第三話:地獄への序章
物語の主人公達には障害がいる。乗り越えるものが大きければ大きい程、人を魅了し盛り上がるからだ。
「ナ、ナタリー! これは、その……!」
「ナタリー様……!」
ナタリーに気づいた二人が手を離し、瞬時に距離を開けた。その距離僅か半歩である。
その距離しか開けられないくせに小賢しくも顔面を蒼白にさせるカイルとアデラにナタリーは口の片端を上げ、大袈裟に拍手を送った。まるで観劇を終えたように。
「うふふ、素晴らしい物語ですわ。そんな素晴らしい物語を続けたいと願うお二人のため、僭越ながらこのわたくしが悪役を買って出て差し上げましょう」
「何を言っているんだナタリー、私は……!」
「巷では、わたくしはお二人の仲を引き裂く悪役令嬢と噂されていることはご存知でしょう?」
「それ、は……」
アデラは全身を震わせ、カイルは言葉に詰まる。ナタリーは尚も楽しそうに続けた。
「うふふ、ふふっ……あっは! あははははは! もっと嬉しそうにしてくださいまし! うふふ、お二人の愛の物語、悪役としてわたくしも存分に楽しませていただきますわ。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
悪役は悪役らしく、ナタリーは高笑いをしながらこの汚れてしまった思い出の場から堂々と立ち去った。
カイルとアデラは暫く呆然としていたが、事の重大さをじわじわと理解していった。だが、二人の愛は本物である。ナタリーが悪役を買って出てくれると言うのならば、二人の未来が見えた気がした。
この局面を乗り切ろうと頷き合う。主人公であるカイル達は、ナタリーの用意された舞台に自ら上がる事を愚かにも決意するのだった。
◇
「お父様、わたくしはすべてをぶち壊すと決意致しましたわ」
「ナタリー……! さすがは我が娘よ! して、いつ婚約を破棄するのだ? もったいぶらず父に教えてみよ!」
王城から久しぶりに戻ったナタリーにエイラート公爵家の当主、イーサン・エイラートは見たこともない程目を輝かせながら愛娘の提案を待った。
カイル、馬鹿な男だ。
ナタリーは父に提案をしながら頭の片隅でそう思わずにはいられなかった。父イーサンは野心家である。そしてこの国の王、つまりカイルの父ラスタはこのイーサンの飽くなき野心を大いに警戒していた。
ナタリーとカイルの婚約とは、いわばイーサンを自由にさせないための抑止力でもあったのだ。そのため、ナタリーは父の思想が受け継がれないように婚約が決まった時からほとんどを城で過ごしている。
だからこそ、とナタリーは強く思う。
「お父様、王太子殿下との婚約はまだ続けなければなりません」
「ふんふん、確かに馬鹿共は泳がせておかないとラスタ王の目は誤魔化せんからな」
さすが、話の早い父に感謝する。
「ふふ、ふふふふっ……ふはははははっ! 愚かな物語の主人公気取り達に、本当の悪役というものを骨の髄まで味わわせてやる……!」
「よくぞ申したナタリー! 腑抜けた愚か者共に我ら親子が目にものを見せてやろうぞ!」
ニヤリと悪どい笑みを見せる頼もしい父にナタリーは力強く頷いた。
◇
「まぁ、ニコルのお父様とうとう宰相様と口論になってしまったんですの?」
「そうなのよ! 宰相様ってば酷いのよ、うちは王家に忠誠を誓ってるって言ってるのに何度もお父様を疑って。この間なんてマイラー家の交易の中身まで勝手に査察しに来たのよ!」
「それは、大変でしたわね。でも宰相様はマイラー家の何がそんなに気に入りませんの?」
「あれよ! ほら、マイラー家とその他の貴族の間にあるセリ湖があるじゃない? そのセリ湖をうちが独占して領地を広げようとしてるって疑ってるみたいなの」
セリ湖とは海の様に見える程巨大な湖である。そしてマイラー公爵家当主であり、ニコルの父ダッカスはこの湖を水上拠点とし、港を作ってセリ湖を同じく領地とするほかの貴族と交易を行いたいとしていた。
そしてその新たな交易先を確保しようと他の貴族に話を持っていくなど活発に活動している中で、日に日に力をつけていくマイラー家をよしとしないやり手の宰相様に目をつけられたようだ。
