで走らせて行った。


 その姿を見送るナタリーの腕にハンナがそっと自分の腕を絡ませ甘えるようにすり寄る。


「ハンナ、さすがわたくしの妹ね」


「ふふっ、ナタリーお姉様のためですもの……」


 ナタリーは愛おしそうにハンナのつむじにキスを落とした。


 そしてハンナは自分だけの太陽を守れたことに幸せそうに微笑んだ。



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