第二話:悪役令嬢にされた日
ナタリー・エイラート公爵令嬢はまるで悪役令嬢のようだ。
そんな嘲りが聞こえるようになったのはあの食堂での事件がきっかけであろう。
その日の数日前、婚約が決まった幼い頃より城に身を寄せているナタリーのもとにエイラート公爵家からとある報せが来た。
この度エイラート公爵領で試作を繰り返していた数々の野菜の改良に成功し、豊作となったため王立学園の食堂に寄付という名の試食会を開いてほしいと。
ナタリーはこの催し物を取り仕切るためにいつもは足を踏み入れない食堂へ訪れていた。いくら下位貴族や、特別枠の庶民向けの食堂とはいってもここで調理をする者達は皆プロである。
瑞々しい数々の野菜を手にし、嬉しそうに腕を振るってくれる料理人達と幾度も調整をしながら試食会の日を迎えていた。
「皆様、本日の試食会ぜひ楽しんでいってください。最後に野菜の味の感想を匿名でよろしいので書いてくださると嬉しいですわ」
ナタリーのにこやかな挨拶に生徒達は楽しそうに拍手を送った。そして各々が料理を楽しんでいる最中である。
「きゃっ!」
生徒を見回っていたナタリーに、よそ見をしていたアデラが軽くぶつかったがアデラはその場に転んでしまった。
「アデラ様、大丈……」
転んだアデラに手を差し伸べようとしたが、友人のミラ・デラータ侯爵令嬢がナタリーに大袈裟に叫ぶ。
「ナタリー様、お怪我は!?」
「え? えぇ、わたくしは大丈夫ですわ。そんなことよりもアデ……」
「アデラ!」
カイルが颯爽と現れるとアデラに手を差し伸べた。そしてアデラはその手を取るとカイルに礼を述べたあと、すぐさまナタリーに向き合う。
「ナタリー様、申し訳ありません! 私がよそ見をしていたばかりに……。お怪我はありませんか?」
「えぇ、わたくしなら……」
「まぁ! ナタリー様、せっかくのドレスに料理のしみが……!」
「え? あら、でも大したことは……」
ミラは慌てながらデラータ家の侍女を呼ぶ。
「ナタリー様こちらへ! わたくしの侍女達が何とかいたしますわ」
断ろうとするナタリーに有無を言わさずミラとその侍女達が取り囲むと控室へ連れて行かれた。ナタリーは懸命にドレスを綺麗にしようとするデラータ家の侍女達を見つめる。
「ミラ、大したことはなかったのだから、ここまでしていただかなくても良かったですのに」
「いいえ! 主催者のナタリー様に恥をかかせたままなんてできませんわ!」
「……ありがとう、ミラ」
デラータ家の侍女達は優秀で、ものの数分でナタリーのドレスを元の近い状態にしてくれた。ナタリーはその手際の良さに感謝を伝えると再び試食会へと戻ったが、様子がおかしかった。
皆が気まずそうに食事をし、戻ってきたナタリーに怯えるような視線を向けている。
ナタリーは瞬時にこの場の空気を察するとアデラに近づいた。カイルは、戸惑い怯えるアデラに寄り添っているが、そのカイルを無視してアデラに向き合う。
「アデラ様、途中で抜けてしまい大変失礼いたしました。お怪我はありませんか?」
「は、はい! こちらこそ申し訳ありませんでした」
双方謝罪をすると、固唾を呑んで見守っていた生徒達が安堵したように見えた。
「皆様、大変失礼いたしました。引き続き試食会を楽しんでくださいまし」
にこやかに微笑んで小さく頭を下げたが、この日のあの出来事はナタリーがわざとアデラを突き飛ばし転ばせただの、謝罪をしようとしたアデラを無視しただのと次第に尾ひれ背びれがついていき、そしてナタリーの悪評は日増しに拍車がかかっていった。
「まるで意図的に誰かがナタリーを陥れようとしているとしか思えないわ」
ニコルが紅茶を口にしながら悔しそうにそう呟いた。その両隣では心配そうにミラと、ハンナ・オーエス侯爵令嬢が俯く。
「……そうね。でもこれも試練と思って乗り越えないといけないのね」
「ナタリー……」
気丈に振る舞うナタリーに三人は悲しそうに目を細めたが、こんなにも自分を心配してくれる者達に巡り合えたことをナタリーは感謝した。
「わたくしは大丈夫よ、みんなありがとう」
「ナタリー、何かあったら絶対相談してね」
一番の親友ニコルの迫真な顔にナタリーは嬉しくなって微笑んだ。
そして今でもニコルは変わらず一番の親友である。婚約者を捨てた今、最も信頼できる関係は友人であると胸を張って言えるだろう。
そう、婚約者カイルに呆れるどころか、憎しみと怒りを爆発させたのはあの試食会事件の一か月後である。
その日は特に視線が痛かった。
噂が噂を呼び、ナタリーはいつの間にかカイルとアデラの仲を引き裂こうとする悪役令嬢という汚名を着せられ陰で憐れまれ、そして笑われていた。
さすがは醜聞好きな貴族の子ども達である。噂を娯楽とする様は大人と変わらない。できればもっと気づかない所でやってほしいものだと頭が痛くなる。
「ナタリー、顔色が悪いわ。少し別室で休んできてはどう?」
「ありがとう、ニコル……。そうさせてもらいますわ」
ニコルの言葉に甘えてナタリーは一人教室を出るとこの鬱屈とした気持ちを癒したくて大切な思い出が色濃く残る学園の中に位置するバラ園へと向かった。
そこはこの学園に入学してすぐにカイルに連れられた今のナタリーの心を癒してくれる唯一の場所である。
『ナタリー、私はこのバラ園を守るように国を守り、育んでいきたいと思っている。どうかそんな私の側にいてほしい』
『はい、カイル様。わたくしがずっとお側でお支えいたしますわ』
未来を二人で夢見たあの美しい場所で、美しい理想を守り続けたくて、気づけばバラ園へ向かう足を速めていた。
まさかその思い出の場所で美しさも何もかも壊され失うとは誰が予想できたであろうか。ナタリーがバラ園に辿り着くと、今最も視界に入れたくなかった仲睦まじい姿の二人がいた。
「本当にここは美しい所ですね、カイル様」
無邪気な声に、心も思い出も土足で踏みにじられた気がした。
「ここは王族と、その婚約者しか入れない場所なんだ」
恥ずかしそうに、だが僅かに声を弾ませる男にとどめを刺された気がした。
「え……それって!」
その先を期待するようにアデラの頬がほんのりと色づいた。カイルもつられるように頬を染めると小さく頷く。そしてアデラの白い手を両手で握ると愛を告げた。
「私はアデラが好きだ。君の明るさと無邪気さに何度救われたか……。私は君を王太子妃に迎えたい。」
「カイル様、嬉しい……。でも何もない私で本当にいいのですか?」
涙で滲む視界を懸命にカイルに向けるアデラに婚約者が微笑んだ。
「アデラはアデラのままでいいんだ。私は本当の愛というものを知った。その愛を手放したくない。だから、私の側にいてほしい」
「私も、カイル様のこと……愛してます。私がお側でカイル様をお支えします、いつまでも……」
美しく笑い合う幸せの絶頂にいるであろう二人にナタリーは何もかもがどうでもよくなってしまった。
二人だけの美しい思い出も、語り合った理想も、大切にしたいと願っていた未来も何もかもすべて壊されてしまった。いや、壊してしまおう。
この悪役令嬢が……。
ナタリーは物語の中心で愛を誓いあう主人公たちにゆっくりと歩み寄っていった。