怒りを見せるニコルにナタリーはティーカップをソーサーの上に音も立てずに置くと謝罪した。
「ごめんなさいニコル。ダッカスおじ様とお父様の仲が良いばかりに余計に疑われてしまっているんですのよね。でも大丈夫よ、わたくしとカイル様が婚約している限り父は何もできませんわ」
「そんな! ナタリーが謝る事じゃないわ。でも、ありがとう。ナタリーがそう言ってくれると安心ね」
ニコルが笑うとミラとハンナもつられるように安心して笑った。
「でもね、ここだけの話なんだけど……」
ニコルは辺りを見渡すと声を潜めた。そんな事しなくてもここにはナタリー達四人しかいないのにと小さく笑うが、ニコルは雰囲気だと小声を続ける。
「実は怒ったお父様がセリ湖を同じく領地とするエイフォン男爵家や他の貴族も巻き込んで王家に直訴するって言ってるの。国に力をつけるためにも必要な事なのに、宰相様は干渉し過ぎだって」
「あぁ、それでお父様は嬉しそうだったんですのね。ダッカスおじ様を援護すると嬉しそうでしたの。何の事かと思っていましたけど、止めた方がよさそうですわね」
ここで父イーサンが下手に援護をして王家に睨まれては今後、動きづらくなる。
「お願いするわナタリー。私からもお父様に考え直すよう説得してみるわ。身分を盾にされたらエイフォン男爵家も断れないだろうし、イーサンおじ様まで出てくるとなったらますますナタリーの立場が悪くなってしまうわ」
ただでさえあの小さな事件でここまで酷い噂を立てられ、嘲笑されているのだ。アデラの実家が身分を盾に直訴に巻き込まれ、そこにナタリーの父イーサンも参入し王家と揉めたなどと話が耳に入れば噂は更に混迷を極め特上の娯楽として消費されるだろう。
ニコルはそうならないように立ち回ってくれると言っていた。
「ありがとう、ニコル」
ナタリーは紅茶を飲み終えるとこのお茶会はお開きにしようと立ち上がった。
◇
アデラは突然高位貴族の女生徒に呼び止められ困惑していた。
その女生徒に見覚えがありすぎたこともある。この女生徒はナタリーの友人で、いつも四人でいる内の一人であったからだ。
だがもし噂が本当であれば、この女生徒はもしかしたら自分の味方なのかもしれないと一縷の希望が垣間見えたが、やはり罠かもしれない事もあり警戒を解かなかった。
そんな警戒を続けるアデラにその女生徒は一つ警告をする。
「エイラート公爵家がセリ湖の権利と交易について王家に口を出そうとしているらしいわ。エイフォン男爵家もセリ湖って大事な領地の一部でしょう? 気をつけた方がいいわよ」
「……どうして、そんな事教えてくれるんですか?」
アデラが恐る恐る問いかけるとその女生徒は鼻で笑った。
「ナタリー様は昔から身分を盾にする嫌な人だったの。私も随分とやられたわ。ほら、それにあの方は悪役令嬢だしね」
女生徒は意地悪く目を細めると行ってしまった。アデラはその後ろ姿を見送りながら感謝する。
「はやく、カイル様にお伝えして知恵をお借りしないと……!」
ナタリーはアデラ達に堂々と宣戦布告したのだ。あの憎しみと怒りが籠った冷たい瞳を思い出すだけで体が震える。
だが自分達は彼女の言っていた通り、物語の主人公なのだ。
これ以上悪役令嬢の好きにはさせないとアデラは上を向くとカイルの元へ走り出した。
一方その頃、アデラに警告した女生徒は意気揚々と赤く染まる学園の外廊下を歩いていた。
「ミラ、ちょっといい?」
「ハンナ……! びっくりさせないでよね。で、何よ?」
誰もいないと思っていた廊下に気配を消して立っていたハンナに驚くとミラは内心毒づいた。
『本っ当、影の薄い女。同じ侯爵家じゃなかったら相手にもしないのに』
先を行くハンナについていきながらミラは憎々し気にその後ろ姿を睨みつける。
暫くついていくと、学園の外に停めてあったオーエス侯爵家の馬車にハンナが乗り込み席に着いた。無言でミラに乗るよう目で訴えるハンナに仕方なく従う。
扉が固く閉ざされると馬車が走り出す。
まさかその馬車が地獄への片道切符であることなど、今のミラには知る由もなかった。




